「朝鮮語」は「ハングル発音記号」を開発しても未熟なままであった。
「ハングル・訓民正音」は「漢字の中国語音声の発音記号」のために考案された。
本来の目的である『東国・正韻』の「字書」を作成し出版して、それまでの「口伝で間違って使っていた発音」を、正した。つもりだった。しかし、それまでのと非常に異なっていたので、あまり使われないまま放置されていった。
なお、これの副産物として、後に「朝鮮語」の発音表記にも利用されるようになった。
だが、現在の朝鮮民族は、この歴史的事実を隠蔽して、「ハングル・訓民正音」を
中国語の発音「をも」表記できる・世界一であると威張っている。愚かである。
だから、当時の「朝鮮語」は「話し言葉」しかなく、
物々交換の原始的経済のままだから、流通や交通がないのだから、
膨大な数の「お互いに通じない方言」の斑模様の世界だった。
そこでの共通語は、辛うじて、商人「華僑」の「中国語の百済方言」であった。
つまり「漢文・中国語の百済地方のなまった発音での棒読み」しかなかった。
「書き言葉」は「朝鮮語の世界」には存在しなく、
代わりに、「漢文・中国語」がそのまま使用された。
逆に言えば、朝鮮語での「書き言葉」は不要だったので、開発されなかった。
「表記のための文字がない」のだから「朝鮮語の書き言葉」は存在しなかった。
「新羅」も「統一新羅」も、公用語は「漢文・中国語」だった。
李氏「朝鮮」はゴリゴリの「中国至上主義」だから、ますます「朝鮮語」を卑しいものとした。
だから朝鮮での個人の私的日記(自分が読むものでも)は「漢文・中国語」である。
岡田英弘先生は、
朝鮮の「吏読」とは「朝鮮語」ではなく、「一種の中国語」であるとしている。
だから「日本語」「かな文字」読みとはまったく性質が異なる。
他方、
日本では「かな文字」を考案し「書き言葉」を開発するのが、非常に早かったので、
「日本語」の起源は非常に古い。「600年代の後半」には完成した。
「書き言葉」だから『万葉集』も『源氏物語』も「古典文法・文語文法」を用いて、
現在の日本人でも、中学校から「原文」で鑑賞ができる。
平安朝の幼い姫君でも、『源氏物語』の「書き言葉」を
(お付きの女房が読み上げるのを)「聞いて」楽しんだ。
大きくなれば自分自身で「読んで」も楽しんだ。
この「書き言葉」の「日本語」は、中央集権の律令制の徹底で、日本中に広まった。
後に『平家物語』が琵琶法師の「語り」で日本中に広まるのも「書き言葉」だからである。
他方、「話し言葉」は膨大な数の「方言」のままであり、「共通の言葉」「標準語」は存在しなかった。
現在でも「京都弁」と「大阪弁」とは全く違うし、ヤクザの「河内弁」など理解不能である。
「おんどりゃ・・・けつかるねん!」とは、最初が「おまえ」という言葉である。
では、朝鮮語の「書き言葉」は、いつになって完成したのか?