創価学会の根本的な教えは、法華経とは別の<生命論>にある。
これは、2代目会長から明確に示される。
つまり、<宇宙は自分であり、自分は宇宙である>
要は「<自分の存在の根拠>は宇宙全体である」
逆も「宇宙全体は自分である」
<現在の自分>を絶対化して、その絶対の根拠を宇宙とする、
ここに究極的な<自己の安心感>を求める。
●これは、釈尊の教え「無我」、つまり、自分と言う存在には、一切存在<根拠はない>。
無常である。原因結果の連鎖で縁起している。実体というものはない。
これとは、逆の教えである。
釈尊が自分の救いにはならないとして捨てた、バラモン教の<梵我一如>
つまり<ブラフマンとアートマンとが一つ><宇宙と自我がひとつである>
そのものである。
だから、釈尊の仏教とは根本的に異なる、<別の宗教>である。
だから、<創価学会は、仏教として間違っている>という批判は正しくない。
仏教ではないから、違っていても、それはそれでよい。
●ただ、次のことは明確にしておく必要がある。
(1)釈尊の教えと、初期大乗仏教の法華経の教えとは、同じか?
(2)法華経と中国・天台チギの教えとは、同じか?
(3)中国天台の教えと日蓮の教えとは、同じか?
(4)最後に、日蓮の教えと創価学会の教えとは、同じか?
小生は、(4)でバラモン教に変質したと考えている。
バラモン教の教えはその後発展して、現在のインドで巨大な宗教になっている。
創価学会が巨大な宗教になっても不思議はない。
しかし、現在の創価学会が(北朝鮮と同じ様に)私物化・世襲制になる、
池田大作・王国になる、
のは創価学会としては、不幸な道と考える。
●仏教とは全く<別の宗教>として、社会活動・共同できる分野で共同すれば良い。
何も<仏敵>扱いにする必要もないし、してはいけない、と考える。
●ついでに、
中国・禅では、こうではない。中国・曹洞宗の洞山和尚では・・・
<仏=絶対的真理=如・・・>は<現実の自己>としてある。
しかし、<現実の自己>は<仏=絶対的真理=如・・・>ではない。
<彼は自己である><自己は彼ではない>
ここで、<彼=渠>は、ブッタ、仏、真如、永遠の真理、・・・
『切に忌む他に随って覓むることを
迢迢として我と疎なり。
我、今、独り自ら往くも
処処に<渠に>逢うことを得。
<渠>、今、正に是れ我
我、今、是れ<渠>ならず。
応に須く与麼にえして
方に始めて如如に契うべし。』
である。
創価学会とは明確には異なる。
それの理由は、仏教であるから、当然である。
これは、2代目会長から明確に示される。
つまり、<宇宙は自分であり、自分は宇宙である>
要は「<自分の存在の根拠>は宇宙全体である」
逆も「宇宙全体は自分である」
<現在の自分>を絶対化して、その絶対の根拠を宇宙とする、
ここに究極的な<自己の安心感>を求める。
●これは、釈尊の教え「無我」、つまり、自分と言う存在には、一切存在<根拠はない>。
無常である。原因結果の連鎖で縁起している。実体というものはない。
これとは、逆の教えである。
釈尊が自分の救いにはならないとして捨てた、バラモン教の<梵我一如>
つまり<ブラフマンとアートマンとが一つ><宇宙と自我がひとつである>
そのものである。
だから、釈尊の仏教とは根本的に異なる、<別の宗教>である。
だから、<創価学会は、仏教として間違っている>という批判は正しくない。
仏教ではないから、違っていても、それはそれでよい。
●ただ、次のことは明確にしておく必要がある。
(1)釈尊の教えと、初期大乗仏教の法華経の教えとは、同じか?
(2)法華経と中国・天台チギの教えとは、同じか?
(3)中国天台の教えと日蓮の教えとは、同じか?
(4)最後に、日蓮の教えと創価学会の教えとは、同じか?
小生は、(4)でバラモン教に変質したと考えている。
バラモン教の教えはその後発展して、現在のインドで巨大な宗教になっている。
創価学会が巨大な宗教になっても不思議はない。
しかし、現在の創価学会が(北朝鮮と同じ様に)私物化・世襲制になる、
池田大作・王国になる、
のは創価学会としては、不幸な道と考える。
●仏教とは全く<別の宗教>として、社会活動・共同できる分野で共同すれば良い。
何も<仏敵>扱いにする必要もないし、してはいけない、と考える。
●ついでに、
中国・禅では、こうではない。中国・曹洞宗の洞山和尚では・・・
<仏=絶対的真理=如・・・>は<現実の自己>としてある。
しかし、<現実の自己>は<仏=絶対的真理=如・・・>ではない。
<彼は自己である><自己は彼ではない>
ここで、<彼=渠>は、ブッタ、仏、真如、永遠の真理、・・・
『切に忌む他に随って覓むることを
迢迢として我と疎なり。
我、今、独り自ら往くも
処処に<渠に>逢うことを得。
<渠>、今、正に是れ我
我、今、是れ<渠>ならず。
応に須く与麼にえして
方に始めて如如に契うべし。』
である。
創価学会とは明確には異なる。
それの理由は、仏教であるから、当然である。