『イエスは騙され裏切られ、十字架にかけられた。
「神への敬意」はあったのか?』
「なぜ、私を、”お見捨てになった”のですか?」
(見捨てた、という過去形になっている)
という「絶望の大きな叫び」で殺されていった。
つまり、神ヤハウェは「イエスが考えていたような神」ではなかった!
それが、「十字架刑の死」の最後の段階で解った。
では、それまでのイエスによる「神の国の教え」は誤りなのか?
イエスは、神は、最後には、何かをしてくださると、全幅の信頼を抱いていた、のだろう。
しかし、神は沈黙のままであった。
30歳頃に、養っていた家族を捨て去り、洗礼を受けた時は、
天から神の声が聞こえて
「我が愛する子」と祝福があったのに。
殺される時は、イエスの神への必死の訴えの叫びに対して、神の応答の声はなかった。
エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ
(ελωι ελωι λιμα σαβαχθανει)
とは、
「わが神、わが神、どうして私をお見棄てになったのか?」