洞山禅師は「無師独悟」である。「過水の偈頌」で、悟りを表現した。
日本の比叡山の天台宗で、
日本達磨宗・大日能忍も「無師独悟」した!
義介禅師が、道元の死後、懐奘の指示で、
中国・南宋に渡り、
最新の「中国禅・看話禅」と「密教風儀式」を、将来した。
「永平寺三代」に就き、それを用いて強引に変更したが、
多くの反対に遭い、逆に、永平寺から去っていった。
永平寺という制約がなくなったので、
「日本達磨宗」の教えの下で、瑩山禅師を育成した。
この瑩山禅師の弟子の代に、
「洞山五位説」の修行方法で、優秀な人材を大量に排出した。
その結果、1万5千ヶ寺の大教団に成長した。
日本達磨宗は、「日本の土着信仰」を基盤とした
独自の宗教を形成した。
瑩山禅師の宗教は、世界の「普遍宗教」であり、
「梵我一如」「宇宙原理=自己」と教えた。
主著『伝光録』釈尊の御悟りの内容の記述が、まさにそうである。
しかし、
歴史上の釈尊は
「ヒンドゥー教」の「梵我一如」では救われず、
「ヒンドゥー教」を捨てて、
「死苦の起るプロセス」を冷静に観察して、
「縁起で現象が起こる」事実を発見して、「死苦」から解放された。
他方、「永平寺」の方は、
一応、日本達磨宗の「義演」を四代に就けて、融和を図るが、
その後は、
中国人「寂円」の系統の、本命の「義雲」を五代に就けた。
純粋の「中国禅」を布教した。
道元は「原始仏教・正伝の仏法」であるので、
義介・瑩山の「日本達磨宗」でも、
義雲の「中国禅」でも、
その教えは、引き継がれなかった。
道元が「原始仏教」を前面にだした「新草」『正法眼蔵』全12巻は、
懐奘・義介の下で、隠蔽されたので、
戦後、初めて一冊だけ、写本が発見された。
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さらに重要な事は、
懐奘・義介は、道元から「嗣書」は最後まで授からなかったと考える。
だから、
瑩山禅師の下、総持寺の法統・法系では、
この「洞山五位」を「嗣書」として、授けている。