要は、「道元の宗教」「正伝の仏法」「原始仏教」「小乗仏教・縁覚乗」そのものは、
日本の仏教世界、日本人の心には、何も影響を及ぼさなかったのである。
日本曹洞宗は、天台宗の白山信仰の修験道の信仰の上に乗って、
日本教となって、旧天台宗の古寺・廃寺に置き換わって、農民・民衆に布教された。
(私の盛岡市、南部藩の不来方城「寺町」北山にある菩提寺「源勝寺」も、現在、
三十五世になっているが、元々は天台宗の寺を曹洞宗に改宗したものである。)
江戸時代に
「お殿様」が暴走すると、これを臣下の家老が捕まえて、座敷牢で幽閉した。
これで、
徳川幕府からの「お家断絶の命令」が来ることを防ぎ、藩の平和を維持した。
道元の場合も、全く同じで、道元は日本人の心が解っていなかった。
自分は「原始仏教」に回帰したが、
「日本人には相応しくない宗教」である事実を、把握できていなかった。
だから、永平寺二代懐奘禅師と三代義介禅師とが共謀して、
道元を神棚に祭り上げて、「身心脱落で悟ったという物語」をでっちあげて、
中国の最新の禅宗「臨済宗」の「看話禅」に中に取り込み、
道元を無害化させた。
義介禅師の筆頭弟子・瑩山禅師は道元に会った事もないので、
義介禅師による捏造された「道元像」をそのまま拡大していくことになった。
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当時の宋代の宗教思想は「三教一致」であり、
儒教は、道教の思想・陰陽五行説の宇宙論に変質し、「朱子学」となり、
仏教は、禅宗で「教外別伝」から中国土着信仰で勝手な禅定を開発し、
道教は、中国人の精神の土台であり、
結局は、三教ともが、中国土着信仰によって、一致していたのである。
だから、懐奘禅師・義介禅師・瑩山禅師も、白山信仰の修験道、密教、…
日本の民間宗教の特質を巧妙に取り込んで、布教拡大した。
これは、道元の「原始仏教」の下では、実現は不可能だった。
道元は、この「三教一致」を批判し、
禅宗の「見性成仏」「教外別伝」「臨済禅師」を痛烈に批判していた。