「実際のイエスご自身の信仰」が、多くの信仰に対して、
「リトマス試験紙」になります。
実際のイエスを無視するのも、「その人・自分の信仰」なのです・
マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネと、4種類の信仰が、
100年間の長期的な、妥協的な、初期カトリックの会議で合意されました。
これは、どのようにしても、一つに総合・統合できませんでした。
神学者マルコは「生身のイエス」の「教えとその生き方」の中に、
「神ヤハウェの働き」を見出した。
だから、
生前のイエスを完全に否定して、一言も触れない
完全に無視する「使徒パウロ」と、世界伝道の途中で、喧嘩別れした。
田川建三の解説を参照の事。
(パウロの信仰は贖罪信仰、イエスは創造信仰、水と油)
神学者マルコは、「西暦50年代に」執筆しているので、
「西暦30年頃に」刑死したイエスの
神の国の緊迫の到来の「予言が外れた事」を知っている。
また、
「神に見捨てられた」ことを知って
「絶望し、大声をあげて殺されていった」ことも知っている。
(「マルコの母たち」が、それを近くで見て聞いていただろう。
直弟子たちは捕まるので、逃げ出していたが、
当時、女は無視される存在だから、安全で逃げなかったのである。)
その「イエスの生き方」の中にこそ「神ヤハウェの働き」を見出した。
「バビロン捕囚」の50年間で、
「バビロン帝国の神々」に、「ヘブライ民族の神」が敗北した
ように見えた時に、
『創世記』という「神学の書」を、生み出したのと同じである。
イエスは、何度も回心をしている。多分、3回。
先ず、イエスは、30歳頃に、
(当時は早婚だから二十歳前に結婚)、
だいぶ壮年であり、
結婚して子供を造って家庭を築いている年頃であるのに、
独身であり、
「人妻を見て欲情する」ことに「罪を犯した」と考えて悩む人物だった。
(ユダヤ教では「実際に姦淫をする」と初めて罪を犯したことになる)
だから、・・・最初の回心
「寡婦である生母マリヤ」や「弟や妹」を捨てて、家出して、
「罪を清める洗礼」を洗礼者ヨハネから、ヨルダン川で受けた。
神学者マルコは、
この時、天・神の国から、「鳩・聖霊」が降りてきて、
天からの声が「我が愛する子」と「イエスの耳」にだけ、達した。
その後、・・・第2の回心
ヨハネ教団に入団し、人里離れた「荒野の修道院」で生きていたが、
神ヤハウェから「啓示」を受けた。
「サタンが天から追放されて、地上に電のように落ちてきた」のを見た。
ここから、預言者となった。
ここから「預言者」としての使命で、「ヨハネ教団」を捨てて出て、
民衆のいるガリラヤ湖畔に行き「神の国の到来の福音」を広めていった。
しかし、ガリラヤ湖畔では、
民衆は、病気直し・サタンを追い出す奇跡だけ求め、
「神の国の到来の布教」は、失敗に終わった。
だから、
「最後の審判」の到来を早めようとして、
「過ぎ越しの祭り」真っ最中に、
「エルサレム神殿一局支配体制」を批判するために、上った。
しかし、
逆に、「ローマ帝国支配に逆らう民衆煽動」の罪で、
「政治犯に適用される一番残酷な十字架刑」にされた。
イエスは
最後まで神ヤハウェが奇跡を起こして救ってくれると信じていた。
だから、
必死で「なぜ自分を見捨ててしまったのか?」と訴えたが、
神ヤハウェは、最後まで応えてくれなかった。
・・・見捨てられたと知って、3回目の回心
神学者マルコは、
この「イエスの死のプロセス」を見て、これに対して、
百卒長が、神に代わって「神の子だった」と信仰告白させている。
更に、マルコは、
ペテロ達の直弟子や自称使徒のパウロに
「対して、キリストとして、復活し顕現する体験談」があるにもかかわらず、
「この物語」を、全て、無視している。
単に「墓がからっぽだった」と記述している。
そして「ガリラヤ湖畔で、再び、出会うことができる」と天使?に言わせている。
つまり『マルコ福音書』を最初に戻って、読み返せ!と促している。
「実際のイエスの信仰」を、神学者マルコが解釈して、
その信仰を肯定して、新しい意味を見出して拡張しているのである。
むしろ、
この「振り返り」によって、より高度に「変わっている」。
「古代人マルコの神学」は、「現在の神学」をも、超えているのである。
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他方、
神学者カール・バルトは、「使徒パウロの贖罪信仰」に、立脚している。
西田幾多郎が滝沢克己にドイツ留学に対して、
「このバルトの大学講座で学べ」とアドバイスした。
同じ大学のナチ党に入党した「ハイデガーの講座」を、避けさせた!
戦争と革命の危機の時代にあって、人間主義的な近代神学を批判し、
神と人間の断絶を唱えながら、逆説的に信仰の絶対性を回復させようとした、
20世紀を代表するプロテスタント神学者カール・バルトの代表作。
本書は20世紀のキリスト神学に革命をもたらすと同時に、
「危機神学」「弁証法神学」の古典として、現代哲学にも大きな影響を与え続けている。
原著は1919年第1版刊。本訳書は1922年刊の第2版にもどつく。
1968年に河出書房新社より刊行された旧訳を全面的に改稿し、
2001年に平凡社ライブラリーで刊行
バルト,カール
1886‐1968。20世紀を代表するプロテスタント神学者。
神学者フリッツ・バルトの子としてバーゼルに生まれ、ベルリン、チュービンゲン、マールブルク等の大学神学部で学ぶ。1909年からジュネーブの教会の副牧師をへて、11年にザーフェンウィル村の教会の牧師となる。
村の工場の労働組合運動や社会主義運動に参加し、15年には社会民主党に入党する。
第1次世界大戦を機として示された近代神学の無力さに失望し、新たな神学を目指し、
『ローマ書講解』を19年に発表。さらにそれを全面的に改訂し、22年に再版する。
これが大戦後の神学界に強烈な影響を与え、「弁証法神学」という名で呼ばれる新しい神学運動の出発点となる。
21年にゲッティンゲン大学に招聘され、ミュンスターとボンの教授を歴任するが、
33年から反ヒトラーの教会闘争の理論的指導者として活躍したため、
35年にドイツから追放され、スイスのバーゼル大学に移った
==或る書評より
超越神の永遠の相の下で神学的思惟を続けたバルトだが、
実はその栄枯盛衰は時代の流れという現世の背景を抜きには理解できない。
本書(初版1919年、第2版1922年)が出版されたのは、第一次大戦という、
世界と人類にとって危機的な出来事の余韻が未だ消え去らぬ時代だった。
人々が戦後の不安と微かな希望の中で精神的な拠り所を求めていた時、
キェルケゴールの思想を手がかりに神と人間との間の「無限の質的差異」を突きつけ、
実存の危機にある人間に対する超越神の救いの音信を高らかに謳った本書は、
歓呼の声をもって迎えられたのだった。
その後、バルトは「危機神学」ともキェルケゴールとも訣別し、
『教会教義学』に代表される「神の言葉の神学」へと方向転換する。
それは、祈りの中で神の言葉である聖書に聴き従いながら、
切り口を変えても「金太郎飴」のように、ひたすら神の恵みの豊かさと勝利を饒舌に語り続けるものだった。
しかし、
第二次大戦の経験を経て、世界と人類とが再び実存の危機に目覚めた時、
おめでたい天からの恩寵を説き続けるバルトの神学は、現実から遊離した「天上の独白」として信頼を失墜してしまった。
神学界の趨勢はブルトマンの時代へと移り変わっていく。
皮肉にも、バルト自身が乗り越えられたものと考えていた本書『ローマ書講解』こそ、
同時代の証言として貴重な古典であるだけでなく、
安寧のうちにまどろむ個人に実存の危機を覚醒させる力を今日なお保ち続け、
(既に「読まれざる古典」となった『教義学』とは裏腹に)広く読み継がれている。
バルトの遺産の中で後世に残すべき価値のあるものは、
後期の紙屑の山(9千頁!)ではなく、本書にこそ求められるべきだろう。