今年7月1日から中国で「民族団結進歩促進法」(略称:民族団結法)が施行される。
その第六十三条には「域外適用」として
「中華人民共和国の領域外の組織または個人が、国家の統一と進歩を損なう行為、
または中華人民共和国に対する民族分離主義を生み出す行為を行った場合、
法律に従って法的責任を問われる」と書いてある。
したがって、台湾の民進党(台湾独立派)を支援する高市政権には影響が及ぶだろう。
そこで、なぜ民族団結法が誕生したのか、
またトランプが提唱する米中G2構想に影響するのかに関して考察を試みたい。
◆直接のきっかけは2008年北京オリンピック時のチベット騒乱
ご記憶の方も多いと思われるが、2008年、北京オリンピックが開催されようとしていた年の3月10日に、
チベットのラサで始まった独立運動が世界各地に拡散し、
世界中が抗議活動に燃えた時があった。
その結果、世界主要国が北京オリンピック・ボイコットを宣言しようという動きにまで及ぶ事態を招いたため、
ときの国家主席・胡錦濤が主要国行脚を始め、
頭を下げて「どうか北京オリンピックに参加してください」と頼むような形になった。
すると中国大陸のネットでは、胡錦濤を「現代の李鴻章」と罵って、中国国内で反政府運動が起きそうにさえなった。
このとき背景にいたのが、
1984年に設立されたNED(全米民主主義基金)であることは確実で、
NEDの支援を受けた「国境なき記者団」などが前面に出ていた。
NEDは2008年6月4日に、「3月のデモを組織したり、
資金提供をしたりなどしておらず、デモは自発的だ」と主張
しながらも、以下の事実を認めている。
●15年以上にわたり、国外に拠点を置くチベット系人権・民主化団体を助成してきた。
●表現の自由、情報流通、市民教育、民主主義教育などを支援してきた。
●北京五輪に向け、中国の人権問題に国際的注目を集めるためのプロジェクトにも資金を出していた。
●国連、国際メディア、政策決定者への働きかけも支援対象だった。(NEDからの引用は以上)
ということは結局のところ、背後にNEDがいたことになる。
事実、2023年8月6日の筆者のコラム<中国政府転覆のためのNED(全米民主主義基金)の中国潜伏推移>の
図表1に書いたように、
NEDは膨大な資金を中国の各民族あるいは地区の
独立を促すための運動に注いできた。
当該コラムの図表1を金額の推移を縦軸に置き、折れ線グラフを作成し、改めて本コラムの図表1として以下に示したい。
図表1:NEDの香港・チベット・新疆ウイグルにおける支援金投入推移(1990-2021年)
NEDの年次報告書に基づき筆者作成
図表1のデータは、すべて各年のNEDのホームページに書いてある活動報告に基づく。NEDは(トランプ政権2.0までは)米政府から資金を貰っていたので、会計報告を明らかにしないとならないという義務があった。そのため資金提供の詳細なデータを得ることができた。
ただし2022年以降は詳細なデータ公開をやめているので、系統的なデータを得ることはできない。
図表1にある番号は、後述する図表2にある習近平の民族団結法に関する活動の番号である。
この番号と照合すると、いかにNEDが民族団結法の阻止を狙っていたかが見えてくる。
2008年のチベット騒乱を準備するには
2007年に暗躍していなければならないので、
チベットは2007年の支援金投入が多い。
2009年にはウイグル騒乱が起きているので、
2008年の支援金が増えている。
香港は2014年に雨傘運動を起こすために2012年辺りから準備していることが支援金の増加から見て取れる。2019年以降は2020年の香港デモ(反逃亡法条例運動)でピークを迎え、2020年6月の香港国家安全法成立で終わりを告げた。
2020年以降のチベットやウイグルへの活動支援金の急増は、
図表2の動きを阻止するために投入されていることが原因だろう。
香港に注ぐはずだった支援金をチベットやウイグルに回した様子が、明らかな形で見て取れる。
◆米CIAは1950年代から共産中国を打倒するためチベットで扇動活動
1984年にNEDが設立される前までは、CIAがチベットで1950年代から扇動活動をしていたことが機密解除された米政府(国務省系列)の<歴史文書-歴史家室(Historical Documents-Office of the Historian)>により明らかになった。
それによれば、「CIAのチベット計画は1956年に開始されたもので、1951年と1956年に米国政府がダライ・ラマに対して行った約束に基づいている。この計画は、政治活動、宣伝活動、準軍事活動、諜報活動から成る(機密解除されていない原文が1行未満)。この計画は、1964年2月20日に承認された」とのこと。これらの活動は基本的に「東アジア・太平洋担当国務次官補」や「近東・南アジア担当国務次官補」などが担当した。
もう一つの機密解除された<歴史文書-歴史家室>の文書には、
「ダライ・ラマへの支援およびチベット関連活動に関する状況報告」が書いてあり、
そこには「これらの活動は、ダライ・ラマとチベット亡命者を支援して
自治チベットの概念を維持することにより、
共産主義中国の国際的な影響力を弱めるように設計されている
(機密解除されていないソーステキスト4行)」と、明確に書いてある。
つまりアメリカは初期の間はCIAが潜伏活動を行ない、1984年からは「第二のCIA」と呼ばれていたNEDが活動していたことが明らかになったわけだ。
こうして中国建国以来、共産中国を打倒するために動いていたCIAと「第二のCIA」と呼ばれてたNEDが継続してチベットやウイグルなどのエリアで暗躍し、その蓄積が2008年のチベット騒乱、2009年のウイグル騒乱など、一連の民族独立運動として爆発したことになる。
これに対して、中国の学者・研究者が動き始めた。
◆動いた中国の学者・研究者たちと民族団結法
まだ胡錦涛政権時代だった2011年、清華大学の胡鞍鋼教授と胡聯合・特約研究員が<第二世代の民族政策:民族交流融合一体化と一体的な繁栄を促進する>という論文を発表した。この論文では以下のような事が提案されている。
●56民族という意識を徐々に薄める。
●「中華民族」としての帰属意識を強化する。
●民族別の集団的権利より個人としての公民権を重視する。
●人口移動、混住、共通語を通じて民族融合を進める。
●民族を単位とした優遇政策を、貧困者個人への支援に変える。(以上)
7月1日から施行される民族団結法は、この論文に準拠しながら制定されていったことが、当該法で用いられている用語からもうかがわれる。たとえば、「共通性の増進」、「交往交流交融」、「相互埋め込み」、「国家共通語」、「中華民族共同体」などは、当該論文に呼応した用語である。
習近平が行なってきた国家政策としての経緯の概要を書くと、図表2のようになる。
図表2:民族団結法制定までの経緯
公開された情報に基づき筆者作成
◆トランプ2.0でNEDを解体したトランプ
2025年2月21日のコラム<習近平驚喜か? トランプ&マスクによるUSAID解体は中国の大敵NED瓦解に等しい>に書いたように、
トランプは昨年2月1日、 USAID(アメリカ合衆国国際開発庁)を解体すると宣告した
(実際の完全な解体は7月1日)。
USAIDはNEDを財政的に支えている組織で、
USAIDが解体されればNEDの活動は瓦解する。
習近平にとって、こんなにありがたいことはなかったにちがいない。
これにより、中国政府転覆のための活動が困難になるからだ。
台湾などはNEDの支局が堂々と設立されて、
台湾独立のために独自に活動しているくらいだ。
民進党政権は完全にNED台湾支局が支えている。
トランプが台湾問題に冷淡なのは、こういったところにも原因の一つがある。
この視点から見ると、習近平としては、トランプを全面的に支援したい立ち位置にあることが見えてくる。
トランプがどこまで本稿で書いた経緯を認識しているかは定かでないが、
少なくともトランプと習近平の方向性は、この点では一致しているので、
G2構想にとっては、それを阻害する方向に動く可能性は低いとみなしていいのではないだろうか。
◆2024年、高市早苗「(台湾独立を掲げる)民進党政権が続いて欲しい」と表明
問題はわが国だ。昨
年11月7日の「高市発言」などは軽いもので、ここ数年、高市氏は
一自民党議員として台湾独立を礼賛する言動を数多く重ねてきた。
そのことは今年1月22日のコラム
<個人の人気で裏金議員を復活させ党内派閥を作る解散か? しかし高市政権である限り習近平の日本叩きは続く>
の図表1に書いた通りだ。
特に注目されるのが2024年に高市早苗が言った「私は台湾が大好きで大好きで…。
(台湾独立を掲げる)民進党で政権を維持してほしい」という言葉である。
これ以上に習近平を刺激した言葉はなく、
昨年11月7日の「高市発言」はそのきっかけに過ぎない。
習近平にとっては、無理して昨年10月31日、
韓国で開催されたAPEC首脳会議のついでに日中首脳会談を開催してあげたのに、
その前後に台湾代表との会談のツーショットをXに投稿したり、
11月7日になって「高市発言」があったりしたため、
堪忍袋の緒が切れた、ということだろう。
筆者など、高市政権誕生の初期のころは、日本が持っているカードに関してコラム
(2025年11月22日<中国の高圧的な日本叩きに対して日本が持っているカード>など)を書いたために、
中国では筆者を罵倒する激しいい動画が何本も制作されて批判の対象となっているくらいだ。
台湾問題に関しては、これは国共内戦の延長線上にあるので中国の内政問題だ
という趣旨の事を書いてきたが(たとえばコラム<中国にとって「台湾はまだ国共内戦」の延長線上>)、
なにせ『毛沢東 日本軍と共謀した男』や『台湾軍事機密情報が語る中国「抗日戦争」の真相』などを著しているので、
中国に行ったら拘束されるであろうことは確実だと覚悟している。
歴史の真実を言っても拘束対象となるが、今般の民族団結法と高市政権の対中姿勢により、
日本人の立場はいっそう危険を伴うものになるだろう。
日本にいる分にはせいぜい中国への入国禁止くらいですむだろうが、
中国の土地を踏んだが最後、拘束される可能性が高くなる。
戦争により相手国の政府転覆を謀る米国も受け入れられないが、
言論弾圧を強化する中国が世界を制覇するなど歓迎できるはずがない。
しかし拙著『G2構想 勝つのは米国か中国か』で分析した限り、
世界全体の潮流としては中国の方が優位に立っている。
日本はどのように動くべきか、このたびの「民族団結法」を視点に入れながら考えていくべきだと思う次第だ。
1941年中国生まれ。中国長春市で中共軍による食糧封鎖に遭い家族を餓死で失う。1953年日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。内閣府総合科学技術会議専門委員(小泉政権)や中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。著書に『G2構想 勝つのは米国か中国か』(7月2日発売予定)、『台湾軍事機密文書が語る中国「抗日戦争」の真相』、『米中新産業WAR トランプは習近平に勝てるのか?』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。