釈尊は「分析的に」世界を認識する!

「死苦が起こるプロセス」を観察するから!

 

「色受想行識」

 

インド哲学の五蘊「色・受・想・行・識」を用いた行動分析 (moeginosato.net)

人間は 1 つの肉体的要素と、4 つの精神的要素の、合わせ て 5 つの要素で構成されている。

 • ルーパ(RUPA)=色

 • ヴェダナー(VEDANA)=受

 • サムジャナ(SAMJHANA)=想

 • サンスカーラ(SANSKHARA)=行

 • ヴィジュニャーナ(VIJNANA)=識

 

 • 色 (しき) → 事物

 • 受 (じゅ)→ 感受(印象)

 • 想 (そう)→ 表象(イメージ)

 • 行 (ぎょう)→ 意志(行為)

 • 識 (しき)→ 認識(結果)

 

 この 5 つの要素がどのように関係し合って人間を構成しているのか、以下に例をあげなが ら解説します。

 5 つのうち、色だけは物質的なものを意味する言葉です。物質的な母体がなければ、精神的な機能もなくなります。精神的な作用に対して形のある事物を「色」を要素の1つと捉 えるため、人間でいえば形状を表す部分(目、鼻、口、髪の毛や血液など)であり、世の 中の物体として存在するものはすべて「色」となります。例えば、人間「色」の前に、動物「色」が現れた時。

 

このように「色」と「色」が出会うことで人間が動物を認識すると いった精神作用が働くことになりますが、

この「色」に対する認識の過程を4つに細分化 して加えたものが五蘊となります。

 

「色」以外の受、想、行、識はすべて精神的な作用を さしています。「色」に対する精神作用を 4 つの要素に分類することで、精神構成を科学 的に理解しようとする試みです。具体的に解説しますと、「受」は感受作用を指してお り、「動物を動物だ」、「動物をライオンだ」と認識する作用をさします。「想」とは、 表象作用を指しており、動物やライオンを「危険」とか「かわいい」とイメージする作用 をさします。「行」とは、意思作用であり、「危険だから逃げよう」或いは、「かわいい から触れよう」と行動に結び付く意思作用をさします。「識」とは、一連の流れから出た 意思作用に対する結果を認識する作用であり、「危険だから逃げて良かった」「また来た ら逃げよう」というように、その結果をもとに「受」「想」「行」を繰り返したり、修正 したりする行為等につながっていきます。

 

 

他方、

中国人の「老荘思想」は、全体を直感的に把握する。

 

『荘子』「斉物論」篇

是非、善悪、美醜、…を越えた自然の世界を、最高の境地とする。

 

 

「無」の思想―老荘思想の系譜

1969/10/1 森 三樹三郎 (著)

無とは何か、死とは何か。
真理は言葉によってとらえうるのか。
これらの根本命題を課せられた人間を思うとき、われわれは、
無を拠点とする東洋思想から、あまりに遠く隔たりすぎたのではないか。
本書は、言葉を超えた真理を追究し、自然に帰れと説く老荘の哲学を核に、東洋自然思想の系譜を、
禅から親鸞、宣長、芭蕉へとあとづける。
西洋合理思想になれ親しんだ現代人にとって、東洋的虚無の立場から存在の本質に迫る必読の書。

人間の言葉は、ありのままの真理をあらわすに不適当である。
そこに荘子の「弁ずるは黙するにしかず」という主張も生まれる。それでは沈黙を守ることだけが、真理を伝える唯一の道なのであろうか。沈黙は言葉に対立するものである。たがいに対立するものは同じ次元の上にあることになる。言葉が真理を伝えることができないとすれば、沈黙もまた真理を伝えることができない。とすれば「非言非黙」のみが、残された唯一の道である。
それでは非言非黙とは、具体的にどうすることであるか。それは言葉を用いながらも、言葉にとらわれないことである。
禅宗風にいえば、言葉は月をさす指であり、月のありかがわかれば、邪魔になる指は切りすてるがよい。
――本書・不立文字の思想より

読売新聞書評より(本書掲載)
本書はインド的なものとの出会いによる複雑な展開を充分に腹にすえながら、
中国的な無の思想〈老荘思想〉の大本を明確にし、かつその思想の変容のあとを概説した。
著者は中国思想の専門家、ことに道家思想の造詣において定評がある。
その専門的知識を駆使して、老荘思想の展開に新指標を打ち立てた野心作である。
仏教の空思想を知る上で、中国的無の思想の実態を心得ておくことは大切である。
本書はそのような要望にも格好の手引き書となる。