先ず、日本人が学校で教わる「英語の文法」は、
英国人が学校で教わる「英語の文法」と同じ内容である。
ところが、日本語の教育にあって、全く、「別の文法」を教えている。
これが大問題である。
原因は「外人向けに日本語を教えている教師」が
「日本語の文法」のことを、知らないことにある。
日本語の文法は、江戸時代から精緻に研究されている。
その研究成果を全然学んでいない。
現在の「学校文法」「橋本進吉の文法」は立派なものである。
これに戻って、これを土台にして、再構築する必要がある。
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英語文法では、時間軸は、自分の外に、客観的に存在する。
過去⇒ 今、現在⇒ 未来
他方、
日本語文法では、助動詞「た」は、
「~て、あり」⇒「~たり」⇒「~た」と変化したものであり、
「話者の気持ち、認識」、つまり主観なのである。
助動詞「た」は「主観的に、確認する」行為である。
主観だから、文章の最後に「た」を付加する。
客観的な「コト」は、最初に記述する。
例文1:
昨日は、雨だっ「た」。
「過去の出来事を想起して、それを、今、確認する」それが「た」である。
この場合には「英文法の過去形」が対応することになる。
しかし、別の例として…
例文2:
明日、一番に教室に行っ「た」人が、教室のカギを開けてください。
これは、「明日」だから未来のできごとである。
だから英語の時制の「過去形」ではない。
…つまり、
一番に教室に「行く」コトを助動詞「た」で一旦、確認し「その」人が、カギを開ける
例文3:
今日は、疲れ「た」。
…これも、今の状態のことであり、そのように「実感している」のだ。
例文4:
やはり、明日の会議は、10時からだっ「た」よ。
…これも、未来のことであり「確認」の意味である。
例文5:
黄色に塗っ「た」壁
…今、黄色に塗ってあるコトを「確認した」壁
…完了し、現在も持続している状態
…過去に黄色に塗って「現在はどうか分からない」ではない。
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この単純な文法が「外人に日本語を教える教授」が説明出来ていない。
英語文法の時制・テンスで、必死に説明しようと、あがいている。
これは、
「外人の生徒」にも、「日本人の新米教師」にも不幸なことである。
この誤りを、誰も正さない。
「日本語文法・学会」では、迷惑行為なのである。
現在の「外人向けの、日本語教育・産業」は、
最初に「いんちき・日本語・文法」を広めてしまったので、
それが「巨大な既得権の領域」を築いてしまって、
それから外れた者は、大学の研究分野でも、生き残れなくなり、
悪循環の泥沼に嵌ってしまい、抜け出すことが出来なくなっている。
大学でも「インチキ・外人用・日本語文法」で学生を洗脳し、
「インチキな文法」を大量に再生産している。
