高校三年生で「道元の追っかけ」となり、

同時に、1冊の本で、

「バートランド・ラッセルの追っかけ」になってしまった。

大学の図書館には「バートランドラッセルの著作集」が揃っていた。

 

そこで出会った「小話」「寓話」

つまり、

「バートランド・ラッセルの福音書もどき」だった。

 

 

神は、世界を創造して、その世界の最後まで観て、

「面白かった。また、最初から、観よう、…」

 

つまり、

創造後は、各自が責任もって生きる。

神は、どのように成るかわからない。

シナリオを作っていない、監督者ではない、

 

単なる、一人の、観ているだけの観客者である。

 

この世界は、終わるのである。

「無」と成るのである。

どうせ無に成るのだから、どうでもいいのである。

 

たとえ、プーチンが侵略戦争を使用といいのである。

人間が自分の力で、どうするかを決めなければならない。

 

更に、

神は、面白かったと、評価するのである。

 

面白かったから、「また最初から観よう」という。

 

神は、再び、天地創造をする。

その中での出来事のシナリオを神自身は知らない。

だから、観客として、観て喜び、悲しむのである。

 

バートランドラッセルの「小話」「寓話」を、

私は「福音書」として、受け取った。

 

バートランド・ラッセルは、

アインシュタインと一緒に、原水爆禁止運動を世界に発信した。

湯川秀樹らが署名した。

 

バートランドラッセルは、フランスの実存哲学者サルトルと一緒に、

米国のヴェトナム戦争を、自前の国際裁判所を開き、断罪した。

 

無神論者のバートランド・ラッセルは、人間を信じた。

 

高校三年生の時に、この二人に出会えたのは、幸運だった。

 

「70年安保条約改正」学生運動で、大学の周辺は、

サヨク、マルクス主義が、盛んだったが、

バートランドラッセルが、実際に、ソビエト連邦を訪問して、

その後、ソ連を痛烈に批判していたので、巻き込まれずに、冷静に見ていた。