
タオイズムの風
アジアの精神世界
1997/5/1 福永光司(著)
福永/光司
1918‐2001年。
1918‐2001年。
大分県生まれ。中国思想史家。老荘思想・道教研究の第一人者。京都大学名誉教授
中国江南に端を発するタオイズム、すなわち道教は、古代日本に伝わっていなかったという説は近年覆されつつある。
「古事記」から江戸国学、明治時代の哲学、そして現在に至る日本の思想と文化を貫流する道教の風に耳を傾ける。
==或る書評より
「私は大学を卒業してすぐに軍隊(熊本の野砲兵第六連隊)に入り、その後南支派遣軍に転属して、ずっとこの中国の「船の文化」の地帯に駐屯しておりました。戦地での初めは連隊副官でしたが、間もなく師団(第百三十師団)副官にかわり、終戦後も、それまで師団副官を務めていた関係上、
現地に残って戦犯裁判関係の人たちや西方、南方から広東に送られてくる日本の将兵・居留民のために、
中国の国民党政府と掛け合って食料を確保するという仕事をやっておりました。」
道教の世界で福永先生は暮らしていた実体験を、「中国南方の沿海地域の人たちと現地でずっと一緒に生活をしていましたので、「船の文化」の人々の生活習慣を実見する機会に恵まれました。」
戦争を体験した人たちは、大変な体験をしているのに戦争については、余り多くを語りません。
道教の世界で福永先生は暮らしていた実体験を、「中国南方の沿海地域の人たちと現地でずっと一緒に生活をしていましたので、「船の文化」の人々の生活習慣を実見する機会に恵まれました。」
戦争を体験した人たちは、大変な体験をしているのに戦争については、余り多くを語りません。
茅山道教と言う南方の道教と北方の道教とがあるということ、道教思想の流れが分かり、いかに沢山の影響を日本に与え続けて来たかがよく分かりました。東京大学や京都大学で教鞭をとられている先生が、師団副官と言うのも驚きです。
中国とロシアと言う観点から戦後の日本人の扱いを見ると、驚くばかりです。中国人の寛大さに戦後の日本人はもっともっと感謝しなくてはいけないと思いました。ロシアは今現在ウクライナに侵攻中でテレビ報道では、残虐行為が報道されています。武器もない市民を無差別に殺し、その証拠を消すためにロシアが努力をしている様子が報道されています。市民に残虐の限りを尽くしていますが、これら全ては、日本人は先の大戦で残念ながら体験しました。シベリアの抑留生活の中で亡くなった日本人たちも大変でしたが、ソルジェニーツィンの小説でロシアはロシア人に対しても支配者は過酷だと言うことは有名です。
戦後も中国人は、日本人の各地から集合し帰還するのを妨害せず、穏やかに帰国させたように受け取れます。ロシアの仕打ちと比較する時雲泥の差です。ここが儒教や仏教や道教という思想がしみ込んでいる民族と、そういう理念を持たない民族の相違かと思いました。
中国とロシアと言う観点から戦後の日本人の扱いを見ると、驚くばかりです。中国人の寛大さに戦後の日本人はもっともっと感謝しなくてはいけないと思いました。ロシアは今現在ウクライナに侵攻中でテレビ報道では、残虐行為が報道されています。武器もない市民を無差別に殺し、その証拠を消すためにロシアが努力をしている様子が報道されています。市民に残虐の限りを尽くしていますが、これら全ては、日本人は先の大戦で残念ながら体験しました。シベリアの抑留生活の中で亡くなった日本人たちも大変でしたが、ソルジェニーツィンの小説でロシアはロシア人に対しても支配者は過酷だと言うことは有名です。
戦後も中国人は、日本人の各地から集合し帰還するのを妨害せず、穏やかに帰国させたように受け取れます。ロシアの仕打ちと比較する時雲泥の差です。ここが儒教や仏教や道教という思想がしみ込んでいる民族と、そういう理念を持たない民族の相違かと思いました。
茅の輪っかが、神社に設けられ、中元の頃に道教で行う祭りという。しっかりと道教の風習の中を我々日本人も生きているのに驚きました。粽食べ食べ兄さんが計ってくれた背の丈と歌いますが粽も道教の祭りの食べ物と聞き、中華街で粽を作る光景、買う光景が報道され、粽は脂っこいけれど元気が出ておいしいよなとか思いました。日本と言う国は本当に中国文化の下流、海の中に浮かぶ下流のさらに先にある島なんだと小ささを感じました。
明治維新の時に、日本では欧米に追随するか、中国に追随するかで、時の指導者の中に分裂がありました。脱亜入欧を目指して欧米の機械文明を必死で学び、何とか猿真似ではない独自の発明をしたいと足掻いてきたのが日本と言う国だと言う気がいたします。「ヨーロッパは互いに妬みあいながらも、東洋人に対しては結束して、ひたすら威圧的態度に出るのをためらわない。」東洋人である日本人に対しては核爆弾を投下しても、白人同士の戦争では絶対に用いない。日本が覇権を執ろうとすれば中国人が邪魔をし、中国人が覇権を執ろうとすれば日本人が邪魔をする。アジアは、インド、イラン、中国、日本、タイ、ベトナム、絶対に欧米のように、団結して一点に向かって統一した路線を組めないままいつもいがみ合って足を引っ張りあっている。道教がアジアの指導理念になることが出来ないのか。道教の始祖老子は、思ったよりもはるかにコスモポリタンで、世界が互いにないものを補い合いながら力を合わせて共存共栄をしていく道を示しているように思いました。
道に従って人主となった人はどのように生きるのか、老子は答えて、「道に従って人主となった人は、軍事力を用いないでも、早いことみんなから支持を受けて天下をまとめるものです。軍隊がいる所は荒れ野原となり、国を挙げての侵略は凶作を呼び込み餓死者が出てしまう。一番いいのは、座り込んで武器を用いて侵略をしたりせず、言うことを聞かないからと言って、攻め立てることなく、座り込んでいるだけで動かなければ、これこそが本当に強い国なのだ。若くて盛んなものも老いる。力で何でも屈服させようとするものは、驚くほど早く滅びてしまう。」
侵略戦争が、起きている。老子の言葉の通りに、びっくりするほど素早く攻撃に国力を尽くしている侵略者が滅びて消えてしまい、世界平和な再び達成して、世界中が協力をしてお互いに豊かに暮らせるように、希望します。
今、アメリカではタオイズム、道教の研究が盛んだと聞きます。さすがに、世界一番の国は違うなと思いました。
==或る書評より
老荘思想の専門家による、老荘思想に起源をもつタオイズム(道教)の考え方、そして日本への伝播をわかりやすく説いた対談。
例えば、都の構造。平安京や平城京は、天皇の住まいである内裏(御所)は、都の北に偏っている。これは唐の都、長安城に倣っているため。より古くは、君主の住まいは都の中央に位置している。周の都、鎬京や洛邑がそうである。それらに倣った藤原京は、都の中央に内裏は位置している。なぜ、唐の長安は北に偏ってしまったのか、それは南北朝時代に、時の政権が道教の影響を受けたためである。道教はちょうどその頃教義的に確立して、非体制側から体制側に近づいてきたらしい。北極星は天界で、すべての星を従えていて、まさしく天上の帝になぞらえることができる。そして、北極星の位置するところは北に偏っている。同じように地上を治める天子の位置するところも中心よりは北に位置しなければならない。そういう考え方に倣ったようだ。こじつけのようだけれど、それなりに説得力がありました。
福永氏は、中国の文化は、儒教の思想を「馬の文化」と呼び、道教の思想を「船の文化」と呼び、対照的な二つの考え方から成り立っていると説明する。そう考えると、多くの現象が説明できるそうだ。日本の文化も、天皇家を初め、八幡宮や鎌倉仏教などの宗教は、その影響をもろに受けているとのことだ。福永氏が最も主張したいことは、儒教とともに道教の考え方を理解することによって、価値観の固定化を防ぐ知恵をつけることだと、私は解釈しました。つまり、価値と思われることも反価値と思われることも、「塞翁が馬」の話が示す通り、必ずしもそうではない。価値・反価値を包み込む包容力こそ東洋の精神で、排他的なキリスト教やイスラム教の考え方では解決できない問題を、解決する糸口になるのではないか。
以前私は、ユーチューブで、福永氏の対談「NHKアーカイブス、こころの時代、南船北馬の精神史」を視て、非常に啓発されました。それで、この本を注文して読みましたが、さらに多くのことを学びました。
例えば、都の構造。平安京や平城京は、天皇の住まいである内裏(御所)は、都の北に偏っている。これは唐の都、長安城に倣っているため。より古くは、君主の住まいは都の中央に位置している。周の都、鎬京や洛邑がそうである。それらに倣った藤原京は、都の中央に内裏は位置している。なぜ、唐の長安は北に偏ってしまったのか、それは南北朝時代に、時の政権が道教の影響を受けたためである。道教はちょうどその頃教義的に確立して、非体制側から体制側に近づいてきたらしい。北極星は天界で、すべての星を従えていて、まさしく天上の帝になぞらえることができる。そして、北極星の位置するところは北に偏っている。同じように地上を治める天子の位置するところも中心よりは北に位置しなければならない。そういう考え方に倣ったようだ。こじつけのようだけれど、それなりに説得力がありました。
福永氏は、中国の文化は、儒教の思想を「馬の文化」と呼び、道教の思想を「船の文化」と呼び、対照的な二つの考え方から成り立っていると説明する。そう考えると、多くの現象が説明できるそうだ。日本の文化も、天皇家を初め、八幡宮や鎌倉仏教などの宗教は、その影響をもろに受けているとのことだ。福永氏が最も主張したいことは、儒教とともに道教の考え方を理解することによって、価値観の固定化を防ぐ知恵をつけることだと、私は解釈しました。つまり、価値と思われることも反価値と思われることも、「塞翁が馬」の話が示す通り、必ずしもそうではない。価値・反価値を包み込む包容力こそ東洋の精神で、排他的なキリスト教やイスラム教の考え方では解決できない問題を、解決する糸口になるのではないか。
以前私は、ユーチューブで、福永氏の対談「NHKアーカイブス、こころの時代、南船北馬の精神史」を視て、非常に啓発されました。それで、この本を注文して読みましたが、さらに多くのことを学びました。