漢字を「ローマ字的表記」に、しなかった!
漢字の特性を日本語に生かした万葉集!
つまり、漢字を飼いならして、
「漢字の絵の意味」「視覚文字情報」を生かして、日本語を写し取る。
山上憶良は、いろいろと試行錯誤して、最適解を、見つけようとしている。
隣の民族は、
愚かにも漢字を排して、「漢字の発音記号=ハングル」にした!
中国において造られた、発音で漢字を分類した「字解」「字典」と、
チベット僧侶の考案した「子音+母音」分解表記の「パスパ文字」と、二つを基盤にして、
短期間に「漢字の発音記号」を開発し、朝鮮語訛りを正そうとした。
正しい漢詩を作るために、最優先しなければならなかった。
そもそも「標準の朝鮮語」が存在しないのだから、
「ハングル記号」を用いて正確に厳密に「薩摩弁」を写し取っても、
「津軽弁」の人間には通じない。
仏教の経典をハングル記号で表記したのは、主要な名詞が「漢語」であり、
「てにをは」の部分だけが「朝鮮語」だったので、翻訳実行されたのであろう。
同時に「朝鮮語の文学」が生まれなかった原因でもある。
「ハングル発音記号」「子音+母音+子音」のため、
「漢語が多い朝鮮語の文」から「象形文字の図形的な情報」をすべて、捨ててしまった。
これは、「書き言葉」としては、絶望的な劣化行為である。
「中国語の一つの音・一音節」だけで、膨大な「漢字の語」を区別する必要が発生した。
「金」「水」「肉」「女」偏のグルーピング構造が、消滅してしまった。
そして、聴覚の情報は、視覚情報に比較して、貧弱であり、低速である。
これを行ったのも、朝鮮人が考えたのではなく、中国人朱熹=朱子が考案した
中国人の土着の迷信「儒教の朱子学」で洗脳されてきたから、暴挙を行った。
現在は、自分の「朝鮮語」を捨てて、「英語」熱に狂乱している。
母語で高度な思考ができなくして、自滅への道をひたすら走っている。
(1)
「漢字の複雑な発音」を、「単純な日本語の発音」「五十音」に変換。
(2)
「日本語」の単語に、対応する意味の「漢字」を被せる。
その「漢字」に「送り仮名を添え」て「その裏に存在する日本語」を示す。
他動詞の「あける」は「開ける」に。
自動詞の「ひらく」は「開く」に。「ドアが開く」
VS 他動詞の場合は「ドアを開く・ひらく」。
自動詞の「あく」は「開く」に。「戸が開く・あく」
(3)
このいろいろに読むとことから、
逆に、日本においては、
「漢語」においても「日本語」の単語になるので、
「行」が3つの「異なった発音」になる。
呉音「修行・ぎょう」、漢音「銀行・こう」、唐音「あん・行燈」

漢字百話 (中公文庫BIBLIO)
2002/9/1 白川静(著)
100項目に細分化された漢字小咄かと思って読み出すと、まったく内容的には違った。
著者は漢字の根源から考察し抜く筋金入りの本格派。収録されている100項目の「漢字関連情報」は、
象形文字から隷書、漢字、日本に渡って仮名といった具合で、時間軸に沿ってその変遷をたどっていく。
1から60くらいまでは、かなりヘヴィーな話満載。漢字の根源は象形文字で、それを使っていたのは
呪術に支配されていた未開社会(ということばは適切じゃないかもしれないが)の人々。
「文は文身であり、出生・成人・死喪の際の通過儀礼を示す」のであり、
「ことばにことだまがあるように、文字もまたそのような呪能をもつ」。
「道とは恐るべき字で、遺族の首を携えていくことを意味する」
「眞とは転倒せる死者の形である。上部は化、すでに化したるもの」などなど。
すべてがこのように血塗られていて、読んでいて腹のあたりが重くなり、もう限界・・となる。
そうなったら、間を飛ばして、第7章「漢字の歩み」から読み進める。
おどろおどろしいトーンは背景にさがって、漢字や文字、中国思想と文化についての示唆に富んだ明察が連続する。