上田閑照さんの著作を長年フォローしてきたが『道元』において、大きく失望した。

要は、「原始仏教」が理解できていないのだ!

だから、

道元の「正伝の仏法」「原始仏教」が、

「中国禅」の全く反対のものであることが、理解できないのである。

御自身が「中国禅」で洗脳されているから、妄想の論理に、迷い込んでいる。

 

「日本天台本覚思想」批判は、道元の基盤である。

最初期の旧草『正法眼蔵』の「仏性の巻」で、明確に批判されている。

 

日本曹洞宗において、二世懐奘禅師・三世義介禅師によって、

道元の教えが否定され、断絶している事実が理解できていない。

現在の日本曹洞宗が、道元和尚の教えの、発展として存在しているのではない。

 

同じ、本の中の、松岡由香子の新草『正法眼蔵』全12巻の現代語訳を読めば明確である。

要は、

上田閑照は、最終結論、新草『正法眼蔵』全12巻を読んでいない

また、道元和尚の伝記を理解していないので、

『正法眼蔵』の新草と旧草の重要度が理解できていない。

だから「現成公案の巻」の意味を取り違えている。

 

 

 

 

「原始仏教」は、単純であり、明確であり、

釈尊が、35歳から80歳まで、「同じ教え」をひたすら説き続けたものである。

『阿含経』相応部の経典群として、しっかりと残されてきたものである。

「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」「一切皆苦」である。

そして、観測できない・検証できない事に対しては「沈黙」つまり「無記」を貫く。

(例えば、つまり、死後のことは、議論するな、である)

 

「日本天台本覚思想」は「非仏教」である。

「中国禅」は中国人の土着信仰であり、「非仏教」である。

 

つまり、

「原始仏教」から言えば、「中国禅」は妄想なのである。

つまり、

「原始仏教」と「中国禅」とは、全く別の宗教であり、

お互いに否定する関係にあるのである。

 

だから、

道元和尚は「正伝の仏法」と呼び、「禅宗」と呼ぶことを禁止したのである。