道元の場合は、「周りの人物の関係」が非常に複雑である。

更に、道元を理解する人物が、一人もいない。

 

永平寺二世の懐奘・禅師でさえ、

最後まで、道元を理解できずに、自分の古巣の「日本達磨宗」に回帰した。

懐奘・禅師は、凡庸だが、しかし、

自分の宗教と道元・和尚の教えとは、異なっていると自覚していた。

道元の死まで、従って行った。

非常に、

残酷な事だが、道元・和尚は、二世・懐奘・禅師に「嗣書・印可状」を許さなかっただろう。

だから、三世・義介・禅師も、道元・和尚の教えと、180度異なる中国禅に戻した。

二世・懐奘・禅師と二人で、「中国禅=日本達磨宗=三教一致」に戻した

だから、

結果として、

日本曹洞宗は、天台宗の寺院と白山系の修験道のルートに乗って、

日本全国に布教が出来、多くの人々を救済して、1万5千ヵ寺にまで発展した。

「日本教」「葬式仏教」として「大きな働き」をしてきた。

 

だから、

主著『正法眼蔵』全87巻も、現在まで残されてきたのである。

これは、非常に幸運な事であった。

逆に言えば、

「道元の教え」「正伝の仏法」は、仏教史上、日本人に全く影響を与えなかった。

 

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1995年の松岡由香子牧師の花園大学の研究論文を読んでいたのに、全部忘れていた。

重要な部分は、赤のボールペンで線を引き、黄色のサインペンまで塗っているのに。

 

要は、1995年に松岡由香子牧師は、結論を下していたのだ。

その結論に全く同意できなかったのが原因で、拒否して、完全に忘れ去っていたのだ。

 

今回、再度読み直して、その「厳密な、正確な結論」に、完全に同意する。

最晩年の道元は、八方ふさがりに陥って、完全に迷走状態に入っていった。

 

それが原因で、

二世・懐奘・禅師と三世義介禅師とが、中国臨済宗に回帰するのも、

これは必然的な結果であると、

現在は、理解し直すことができる。

 

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なぜ、道元は迷走したのか?

それは「釈尊の教え」は、ダブルスタンダードであることを把握していなかったせいである。

インド社会からドロップアウトした「出家」への教えと、

インド社会からドロップアウトしない「在家」への教えとは、全く異なるのである。

 

釈尊はまだ若い29歳の壮年期において、「自己の死滅への苦痛」に苛まれていた。

バラモン教=ヒンドゥー教では、この釈尊は、救われなかった。だからこそ、

妻と一人息子とを捨てて、インド社会から出ていった、「出家」したのである。

そして、この「出家」たちで全く別の社会集団を築いた。それが「サンガ」「僧」である。

他方、バラモン教で、死の問題を解決できる人々は「在家」のままを、許した。

ただ、道徳だけは、殺生を禁止するなど、仏教の教えの解釈に導いた。

 

だから、「出家の五戒」と「在家の五戒」と同じ部分と異なる部分とが存在する。

それは「性欲」であり、出家は完全禁止であるが、在家は配偶者には許している。

 

道元は、このダブルスタンダードを、区別できなかった。

多分、永平寺で弟子の指導に失敗し、

これからの打開の、鎌倉幕府への働きかけに、再び失敗し、

永平寺に戻って来たのであり、肉体的にも精神的にも、疲労困憊していたのであろう。

頭脳が働かなくなっていた。

新草全12巻は、迷走の軌跡そのものである。

だから、曹洞宗の内部で、秘密にされ、

昭和になってから、「新草全12巻本」が1冊だけ、初めて発見された。

 

でも、真剣に求道し、迷走するのも、運命である。

キリスト・イエスが、迷走したのも、これは、運命である。

大切な事である。