『決定と責任は、「因果関係」をはっきりさせて「初めて有効になる行為」であり概念です。』
「釈尊の仏教」には「大日如来の様な、超能力者の威力」を利用して「願いを実現する」というようなものはない。
「普通のもの・現象」の間の「お互いの関係・影響し合い」だけが、「これを見よ」として、提示される。
そして、貴方も一緒に修行して、確認してみなさいと、呼びかける。
つまり、横の「因果関係」である。
しかし、「密教」では、
「大日如来の絶大なる威力」でもって、
「病気治癒」「国家安泰」を
実現する、できるという考え・教えである。
「大日如来の絶大なる威力」でもって、
「病気治癒」「国家安泰」を
実現する、できるという考え・教えである。
「大日如来」と「個人」とは「横並びではなく、上下の関係」であり、
この二者の間には、「因果関係」はない。
この二者の間には、「因果関係」はない。
「大日如来」に対して「加持祈祷」を用いて「影響を与える」。
「大日如来」を「動かすことができる」とする。
「大日如来」を「動かすことができる」とする。
「釈尊の仏教」は「一人ひとりの行為が、その自分を変えていく」という「因果関係」であり「業=行為、論」である。
ここには「超絶な、神秘的な、偉大な勢力」などは現れない。
ここには「超絶な、神秘的な、偉大な勢力」などは現れない。
何も不思議な事はない、淡々とした生き方だけがある。
根拠のある、確実な、「因果関係」だけが、その人を救い出す。
『「因果関係」をはっきりさせて「初めて有効になる行為」…』
これが重要になる。
これが重要になる。