「道元」和尚は「原始仏教」だから「僧侶」の結婚は認めない!

あくまでも「出家」主義である!

 

だから、

現在の「道元偏重」「道元一辺倒」は、自ら墓穴を掘る行為であり、愚かである。

他方、

瑩山禅師の教えは、「天台密教の禅」だから、

つまり、「インド密教=ヒンドゥー教=梵我一如」なのだから、

「司祭=僧侶」が結婚し、家族を持っても良い。

 

現在の「道元偏重」「道元一辺倒」は、欺瞞行為になってしまう。

檀家は、それを、じっと黙って、見ている。

「言っている事と、やっている事が、違っている!」と知っている。

 

大谷哲夫先生のように、頑迷に、道元和尚を、

瑩山禅師の教えに合うように、無理に解釈して下さる方が存在するので、

道元の『宝慶記』が、捨て去られないで、今日まで伝わった、その偶然!

もしも、内容が理解されたならば、「意志をもって、捨てられて」いた。

 

道元は、臨済宗の明全禅師の下で修業し、既に印可を貰っている。

 

だから、道元の見解に、無意味なもの、利用価値のないものは、記録に残っていない。

 

何が正しいのかが解っていなく、如浄禅師の教えを全てを、記録に残したのではない。

だから、如浄禅師の教えの間違っているものは、記録として残っていない。

道元が、聞きたい内容に限定して、記録されている。

 

だから、

如浄禅師が「儒教道教仏教、三教一致」を『語録』で、説いていても不思議はない。

実際、

「当時の儒教」は、「朱子学」で変質し「陰陽五行説」の哲学であり、

「中国禅」も「老荘思想」そのものであるので、

南宋時代での実態・内実は、完全に「三教一致」だった。

道元は、如浄禅師に、これを質問しなかったか、

如浄禅師の回答が、誤りなので、無意味だから、記録に残さなかったのだろう。

 

 

〇 〇 〇

 

道元は「身心脱落」「帰家穏坐の否定」、

如浄は(心の「実体」視)「心塵脱落」「帰家穏坐」!

 

 

1358ー90=1268年に、「義尹」が、

無外義遠に抜粋校訂してもらった、(後の)『永平元語録』1巻を、

日本に持ち帰る。

如浄は1227年7月17日、死亡だから、37回忌法要は、1264年に当たる。

義尹は、『永平広録』10巻を持参した。

義尹は、この時点で、「道元教団の代表者」である。

1358年に、永平寺六世「曇希」に開版され、1750年まで、400年間近く唯一の語録であった。

 

 

如浄禅師の教えは、「坐禅は、心塵脱落」であり、

「心の<塵を脱落し>、本来の清浄心となれ!五欲を除き、五害を除け!」だった。

 

しかし、それを聞いて、

道元は、「自分の理解した原始仏教の教え」『阿含経』の、

「身や心の<実体>視から、脱落せよ!」を、聞き取った。

 

だから、同様に、

如浄禅師の教えNo38に対して、

坐禅、直ジキニ、及スナワチ、帰家・穏坐

これを否定して、弟子に教えなかった。

 

「瑩山」禅師は、これを『坐禅用心記』に取り入れている。

つまり、道元とは、逆の禅「天台密教の禅」であるからである。

 

 

 

「日中関係を揺るがしかねない」台湾問題を巡って慎重な準備…1994年「日中会談」の舞台裏 細川元首相「アドリブはやめたほうがいい」(FNNプライムオンライン) - Yahoo!ニュース

「日中関係を揺るがしかねない」台湾問題を巡って慎重な準備…1994年「日中会談」の舞台裏 細川元首相「アドリブはやめたほうがいい」

配信

FNNプライムオンライン

FNNプライムオンライン

外務省は24日、30年前の外交文書を公開し、当時の細川総理大臣が中国を訪問するにあたり、台湾問題を巡って慎重な準備を進めていたことが明らかになった。

 

  【画像】30年前の外交文書公開…台湾問題巡る慎重な準備の中身とは

 

秘密指定が解除され、1994年の外交文書6800ページ余りが公開された。

 

 1993年に自民党から政権を奪って連立内閣を組織した細川元総理は、

翌年、中国を訪問し首脳会談を行った。

 

 外務省の中国課が作成した文書には、

「台湾問題は一歩対処を誤れば日中関係の根幹を揺るがしかねないデリケートな問題であり慎重な対応が必要」と記されている。

 また、「日台関係も先方発言を待つことなく立場を明確に述べるのが得策」との記述がある。

 

 さらに、野党だった自民党の森幹事長からの忠告についても明らかになった。

 

 「一つ気がかりなことがある。

それは過去の問題についての総理発言

日本のマスコミがこれを大きく取り上げ、

先方政府としても反応せざるを得ない悪循環を繰り返してきている。

総理自身の発言によって、こういうことが起こらないようにしてほしい」

 

 FNNは、当時、首脳会談の調整を担当した元外交官を取材した。

 

 大江博元駐イタリア大使: 

日台問題はセンシティブな分だけ各論に入らないで、禅問答のようなことを繰り返した方が良い

今でも同じこと。 

 

当時の経験を踏まえ、細川元総理は今の日中関係をどう思うのか。 

 

細川護熙元首相: 

総理になったら

自分の考えていたことを押し通しちゃってもいいんじゃないか

と思っているかもしれないけど、それはちょっと違うんじゃないかと思う。

外交は色んな積み上げがある。

相手とのデリケートな問題で、アドリブはやめたほうがいい。

 公開された文書には、

アメリカに異例の「NO」を突き付けた経済協議などに関する資料も含まれている。

フジテレビ,政治部

 

【関連記事】

 

 

 

 

 

“極秘”文書 「人権触れないよう」中国が要請(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース

 

“極秘”文書 「人権触れないよう」中国が要請

配信

ABEMA TIMES

1994年の日中首脳会談

 公開された外交文書で

1994年、当時の細川総理大臣による初めての中国訪問を前に、

中国側が首脳会談で人権問題を取り上げないよう再三、求めていた

ことが明らかになりました。

 

  【映像】“極秘”文書 

 

 外務省は作成から30年が経過した外交文書、17冊6824ページを公開しました。

  「極秘」扱いの文書によりますと

1994年3月、細川総理と李鵬首相による首脳会談に向けた

事務方の事前調整の場で中国側は、「人権問題に触れないよう」複数回にわたって要請していました。

 

  「言及の場合には李首相は過去の問題を持ち出すかもしれない」とけん制していました。

  結局、「人権」については夕食会ではやりとりがあったものの、

首脳会談のテーマにはなりませんでした。

  当時、中国は1989年の天安門事件のあとアメリカなどから

人権問題の解決を強く求められていました。(ANNニュース)

ABEMA TIMES編集部

 

【関連記事】

日本仏教史は、虚構である!

 

「瑩山」禅師は

「如浄」禅師を「高祖」に据え、「道元」和尚を「二祖」に定めて

日本曹洞宗を「再構築」「大改革」した。

 

この「瑩山」禅師こそが、1300年から現在まで「750年」近く、日本人を救ってきた。

他方、「道元」和尚は日本人に理解が不可能で、全く、救いを発揮できなかった。

これが、歴然たる事実である。

 

日本曹洞宗は、「道元」和尚ではなく、

現実の自分たちの信仰の中身である「瑩山」禅師を、

堂々と、人々に「顕彰」すべきである。

道元和尚は、別の宗教「原始仏教」として、尊重し、用いれば良いと思う。

 

重要なことは、

両方が、正統であり、同等であり、「偉大な宗教」であるという事である。

日本曹洞宗は、その両方を、「高祖・道元」、「太祖・瑩山」、

「両祖=二人の祖」として、崇めて来た。

瑩山禅師の、正しい評価が、

現在の日本曹洞宗の「道元偏向」「歪み捻じれ現象」を解消するだろう。

 

『洞谷記に学ぶ―

日本初期曹洞宗僧団の胎動』 

1982/7/1 東隆真(著)

東 隆真(著者):1935年京都府生まれ。駒沢大学大学院修士課程修了。
曹洞宗師家。金沢市大乗寺山主。
著書に「日本の仏教とイスラーム」「洞谷記に学ぶ」など。
 

現代語訳 瑩山禅師『洞谷記』

2021/4/14 東 隆眞 (監修), 

『洞谷記』研究会 (編集)

曹洞宗隆盛の基礎を築いた瑩山紹瑾禅師が、

永光寺開創頃から晩年までを記した日記を中心に編まれた「洞谷記」。

総ルビの書き下しに現代語訳を加え、詳細な注を付した、

図版や系図に人物紹介のコラムなども入ってわかりやすく読める必見の書。

 

 

 

感謝です。

 

っていうか、今年もあと1週間って!

毎日「大きい作品書かなきゃ」と焦り、決して書かない。

あと1週間頑張る

(出た!読者もう誰も信じてない!)。

 

乞う!

超大作!

 

毎・日曜日の、

「早朝坐禅会」1時間

朝6時から、7時まで

 

鎌倉五山、第二位「円覚寺」

夏目漱石も坐禅して、挫折して、呆然と「門」に佇んだという

「鈴木大拙」が、ここから、世界に「zen」を広めた、そのお寺。

そこで修業し、現在は「その末寺」の和尚さん・・・

 

その円覚寺の管長、足立大進老師から

頂いた「掛け軸」を、

ずらっと、部屋いっぱいに、並べて、見せて下さった。

 

書は人

 

1970年代、直接、坐禅の指導をなさってくださった。

その当時を思い出し、御恩に感謝。

 

私も、もっと、書道を続けていたら、

今は、さぞかし、立派になっていたろうと、反省しました。

 

 

あと1週間頑張る