ご破算連発の大乱に対処するには、大局が重要、時代遅れなべき論は無駄(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース

 

ご破算連発の大乱に対処するには、大局が重要、時代遅れなべき論は無駄

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プレスリーとビートルズが音楽に革命を起こした

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 エルヴィス・プレスリーは、米国では「キング」と称される。ハリウッド映画などでも、彼を「キングと呼び崇めたてまつる崇拝者」がしばしば重要な役割を果たす人物として登場する。

 

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 実際、「プレスリーの映画」は膨大な数に上る。日本でも「G・I・ブルース」などは(一定以上の世代)によく知られているであろう。  「プレスリーを知らない世代」の方々には、CAMBLY「ロックンロールのキング『エルヴィス』を育てた黒人文化」などが参考になるはずだ。  なぜこれほどの影響を世の中に与えたのか? 一つには、プレスリー以前の「音楽」が、現在我々が経験している「音楽」とはまったく異なったものであったことがあげられる。  古代に遡れば、YOMIMONO.com 老子第12回「檢欲第十二」において「五色」に溺れないよう戒めが述べられている。その中に「(五つの音を使った)音楽」が含まれているのは、現代人にとっては意外かもしれない。  「録音」の無い時代には、「五つの音を使った」楽団などによる(厚みのある)音楽を楽しもうとすれば、「自分の望む時間に」(楽器の演奏に秀でた)奏者をそろえて演奏させなければならなかったのだから大変な贅沢だ。  しかも、「100万曲、1000万曲ダウンロード可能な現代」と違って、1曲レパートリーを増やすためにもそれなりの練習が必要だから、その間の人件費などもかかるわけである。  いわゆるクラシック音楽も「王族・貴族の贅沢」から始まった。王族・貴族の「余興」のために演奏し、彼らから支援を受けなければ音楽家の生活は成り立たなかったといえよう。コンサートを開くにしても、やってくるのは上流階級・富裕層だけだ。  もちろん、庶民に音楽が無かったわけではない。どこの国でも古くからの民謡などがある。また、黒人奴隷の過酷な労働の合間の慰みから生まれたとされるブルースもあった。ブルースはジャズへと変化し、プレスリー以前にも普及はしていた。  だが、プレスリーの登場はそれまでの「音楽」の概念を根底から覆したともいえる。  例えば、クラシック、民謡、ジャズなどと1984年の映画「フットルース」で主演のケビン・ベーコン達が求める「音楽」との落差が象徴的だ。  「プレスリー」は音楽における「革命家」であったが、(映画「フットルース」に象徴されるように)それにとどまらず「保守的な文化・社会」に対する「反逆・革命」をも意味したと言える。

 

 

 

 

プレスリー登場の衝撃

 例えば、エルヴィスが初めて全米ネットワークTV『エド・サリヴァン・ショー』に出演したとき、「腰の動きがいやらしい」ということで、上半身しか映さなかったという有名なエピソードがある。  若い世代の読者には想像がつかないと思うので、「エルヴィス・プレスリー、セクシーすぎる禁断ダンスに女性客大興奮! 映画『エルヴィス』熱狂のライブシーン」や、本人が出演している「Elvis Presley - Jailhouse Rock (監獄ロック / エルヴィス・プレスリー)」などを参照いただきたい。  現在の我々から見れば「放送禁止」にする理由が全く理解できないが、当時の「べき論」から言えば、テレビで公開するには「とんでもなく卑猥」なダンスであったということだ。  また、我々は、「歌いながら踊る」ことに何の違和感も持たないが、当時「歌いながらダンス」することも異例であったといえよう。  日本でも、東海林太郎という歌手は直立不動で歌うことで有名であった。もちろん、彼独自のスタイルともいえる。しかし、当時のマイクの性能は今から見ればお粗末で、(固定式の)マイクに対する顔の位置が少しずれただけで音が乱れるという事情もあった。したがって、当時の歌手が歌うときの動きは少なかった。  つまり、「歌いながら踊る」ことができなかったのは、(現代ほど優秀では無かったマイクという)当時のテクノロジーの制約という側面もあったのだ。  したがって、プレスリーの「歌いながら激しく踊る」スタイルが可能になったのは、音響機器の発達のおかげであったともいえるだろう。  ちなみに、オペラ、カンツォーネ歌手が声量があるのは、マイクが無い時代に発達したから、声量が無ければそもそも多くの人々に、自分の歌をきかせることができなかったからと考えられる。

ビートルズ登場!

 ビートルズは、日本ではプレスリーよりもはるかによく知られているが、プレスリーたちが起こした「音楽革命」(ロックンロール)の多大な影響を受けて誕生した。  MIDNIGHT HERO 2022年9月12日「ビートルズ。20世紀の神話となった不良たち」が当時の状況を伝えている。  現在ではSNOW RECORDS 2012年12月26日「教科書に登場するロック・スター達 ~ ビートルズやジョン・レノン等」やRakuten Blog 2011年11月12日「『不良の音楽』は、教科書の定番となった」という「生徒のお手本」であるビートルズだ。しかし、デビュー当時は明らかな「反逆児、不良」であり、「若者はこうあるべき」という「べき論」の圏外にいた。  また、今や電子楽器無しでは音楽が成り立たないし、ほとんどの人々が「デジタル信号」に置き換えられた音楽を楽しんでいる。  だが、当時はビートルズに限らず、「エレキギターなどの電子楽器を使うのは邪道だ。生ギターなどを使うのが『本当の音楽』だ」と主張する人々も少なからずいた。だが、それは自分の過去の経験という狭い範囲で、「音楽はこうあるべきだ」と思い込んでいたに過ぎないことが現在では明らかだ。  もちろん、生楽器を使った演奏の素晴らしさは当然存在する。しかし現在では、それらもほとんどの場合は(録音された)「デジタル音源」で鑑賞することになる。  音楽は本来「自由」だ。だが、その自由なはずの「音楽」に「べき論」を持ち込む人々が少なくない。  プレスリーの「腰ふり」やビートルズの「エレキギター」だけではない。さらには、音楽以外の分野でも「無意味な『べき論』」がはびこっている。

 

 

 

 

 

 

 

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

 人生百年時代になっても、人間の寿命は人類の歴史に比べれば短い。ましてや「現役世代」の人生は数十年に過ぎない。  だから、自分のせいぜい数十年の「経験」で判断すべきではない。12月4日公開「金持ちになるためのやり方はシンプルだ~『正確に間違っているより、大雑把に正しい方がましである』」3ページ目「偉大な投資家は常に学び続ける」で述べたように、「オマハの賢人」バフェットも読書を通じて常に「先人の知恵」=「歴史」に学んでいる。  さて、古代ギリシャの哲学者プラトンは、「最近の若い者は、目上の人を尊敬せず、親に反抗する。道徳心のかけらもない」と述べたと伝えられる。また平安時代の清少納言も、枕草子に「最近の若者は……」と若者の言葉使いを嘆く言葉を残しているそうだ。  つまり、「『最近の若者は……』現象」は、古代から存在しているということだ。したがって、いまだに「『最近の若者は……」などと口走る人々は、まったく「歴史に学んでいない」ということになる。  古代から若者は、「古臭くなった『べき論』を打ち壊し、『革命』によって世の中を変えてきた」のだ。  「古臭くなった『べき論』」に固執し、「新たな潮流」を一生懸命に叩こうとする姿は、後世の人々からすれば見苦しいだけであろう。

式年遷宮に学ぶ

 2021年2月28日公開「1400年の歴史、世界最古の会社が日本に存在している…!」において、日本の連綿と続く「歴史」について述べた。この長大な歴史の背景には、伊勢の神宮の「式年遷宮」に象徴される、「20年ごとに『破壊と再生』」が繰り返される文化がある。  「べき論」などが通用するのは、「経験」が有効な20年程度の期間にしか過ぎないということだ。  例えば20年という単位で継続的に「『経験』の産物である『べき論』」が破壊され、「新たな世界」を生み出してきたことが「日本の長寿」の秘訣だ。  手塚治虫の最高傑作とされる「火の鳥」(参考:手塚治虫の最高傑作「火の鳥」の読み方ガイド)も「破壊と再生」=「永遠の命」=「火の鳥」の物語である。  このように、日本の長きにわたる歴史を支えてきたのが「破壊と再生」の繰り返しだ。

 

 

 

 

 

「戦略」ではなく「戦術」にこだわる人々が多い

 もちろん、「神は細部(ディテール)に宿る」(DIRECT)のは事実だ。「日本品質」も「細部にまで気を配る」日本人の気質のおかげだといえよう。  だが、象の耳、鼻、爪先のそれぞれのスペシャリストが、「象という生き物」の全体像を把握しているわけではない。  休息している象の足の爪先を観察している研究者は、象が突然歩き出したら踏みつぶされる。爪先を観察していても、象がいつ歩き出すのかまったくわからない。  同様に、戦術はあくまで「小局・中局」であり、戦争という「国と国との争い」である「大局」のごく一部に過ぎない。  どこかの戦場で「戦術」を駆使して優位に戦いを進めていても、「国と国との争い」である「戦争」が終わってしまえばそれまでだ。  特に、「大原浩の逆説チャンネル<第1回・特別版>大乱の八つのテーマと対処法」で述べたような「大乱」の時代には、「戦術」という「中局」、「小局」はすぐにひっくり返る。重要なのは「大局」なのである。

「大乱の時代への対処法」

 式年遷宮は20年ごとに行われるが、1945年の終戦以来おおよそ式年遷宮4回分の月日が流れた。

 

  1962年のキューバ危機の際に、世界が本気で恐れた「第3次世界大戦」がこれまで起こらなかったことは幸いだが、式年遷宮4回分の膿もたまった。  このまま「平和な時代」が続けばうれしいが、「歴史」に学べばそれはあり得ない。今度やってくる「大乱」は、「式年遷宮4回分」という「メガトン級」であることを覚悟しなければならないのだ。

 

  象が歩きだした時の爪先のように、「平和な時代=凪の時代」に当たり前とされていた「中局・小局」=「べき論」も大乱の時代には吹き飛ばされる運命といえよう。

 

  このような時代には特に、「歴史的な時間軸と分野を超えた幅広い視野」が必要である。

 

  例えば、音楽を始めとする「分野」は、人間が勝手に作ったものであり、大乱の中でその垣根が壊れていく。

 

  凪の時代には成り立ったことが、大乱の時代には海の藻屑となるのだ。「発想の転換」ができない人間は時代に取り残される。  自分自身の「破壊と再生」を行わないと、大乱の時代に生き残れない。

 

  冒頭の「プレスリー」、「ビートルズ」が「音楽」をどのように変化させたかを学ぶことは、これからの「大乱」の時代を生き抜くためにも重要だと考える。

大原 浩(国際投資アナリスト)

 

 

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