日本基督教団・代々木上原教会は、

日本キリスト教団 代々木上原教会 | Yoyogi-Uehara Church (yoyoue.jpn.org)

 

戦争責任告白 (yoyoue.jpn.org)

 

1967年に日本基督教団から出された、いわゆる「戦責告白」の全文およびその英訳を紹介しています。

当教会が1997年の創立当初より大切にしているものです。

第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白

わたくしどもは、1966年10月、第14回教団総会において、教団創立25周年を記念いたしました。

今やわたくしどもの真剣な課題は「明日の教団」であります。

わたくしどもは、これを主題として、教団が日本及び世界の将来に対して負っている光栄ある責任について考え、また祈りました。まさにこのときにおいてこそ、わたくしどもは、教団成立とそれに続く戦時下に、教団の名において犯した過ちを、今一度改めて自覚し、主の憐れみと隣人の赦しとを請い求めるものであります。

わが国の政府は、そのころ戦争遂行の必要から、諸宗教団体に統合と戦争への協力を、国策として要請いたしました。明治初年の宣教開始以来、我が国のキリスト者の多くは、かねがね諸教派を解消して日本における一つの福音的教会を樹立したく願ってはおりましたが、当時の教会の指導者たちはこの政府の要請を契機に教会合同に踏み切り、ここに教団が成立いたしました。私どもはこの教団の成立と存続において、わたくしどもの弱さと過ちにもかかわらず働かれる歴史の主なる神の摂理を覚え、深い感謝とともにおそれと責任を痛感するものであります。

「世の光」「地の塩」である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした。まさに国を愛する故にこそ、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました。しかるにわたくしどもは、教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを内外にむかって声明いたしました。まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。わたくしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主にゆるしを願うと共に、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、また我が国の同胞に心からのゆるしを請う次第であります。

 

終戦から20年余を経過し、わたくしどもの愛する祖国は、

今日多くの問題をはらむ世界の中にあって、

ふたたび憂慮すべき方向にむかっていることを恐れます。

この時点においてわたくしどもは、教団が再びその過ちを繰り返すことなく、

日本と世界に負っている使命を正しく果たすことができるように、

主の助けと導きを祈り求めつつ、明日にむかっての決意を表明するものであります。

1967年3月26日 復活主日
総会議長 鈴木正久

 

 

主よ、み国を―主の祈りと説教

1994/4/1 鈴木正久(著)

千葉県習志野で陸軍軍人・鈴木政義の息子として生まれた。1929年、日本メソヂスト中遠教会で受洗。

1936年、青山学院神学部を卒業。『日本メソヂスト時報』の編集主任を務めながら、日本メソヂスト碑文谷教会、同亀戸教会の牧師となる。

1941年、日本基督教団の創立に伴い同教団教師となり、本郷中央教会牧師、駒込教会(現:西片町教会)牧師、日本基督教団宣教研究所委員長、同伝道委員長、同常議員などを歴任。

1966年に日本基督教団のc総会議長に選ばれ、広島の原爆孤老ホームの建設や、

沖縄キリスト教団との合同、また

第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白のために

多忙な日々を過ごして体調を崩す。

多忙の故に病院の診断が遅れて、膵臓癌に倒れた。

家族と教会役員の相談の結果、長女が癌の告知をした。

その後、一ヵ月後に現職のまま死去した。

 

  • 長女 鈴木伶子(日本YWCA理事長、日本キリスト教協議会議長)

 

 

 

 

村椿嘉信牧師と一緒に、2013年日本基督教団・代々木上原教会を、去った。

牧師は、キリスト・イエスご自身の信仰「創造論」に立っていた。

教会は、使徒パウロの信仰「贖罪論」に立っていた。

信仰は、教会が担っていく。牧師が、身を引かれた。

 

私は、1973年、田川建三・大センセで、「イエスの追っかけ」となり、

10年間、走ったが、やはり、教会の外では、不十分かなと思い、

1983年春、復活節に、横浜市戸塚区の小さな伝道所で洗礼を授かった。

それから、足掛け40年目、「それまでの大きな区切り」とした。

 

 

戦後70年の神学と教会 (新教コイノーニア)

 

 

戦後70年の神学と教会 (新教コイノーニア)

2017/10/25 新教出版社編集部

戦後70年にあたる2015年の『福音と世界』特集記事を、
「神学」と「教会」のふたつの視角から精選し集成。
第1章「神学」では、
聖書学や組織・実践・歴史神学の70年来の成果と課題を示すのみならず、
教育、フェミニスト神学、沖縄の神学や移住民の神学の豊かな広がりを提示。
第2章「教会」では、
諸教派の戦責告白を踏まえつつ、
教会が果たしてきた働きと残された課題を振り返る。
新たな戦火が眼前に迫るいま
戦後とは何だったのかを
信仰と社会の切り結びにおいて問いなおす全17論考!
 
 

村椿 嘉信

1952年、横浜に生まれる。

東京神学大学、同大学院、ドイツのヴッパタール神学大学で組織神学を学ぶ。

日本基督教団東京教区の柿ノ木坂教会に伝道師として就任。

1983年に沖縄にて宜野湾伝道所の牧師となる。

1998年にドイツのケルン・ボン日本語キリスト教会牧師に就任。

2001年に沖縄に戻り、日本基督教団沖縄教区の石川教会牧師、沖縄教区総会議長、沖縄キリスト教学院理事等を歴任。

2010年に東京教区代々木上原教会牧師に就任。

2013年に再び沖縄に戻る。

その間、琉球大学、沖縄国際大学、沖縄キリスト教学院大学や沖縄キリスト教短期大学の非常勤講師、

沖縄宣教研究所平和部門委員長等を歴任。現在は病気療養中。ぎのわん集会代表。

【著書】

『喜びの大地-聖書との対話』日本基督教団出版局(2003年)

『荒れ地に咲く花 ― 生きること、愛すること』ヨベル(2021年)

【翻訳】

ディートリッヒ・ボンヘッファー(オットー・ドゥドツス編)

『主のよき力に守られて、ボンヘッファー1日1章』新教出版社(1986年)

カール・バルト『K・バルト説教選集4』日本基督教団出版局(共訳、1994年)

カール・バルト『K・バルト説教選集3』日本基督教団出版局(共訳、1995年)

アルノ・グリューン『私は戦争のない世界を望む』ヨベル(共訳、2013年)

アルノ・グリューン『従順という心の病い』ヨベル(2016年)

【論文等】

論文集、紀要、雑誌、通信、個人誌などへの掲載多数