日本と韓国「歴史問題がどうも決着しない」深い訳
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戦後77年目を迎え、日本を取り巻く外交環境は激変した。バイデン政権の意向もあり、韓国の新政権と岸田政権の歩み寄りが取りざたされる中、日韓の歴史問題はどのようにすれば乗り越えることができるのだろうか? これに答えるのが、「最強の働き方」「一流の育て方」などのベストセラーでもよく知られ、日本で最も有名な在日コリアンの1人である、ムーギー・キム氏。多方面から大きな反響を呼んでいる新著『京都生まれの和風韓国人が40年間、徹底比較したから書けた! そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか。: 文化・アイドル・政治・経済・歴史・美容の最新グローバル日韓教養書』から一部を抜粋・再編集し、「日韓の責任観の圧倒的な違い」について考える。
■今回のトピックは…
猛暑で身も心もメルトダウンしているのに、さらに熱く燃えさかっているのが、新刊『そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか。』の発売を機に始まった本連載へのコメントだ。 やれレーザー照射はどうなんだ、ベトナム戦での責任はどうした、一方的な李承晩(イ・スンマン)ラインはどうなんだと、「私に言われても困る批判」のオンパレードである。 しかしそれでも励みになるのは、温かい皆様の無言のサポートだ。またコメントで批判しておられる方も、内心徐々に私に好感を抱き始めていらっしゃるのだという微かな予感がある。そこで今日も元気にグローバル視点満載の、高教養コラムを提供させていただこう。
戦後77回目の終戦記念日を迎える中、今回のトピックはズバリ「日本の政治家は過ち・失敗を極度に避けたがるので、失敗を認めるのが苦手だ」ということだ。それが、日韓の歴史問題がなかなか決着しない原因にもなっている。 以下ではその背景となる、日本固有の文化的特徴を探っていこう。 韓国の立場からすると、「日本人は、日ごろはすぐに『すみません』と言うのに、歴史に関してはなぜはっきりと謝れないのか?」と、過去に無責任だと思われがちである。
時折「謝罪」しても、核心の部分は曖昧にしたり、あとで「あの謝罪は間違っていた」みたいな発言をして、骨抜きにしたりもする(もちろんそうでない人やケースも多いので一般化はできないが、以下は全体的な政治傾向としてお読みいただきたい)。 とくに「歴史問題」においては顕著で、具体的に言えば、連立政権でリベラル政党の社会党出身の首相だったときや、自民党内部でハト派が力を持っているときは戦時の植民地支配について「謝罪」したが、その後の長期タカ派政権では、いわゆる「村山談話」も「河野談話」も形式的には維持したものの、骨抜きにするような発言がたびたび聞かれたのは、ご存じのとおりだ。
実際のところ日本人は、「個人的でささいなこと」あるいは「どう見ても自分がたいして悪くないこと」に関しては、すぐに「すみません」砲を放つ。 しかし、重要なことや帰属集団に影響が及ぶことに関しては、責任回避傾向が強いように思えてならない。 『「韓国が歴史問題にあんなにしつこい」深い理由』でも述べたように、韓国人は歴史問題に限らず、何事にもとにかく「真相究明」や「白黒つける」ことにこだわるのだが、それと比べると日本人は「水に流す」傾向が強いのだ。
■「過去にさかのぼってほじくり返すのは御法度」の日本
日本では、死人に鞭打つこと、過去にさかのぼってほじくり返すことは御法度とされる。 以前、あるモデルの女性が10年以上前に芸能界の大物に「枕営業」を持ちかけられたことを告白し、そのとき同席していた人気男性芸能人のことを批判して一瞬話題を集めた。 しかし、そこでの視聴者の反応の多くは、「そんな昔のことをいまさら持ち出すな!」という「過去を持ち出すこと」への反発であった。
同じ時期に韓国では、芸能人やスポーツ選手が子ども時代の行為を元クラスメイトにSNSで暴露され、再起不能なまでに批判されていたのとは実に対照的である。 また、これは都合のいいときだけという気もするが、日本では「和を以て貴しとなす」ために、問題の白黒ははっきりさせずに、韓国とは逆に「水に流す」文化が強い。 明治維新に成功したのも、地方の大名や天皇制の存在で政権交代が可能であったという背景も大きいが、時代が変われば過去は水に流して現実に適応することができたからということも一因であろう。
■「長いものに巻かれよ」「勝てば官軍」が日本の伝統文化?
また、太平洋戦争では「鬼畜米英」と憎悪を募らせながら戦っていたのに、敗戦したとたんアメリカの忠実な「パートナー」となり、その後も超親米路線がずっと続いている。 天皇が無条件降伏を告げれば、民衆も従う。GHQの軍政に対して、義兵闘争(朝鮮王朝末期、日本に対して朝鮮全土で起こった、数千回を数える民衆蜂起)みたいなものは日本では起きない。 ここからは「水に流す」のみならず、「長いものには巻かれよ」「勝ち馬に乗れ」「勝てば官軍」という言葉があるように、よくいえば現実主義、悪くいえば過去にこだわらない国民性が見て取れる。
これは結局のところ、平安時代末期から鎌倉時代(とくに承久の乱で後鳥羽上皇を隠岐〈おき〉に配流し、その直系をいったん廃位したとき)以降、700年近くにわたって武家支配が続いたことから、正義や道徳観念の議論ではなく、「最後は力あるモノに従わざるをえない」という現実的判断が染みついているのだろう。 新羅(しらぎ)の時代から、高麗(こうらい)時代の仏教との併存期を挟みつつ1000年以上も儒教が続いた韓国では、道徳的・観念的な大義名分が重視されるが、武士道の国日本はそうではないのだ。
おまけに特徴的なのが、「自発的に切腹することで許される」という独特の「責任観」(あえて、責任感ではなく)が深層にあることである。 この責任観は「死んだら終わり、過去を問わない」という、日本の独特の死生観にもつながっているように思える。 私がとある外資系投資銀行で新入社員だったとき、当時の小泉純一郎政権で靖国神社参拝が繰り返され、中国と韓国が盛んに批判していたのだが、同僚の日本人が私に、 「なぜ韓国人は、日本の文化に口出しをするんだ。死んだらみんな、仏様になるのが日本の文化なんだ!」
と、別に私は何も言ってないのに怒られたものである。 思えば、たしかに日本人は歴史上の人物に対して、優しい。知事だろうが首相だろうが、どれほど批判する人が多くても、亡くなったタイミングでは「あの人はすばらしい人だった」という報道であふれがちだ。
■韓国では、過去の「悪行」が徹底的に批判される
これに対し、韓国で全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領や盧泰愚(ノ・テウ)元大統領といった軍事政権を担ったリーダーたちが亡くなったときは、「それにしてもひどい人だった」と言わんばかりに、彼らの「悪行」が改めて徹底的に批判されていたものである。
この世を去ったあとも、元ソウル市長など有力政治家の墓に嫌がらせされることがあるのも、儒教国家ならではのしつこさではなかろうか。 死後も先祖の魂は不滅であると長年考えられてきて、過去にさかのぼった道徳的責任追及にこだわるのが儒教国家・韓国だ。 これに対して日本では、仮にどれほど暴言や失政が続いた人物であっても、没後に元東京都知事や首相経験者の墓が、こんな目に遭うことはないだろう。 もちろん、いまは本気で「先祖の魂は不滅だ」などと思っている人はめったにいない。それでも長年の民族的記憶に刷り込まれたメンタリティーは、無意識に思考パターンに影響を与える。
現在でも韓国では儒教文化の影響か、「本来はこうあるべきだ」という観念論が強いのは、「過ぎたことは、もう仕方ないよね」と現実的な傾向が強い日本と対照的である。
■「武士道vs.儒教」が歴史問題を長引かせる
そんな国が、「過去は白黒つけずに水に流す」という武士道の国と隣国関係にあるとき、
「なぜおまえはそうしつこい?」
「おまえこそ、なぜそう無責任なのか?」
という違和感につながるのは、やむをえないのかもしれない。
「死ねば許す国」と
(注:「死者」は、この世からあの世に行き、ご先祖様、仏様になる)
「死んだくらいでは許さない国」と
(注:「死者」は(「あの世」が存在しない存在しないので)、
「この世」で生き続け、恨みを持って、子孫を支配し続ける、この「迷信」が根本原因!)
の文化的違いが、そこにあるのである。
では、この文化的違いからして、ヤフコメで大炎上するように、
両国は永遠に相いれないので国交断絶したほうがよいのだろうか?
その答えは、ヤフコメで私をボコボコにするのではなく、
「そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか」と検索していただければ、
韓国へのイライラ、日本へのモヤモヤが完全解消する偉大な第一歩となることであろう。
ムーギー・キム :『最強の働き方』『一流の育て方』著者