日本人最大の弱点が「出鱈目の出口」学長!
仏教もキリスト教もユダヤ教も、
全然、出鱈目で解っていなく、
張ったりだけが日本を覆う、暗黒時代の精神構造!
短い『マルコ福音書』も、それよりも短い、使徒パウロの
『ローマの信徒への手紙』さえも、それだけも、読んでいない!
『
1万冊超を読破した“現代の知の巨人”
』
と豪語している。
精神が寂しい。
【日本人最大の弱点! 出口学長・哲学と宗教特別講義】知られざるニーチェの哲学と健康と病気のはなし(ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース
【日本人最大の弱点! 出口学長・哲学と宗教特別講義】知られざるニーチェの哲学と健康と病気のはなし
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世界1200都市を訪れ、1万冊超を読破した“現代の知の巨人”、稀代の読書家として知られる
出口治明APU(立命館アジア太平洋大学)学長。世界史を背骨に日本人が最も苦手とする「哲学と宗教」の全史を初めて体系的に解説した『哲学と宗教全史』が「ビジネス書大賞2020」特別賞(ビジネス教養部門)を受賞。宮部みゆき氏が「本書を読まなくても単位を落とすことはありませんが、よりよく生きるために必要な大切なものを落とす可能性はあります」と評する本書を抜粋しながら、
哲学と宗教のツボについて語ってもらおう。
● ニーチェの思想と健康・病気 フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)は、ドイツ(当時はプロイセン王国)のライプツィヒに近い郊外で、裕福な牧師の長男として誕生しました。 彼について書かれた書物は、わが国にも多数あります。 その中で清水真木の『ニーチェ入門』(ちくま学芸文庫、2018年刊)は、最も新しい文献の一つかもしれません。 彼は卒業論文、修士論文、博士論文とニーチェ一筋に奮闘を続けてきた哲学者です。 その過程で、ニーチェの哲学を思想と学説の両面から研究することに加え、彼の実録や伝説などの周辺的な情報も精査して、ニーチェの像を彫り続けてきました。 そして、ニーチェの思想の中枢部分に健康と病気があると確信します。 人間の肉体的あるいは精神的な健康と病気とはどういうことか。 そのような視点に立って、「超人」や「永劫回帰」の思想を考えてみると、ニーチェの哲学にもう一歩、踏み込めるような気がする……誤解を恐れずに言えば、清水はそのように直観したのです。 肉体の健康と病気とは? 精神の健康と病気とは? ここではその解説は省略します。
● 病気と闘い続けた人生 ただニーチェは、人生で一番収穫があるべき時期を、病気と闘い続けて人生を終えた哲学者だったのです。 1870年4月、25歳のニーチェは、スイスのバーゼル大学の正教授になります。 そこで同年8月に勃発した、プロイセンフランス戦争(普仏戦争)に看護兵として従軍しますが、赤痢とジフテリアに感染して倒れます。 一時は快復しますが、このとき以降、彼の健康状態は悪化、ついに大学勤務に耐えられず、1879年に退職しました。 1880年の春、彼は生命の危機を乗り越えました。 それからの彼は、大学から支給される年金だけを頼りに、自分の哲学を完成させることに、人生のすべてを集中させていきます。 そのために、知的な活動に障害が起きることのないように、規則正しい生活を築いていきました。 彼は7月から9月はスイスで、10月から4月は北イタリアや南フランスの地中海沿岸で、定期的に質素な保養生活を繰り返しました。 そのような生活サイクルの中で、『ツァラトゥストラはこう言った』(氷上英廣訳、岩波文庫、全2冊)も、自叙伝でもある『この人を見よ』(手塚富雄訳、岩波文庫)も完成できたのです。
● すべて語り尽くした上で発狂 彼の規則正しい「漂泊者」の生活は、1888年まで続きました。 1889年1月トリノで発狂、入院。 1900年8月ヴァイマールで死去、55歳。 清水はニーチェの発狂について、次のように著述しています。 「ニーチェは、語るべきことをすべて語り尽くした上で発狂しました。 発狂したとき、ニーチェには、新たに語るべきことはもはや残ってはいませんでした」
(本原稿は、出口治明著『哲学と宗教全史』からの抜粋です)
出口治明
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