「中国の臨済宗」の流れである・・・

中国人の「寂円」(第一世代)の直弟子「義雲」(第二世代)には、

『義雲禅師語録』が編纂され、今日まで、残っている。

(だから、道元は、20年以上修業した「寂円」に「嗣書」を授けなかった)

 

なのに、

「日本達磨宗」の流れで・・・

『懐奘禅師語録』『義介禅師語録』『瑩山禅師語録』が、何故、作られなかったのか?

中国の臨済宗とは別の流れ「天台密教」「日本教」だったからである。

 

例外的に、瑩山禅師には、若いころの「自分の講義録」『伝光録』だけが残っている。

これは瑩山禅師の死後ではなく、生前に著作物が出来上がっている。

 

つまり

「上堂」が「その宗教の中心」でなくなってしまっていたので、作成せずとなった。

 

代わりに、

曹山禅師の「五位説」が、密教での、密かな、「密伝」の内容として用いられた。

小さな紙に書かれて、秘密の、解釈が、秘事が、連綿と、伝わっていった。

 

これこそが「日本教」の原初形態である。

「茶道」でも、秘密の教えが、伝わっていく。

 

 

親鸞が「息子」を義絶したのは、

息子が「親鸞聖人から「秘密の教え」を一人伝わっている」と嘘を言って、

関東の念仏宗の人々を、自分に引き寄せていたからである。

 

父から子に、密かに「秘事」を伝える。

これこそ「日本教」では、自然な行為であったろう。