「関ヶ原は応仁の乱に近い戦いだった」 『シン・関ヶ原』高橋陽介が一次史料から読み解く、天下分け目の新解釈(リアルサウンド) - Yahoo!ニュース

 

「関ヶ原は応仁の乱に近い戦いだった」 『シン・関ヶ原』高橋陽介が一次史料から読み解く、天下分け目の新解釈

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リアルサウンド

『シン・関ヶ原』(講談社現代新書)の著者・高橋陽介

 徳川家康と石田三成の対立、裏切りと奇襲――私たちがよく知る「関ヶ原の戦い」は、どこまで史実なのか。

 

  【画像】一次史料を手掛かりに「関ヶ原」を見ていくとき、いちばん苦労したのは? インタビューの模様

 

 『シン・関ヶ原』(講談社現代新書)の著者・高橋陽介は、江戸時代に編まれた軍記や後世の物語をいったん脇に置き、当時の書状や日記といった一次史料だけを読み直すことで、まったく異なる関ヶ原像を描き出す。  家康はすでに天下人だったのではないか。西軍の首謀者は石田三成ではなかったのではないか。従来の「物語」を慎重に剥ぎ取り、史料から立ち上がるのは、情報が錯綜し、誰も全体像を把握できないまま進んでいった、極めて不確かな戦いの姿だ。  通説不在の時代に、関ヶ原をどう読み直すべきか。高橋が語る、新しい歴史の考え方とは。 ■関ヶ原の戦いを一次史料だけで描くと ――『シン・関ヶ原』出版以来、かなりの反響とのことですが、まずはその状況について、どのように捉えていますか。 高橋陽介(以下、高橋):率直な感想としては、非常に驚いています。こういった歴史系の新書が、どれぐらい読まれるのかわからなかったし、そもそもジャンルとしてのマーケットがもっと小さいと思っていたので。 ――とはいえ、かつて呉座勇一さんの『応仁の乱』(中公新書)が大ベストセラーとなった例もありますし、歴史の本には可能性がありますよね。 高橋:そうですね。なので、少し予想外ではありましたが、これによって関ヶ原の戦いに関する議論が、さらにその先へと進められるかもしれないということが、自分としては何よりも嬉しいです。  本書の執筆動機とも関係するのですが、本書に書いた話というのは、突然新しく出てきた話ではなく、それまでの研究の蓄積があってこその話なんです。そもそも最初に僕がやったのは、「関ヶ原」に関して何の知識もない人間が、当時の書状や日記といった一次史料だけを読んだらどのように解釈するだろうか、という思考実験でした。 ――それが、高橋さんの過去の著書『一次史料に見る関ヶ原の戦い』(ブイツーソリューション)になるわけですか? 高橋:そうです。すると、それまで自分が思っていたような関ヶ原の戦いとは、まったく違ったものになってしまったんです。そこでまず専門書という形で提示してみたのですが、従来の「関ヶ原」のイメージが強すぎるのかなかなか広まらず、その先の議論もなかなか進みませんでした。そこで今回は新書という形で出版し、専門家ではなく一般の人たちに訴えかけてみようと考えました。  もちろん、僕としては本書が支持されれば嬉しいのですが、判断するのはあくまでも読者の方々です。ただ、本書を読んだ後に、これまでの通説に則った関ヶ原の戦いをドラマや映画で観て、何の違和感もなく受け入れられるかといったら、難しいのではないか――そういう自負はあります。 ■従来の説との違いが面白い ――高橋さんは、そもそもなぜ関ヶ原の戦いに興味を持ち、研究しようと思ったのでしょう。 高橋:きっかけは司馬遼太郎の小説『関ヶ原』でした。読んだあとすぐにTBSのドラマ版も観て、それもすごく面白かったんですよね。そこから「関ヶ原」に興味を持って、自分でもいろいろと調べるようになりました。  そもそも「関ヶ原」について書かれたものは、基本的に江戸時代に編纂された『関ヶ原軍記大成』がもとになっています。そういった「軍記」というのは、言ってみれば、江戸時代の「小説」みたいなところがあるわけです。一次史料だけで研究することは、ごく最近始まった動きなんです。 ――大枠は史実通りだとしても、細部を少し盛ったり、想像で補ったりしながら、「物語」として面白くしているようなところがあると。 高橋:そうです。いわゆる一次史料と違って、そういった編纂史料というのは、必ずしも同時代の人が書いたわけではありません。僕は16~17世紀、慶長年間の豊臣政権をテーマに研究をしているのですが、その時代の史料の多くは「翻刻」、つまり「くずし字」から現代の活字に直されていて、しかもその多くが今はネットを通じて閲覧することが可能になっているんです。 ――そうなんですね。 高橋:そのおかげで、幅広い層の研究者たちが史料にあたり、各々の意見を交わし合うような場ができているんです。僕もそうやって史料を読み込みながら、だんだんと自分の考えを持つようになっていったのですが、先ほども言ったように、一次史料だけを読み込んでいったら、従来の説との違いがあまりにも大き過ぎて。そこに僕は、すごく面白さを感じたんです。 ■従来の「関ヶ原像」を拭い去ることの難しさ ――そういった史料の整備がなされて以降、関ヶ原の戦いそのものを、再検証しようとする動きが出てきたのですか? 高橋:そうですね。具体的にいつからとは正確に言えませんが、関ヶ原に関しては、笠谷和比古さんが、それまでの通説に対して、いろいろと疑義を唱えたことから始まっています。たとえば、東軍の主力部隊は家康が率いた軍勢ではなくて、中山道で西に向かった秀忠軍だったことを明らかにしたり。いわゆる「七将襲撃事件」のとき、石田三成が家康のところに逃げ込んだという話が、フィクションであることを明らかにしたり。  そのあと白峰旬さんが、家康が小早川秀秋に向かって砲撃した、いわゆる「問鉄砲」(といでっぽう)の話を否定されました。一次史料を重視されていた白峰さんは、そこから「小山評定はなかった」という説を出し、「あった」とする本多隆成さんと論争になりました。そこから「だったら、こういう史料がある」「こういう文書がある」といった調子で、いわば史料で殴り合うみたいな感じになっていったんです。 ――史料で殴り合う(笑)。 高橋:なので僕の世代というのは、そうやって彼らが切り開いた道を歩いているような感じなんですよね。つまり、双方から出てきた史料を使って、さらにいろいろな解釈をするという。それが、10~15年ほど前のことだったと思います。 ――そこで、何か新しい史料が発見されるようなこともあったのでしょうか? 高橋:それについては、イエスでもありノーでもあります。新しい史料は何点か発見されましたが、実際にはもともとある史料を、それまでの先入観を取り払い、丹念に読み込んで、「実はこういうふうに読めるのではないか?」といったようなことが多かったと思います。  僕自身、一次史料だけを手掛かりとして「関ヶ原」を見ていくとき、いちばん苦労したのは、自分自身の中にある先入観を取り払うことでした。自分としては先入観なく史料を読んでいるつもりでも、拭い去るのは難しい。  そういう意味でも、司馬遼太郎の『関ヶ原』は取り上げざるを得なかった。研究する立場からフィクションを批判するのは的外れですが、歴史学の世界で誰もあの小説に触れないのもそれはそれでおかしいですし、肯定する否定するに関わらず、「司馬関ヶ原」も扱うべきだと思うんです。多くの人たちの「関ヶ原像」を作っているのは、恐らくあの小説だと思うから。 ――たしかに。最近では、原田眞人監督の映画『関ヶ原』(2017年)も、司馬遼太郎の『関ヶ原』が原作でした。 高橋:そうですよね。自分の目で見た情報って、たとえそれがフィクションだとわかっていても、なかなか否定しづらいんですよ。「あのシーン、見たよ」って、いつの間にか思い込んでしまっているところがある。  そもそも司馬遼太郎の『関ヶ原』とは何かというと、徳川家康が「悪」で、石田三成が「正義」なんですよね。つまり、五大老・五奉行制から逸脱して、家康が豊臣政権を乗っ取ろうとしていると。それは、明らかに「悪」なわけです。で、豊臣家に忠義を誓ってそれを阻もうとする三成が、「正義」であるという。三成は、家康に勝てないことがわかっていたにもかかわらず、忠義のために立ち上がる。それって、ある意味『忠臣蔵』と同じというか、そういう「物語」が、昭和の日本においては、広く受け入れられたんですよね。 ――いわゆる「敗者の美学」というか、日本人は昔からそういうものが好きですよね。 高橋:そう。だから、そういう「物語」を、まず排除していく作業が、実はすごく重要なんですよね。それもあって本書では、「関ヶ原」の前から「徳川家康はすでに天下人だった」という視点を大前提として、一次史料を見ていくことにしたんです。 ■関ヶ原の戦いは、応仁の乱に近い ――本書は、もともと『家康の一〇〇日』というタイトルで執筆していたとのことですが、そのようなドキュメント的な構成にしたのは、どんな理由からだったのでしょう? 高橋:まず、『家康の一〇〇日』というのは、家康が会津攻めのために大阪を出発してから、再び大阪に戻ってくるまでが、ちょうど100日だったからです。その流れを時系列に沿って書いた方が、読者も理解しやすい。もちろん、家康の移動距離が長いため、どうしても上方の動きとのあいだにタイムラグが起きてしまうので完全には時系列に沿っておらず、すると逆にわかりにくいところも出てきてしまう。なので、章の立て方としては、最初に大阪を出た家康の動きを追ったあと、次の章では上方の西軍の動きを追って、そのあとまた家康に戻って、さらに上方に戻って、最後に関ヶ原で対決するという。そういう形をとりました。 ――今、おっしゃったように、西と東でタイムラグがあるというか、誰がいつどこで情報を得るかという「情報戦」的なニュアンスも、すごくありますよね。 高橋:そうですね。現在のように、いろいろなメディアがあるわけではないので、正確な情報というのは、実は誰もわかってないんです。家康にしても、上方に戻ってくるとき、誰が西軍に参加しているのか、完全にはわかっていなかったと思います。なので、自分が持っている情報をもとに、その都度、判断して行動していくというか、結局その判断にミスが少なかったほうが勝つという。それこそ、戦いが終わったあと、その状況を全員が把握していたかというと、そうとは思えないですし、ましてやその途中段階では、誰も完全には状況を把握していないはずです。 ――「関ヶ原」の前に取り交わされた書状などを見ると、その混乱具合がよくわかりますよね。家康自身も、その結末までは、完全には見えてなかったでしょうし。 高橋:そう。だから、ある意味「応仁の乱」に近いですよね。その状況を、誰も完全には把握していないというか、誰と誰が敵対しているのかも、完全にはわからないまま戦っているという。でも、それが現実なんだと思います。そのあたりが、本書の面白いところなのかもしれないです。

 

 

 ■石田三成首謀説を排除して関ヶ原を考える ――本書の中には、高橋さんによる「新説」がいくつか提示されているわけですが、その中でも特に強調したい、あるいはかなり踏み込んだ形の「新説」と言ったら、どれになるのでしょう? 高橋:やはり、先ほど言った「家康はすでに天下人だった」ということですかね。当時の史料を読み解いた限り、そうとしか思えないわけで。  もうひとつは、「西軍の首謀者は石田三成ではない」ということでしょうか。まあ、最近は関ヶ原合戦に至る経緯を、徳川家康と石田三成の対立軸で語る研究者は、かなり少なくなっていますし、石田三成が上杉景勝の家老である直江兼続と共謀して、東西から家康を挟み撃ちにしようとしたという説も概ね否定されています。

 

 

 ――そうなんですね。

 

 

 高橋:はい。そういった石田三成首謀説を排除した形で「関ヶ原」を見ていくとこうなりますよ、ということを書いたのが本書になります。つまり、毛利輝元と3人の奉行が共謀して決起したという。

 

 ――その3人の奉行というのは、増田長盛、長束正家、前田玄以であって、

そこに石田三成は入っていないと。本書を読んで思ったのは、

石田三成の一貫した存在感の薄さでした。

 

 高橋:

そうですね。敢えて、そういう書き方をしたところもなくはないのですが。

本書にも登場する「内府違いの条々」という、

奉行衆が諸大名に送った家康の弾劾状があるじゃないですか。

あれも、我々は勝手に、石田三成が家康に対して立ち上がった根拠として捉えがちなのですが、

よくよく署名を見ると、石田三成が入ってないんですよね。

つまり、その弾劾状について、石田三成は、まったく関係がないという。

 

 ――いわゆる「五奉行」のうち、石田三成と浅野長政は、

その頃、すでに失脚していて、実質「三奉行」体制だったわけですよね。

 

 高橋:

そうなんです。それこそ、本書でも取り上げましたが、奉行衆が九州の加藤清正に送った書状というのがあって、「戦になりそうだから人数を出せ」と。それに対して加藤清正は、「そんなことは知らない」みたいなことを言っているのですが、加藤清正としては、その奉行衆の中に石田三成を含めてないわけです。というのも、その頃の石田三成はもはや奉行ではなく、そのことを加藤清正も知っていたから。それこそ、石田三成が西軍に参加していることを、加藤清正が知っていたかどうかも、実はかなり怪しいわけです。そのように、石田三成首謀説を排除した上で、関ヶ原の戦いをどのように捉えるのか。そこが、本書の特殊なところだと思います。

 

 ■新説をもとにした物語の可能性

 

 ――それでも十分面白いと言いますか、先ほどの「情報戦」的な意味合いも含めて、これまでの「関ヶ原」とはまた違う面白さがありました。 高橋:ありがとうございます。やはり、「物語」というのは非常に面白いですよね。先ほど「敗者の美学」とおっしゃいましたが、こういう話をすると、やはり司馬遼太郎の『関ヶ原』の話を出さないわけにはいかない。江戸時代とかに書かれたものを見ると、明智光秀とか石田三成は、単なる悪人なんですね。それを「悲劇のヒーロー」にしたのが司馬遼太郎の『国盗り物語』であり『関ヶ原』でした。それ以降、明智光秀や石田三成は、織田信長や徳川家康に対して立ち上がった「悲劇のヒーロー」という見方をされていくようになる。

 

 

 

  坂本龍馬にしても、司馬遼太郎が『竜馬がゆく』を書く前は、ほとんど無名の人物だったのに、

今やこれだけファンの多い人物になっている。

そこにはやはり「物語」の力が大きく影響していると思うんです。

 

 

 ――なるほど。そういった「物語」の功罪みたいなところも含めて、本書でいちばん伝えたかったことと言ったら、どんなことになるでしょう。

 

 

 高橋:

「歴史的な事実」なんてものは、極端な話、実際にその時代に行って、自分の目で見ない限りは、わからないんですよね。

けれども、当時の史料を丹念に読み解いていくことによって、

「事実」あるいは「事実らしきもの」を究明していくことはできるわけで、

その面白さですよね。それを感じてもらえたら、著者としては、いちばん嬉しいです。

 

 ――今、ふと思いましたけど、ひょっとすると、昨今の「考察ブーム」みたいなものと、かなり近いところがあるような気も……。

 

 高橋:ああ、そうかもしれないです。もちろん、歴史の場合、そこに「正解」みたいなものはないわけですが、「この史料を読むと、こういうことが言えるのではないか?」というのは、まさに「考察」に近いかもしれないですね。なので、僕がこの本の中に書いたことが、必ずしも「正しい」ということではなく、本書を読んだ上で否定していただいても全然構わないというか、むしろ嬉しいところがあります。

 

 ――本書の「おわりに」で、「関ヶ原に関しては『通説不在』の状況にあると考えている」と書かれていましたが、今後関ヶ原の戦いは、どのようなものとして捉えられていくと思いますか?

 

 高橋:「関ヶ原」に関しては、新説に対する批判がやはりいくつか出てきているんです。なので、今後どうなるのかは正直わかりません。ただ最初の話に戻りますが、この本がそれなりに読まれたということは、これを読んだ人が従来通りの「関ヶ原」のドラマや映画を観て、つまり徳川家康と石田三成を対立軸とする「関ヶ原」を観て、それをまだ面白いと感じられるのかは気になります。

 

 ――新説をもとにした小説やドラマ、映画といったものが、今後出てくる可能性もある?

 

 高橋:

そうですね。ただし、研究も大事ですが、世間の人たちが何を面白がるのかというのも、すごく大事なことだと思います。だから、それら両方の兼ね合いの中で、新しい「関ヶ原像」がこれから生まれてくる可能性もあるのではないでしょうか。現時点では、そんなふうに思っています。

麦倉正樹

 

 

 

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中国軍「実戦派トップ」を排除した習近平の暴走。軍の機能不全を承知でイエスマンを並べる“台湾侵攻”の危うい現実(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース

 

中国軍「実戦派トップ」を排除した習近平の暴走。軍の機能不全を承知でイエスマンを並べる“台湾侵攻”の危うい現実

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東洋経済オンライン

中国の人民解放軍で吹き荒れている「大粛清」は暴走の予兆? 地政学や歴史からリスクを読み解きます(写真:tomcat/PIXTA)

世界最大、200万の兵員を擁する中国の人民解放軍で、前代未聞の「大粛清」が吹き荒れています。実戦経験豊富な軍トップまでもが次々と失脚し、軍最高指導部は習近平氏に絶対忠誠を誓う「イエスマン」のみで固められつつあります。かつてスターリンやプーチン氏が陥った、専門家の助言を失う「裸の王様」への道は、台湾有事においてどのような致命的リスクをもたらすのでしょうか。本稿では『世界を解き明かす 地政学』より一部抜粋のうえ、独裁者の猜疑心が招く軍の機能不全と、暴走の予兆を読み解きます。

■軍幹部の大半が失脚  世界最大の200万の兵員を擁する中国の人民解放軍で、大粛清の嵐が吹き荒れています。中国共産党が10月下旬に開いた中央委員会の会議では、参加資格をもつ人民解放軍幹部らのうち6割超が欠席しました。多くは汚職などの疑いで拘束したとみられています。  中国国防省は1月には軍制服組トップの張又俠・中央軍事委員会副主席と劉振立・軍統合参謀部参謀長を「重大な規律・法律違反」の疑いで調査すると公表し、両者の失脚が明らかになりました。

 これにより7人いた軍最高指導部の中央軍事委のメンバーは習近平(シー・ジンピン)国家主席を含めて2人しか残らない異常事態となりました。中国は将官の数や処分数の統計を発表していませんが、重要な式典への欠席者数の多さから最高ランクの上将も大半が失脚したとの見方が広がっています。  こうした軍幹部の綱紀粛正の動きは2023年から続いていましたが、最近になって加速しています。前任者の失脚で昇進した軍幹部が、すぐに失職する例も少なくありません。粛清の規模としては、ソ連軍の幹部の大半が処刑されたスターリンによる1937〜38年の大粛清に比べられます。

 張氏と劉氏の失脚で、中央軍事委には実戦経験を持つメンバーはいなくなりました。こうした大規模な粛清は台湾有事を含む軍の作戦遂行能力に悪影響を及ぼすのは明らかですが、なぜいっこうに収束せずに加速しているのでしょうか。

 

 

 

 ■軍への警戒生んだ地理的背景

 

  それを理解するには、まずランドパワーと呼ばれる大陸国家、中国の地理的な条件を知る必要があります。中国の陸続きの国境の長さは約22000キロメートルに及びます。世界最長の陸上国境で、14カ国と接しています。

 

 

 有史以来、こうした陸上国境を巡ってユーラシア大陸で無数の戦乱が起きてきました。ランドパワーは地続きで人の移動が簡単なため、多数の民族が入り乱れた歴史から多民族国家であるのも特徴の一つです。中国も主要民族の漢民族のほかに、55の少数民族が存在しています。  国土が広く多民族の国は国家分裂のリスクを抑え込むため、中央集権の非民主的な政治体制を取る例が多く見られます。地域や民族ごとに国が分かれて内乱に陥れば、住民の生活水準が低下し、外国勢力の侵略を許すことになるためです。現在の中国政府も国内の安定を最重視し、民主化に否定的な姿勢をみせてきました。

 ただ、非民主的な政治システムには、政府が選挙を通じて統治の正統性を確認できないデメリットがあります。現在の中国に言い換えれば、有権者が選んでいない習近平氏の権力維持を国民に納得させるすべが乏しいということです。  権威主義国家のトップは自らの権力の正統性が弱いがゆえに、国民の不満の高まりを常に警戒しています。そして何より恐れるのが、最大の実力組織である軍の動向です。市民の反政府活動は治安部隊を使って抑えられても、軍が離反した場合には政権の転覆は避けられないためです。

 

■トップ以外の権威はつぶされる

 

  いわば軍は独裁政権を倒そうとする勢力にとって、最後のとりでなのです。

このため中国や旧ソ連は、

共産党による監視・統制のシステムを軍の組織に組み込み、離反の動きを防いできました。

プーチン政権下のロシアでも、複数の治安機関を使って軍への監視を強めました。  戦闘で功績をあげたカリスマ的な将官は、特に厳しい警戒対象になりました。

第2次大戦の独ソ戦の英雄であるジューコフ将軍は

戦後、独裁者スターリンとフルシチョフの両指導者ににらまれて2度の失脚の憂き目にあいました。

 

 軍隊では司令官の優劣が兵員の生死を左右する厳しい世界だけに、ポストを得ても戦勝の実績がなければ組織の掌握は困難です。その反面、戦闘での実績を持つ将官の影響力は絶大です。クーデターを起こす際の成否を分ける部隊員たちの信望も、実戦での功績によるカリスマで得られるのです。  今回失脚した張氏も1979年の中越戦争や84年の中越国境紛争で大きな軍功をあげました。その後、中国軍は実戦から40年以上遠ざかっており、同氏は実戦経験を持つ数少ない将軍の一人になっていました。

 

 

 習氏も軍の統制に有用な張氏を長く重用してきました。台湾に対して軍事行動を展開する際にも、実戦経験を持つ張氏の存在は不可欠とみなされてきました。  それでもあえて習氏が張氏の粛清に踏み切ったのは、表向きの理由とした汚職だけでなく、独裁者が軍に対して抱く強い猜疑心が背景にあります。ロシア政府の元幹部は「権威主義国家ではトップ以外の権威はすべてつぶされる運命にある」と語ります。

 

 

 ■理にかなわない軍事行動の懸念高まる

 習氏は軍幹部を総入れ替えし、自らに絶対的な忠誠を尽くす人間で固める方針のようです。軍機関紙の解放軍報は31日付の1面に掲載した張らの汚職疑惑に関する論評で「思想上、政治上、行動上で習近平同志を核心とする党中央と高度に一致する必要がある」と記しました。

 

 

  こうした粛清は、中国軍にどのような影響をもたらすのでしょうか。

まず挙げられるのが、幹部たちが生き残りのために常にトップの顔色をうかがうようになることです。

最高指導者の意向と異なる意見を唱えたら即座に反逆とみなされると恐れるためです。

 

 

 結果として、トップが専門的な助言を得られない「裸の王様」になる可能性が高まります。

戦場でも現場の事情を踏まえないトップの指示に反することができず、多くの犠牲を生むことになります。

 

  スターリンは1937〜38年の大粛清で、名将として知られたトゥハチェフスキー元帥ら軍幹部の大半を銃殺刑に処しました。

その直後の

39年、短期で占領できるとみて小国フィンランドへの侵攻を決めましたが、

側近は誰もそれをいさめることができませんでした。

 

 

 実際には指揮官の質の低下により、人口比で50分の1のフィンランドに予想外の大苦戦をすることになりました。

スターリンはこの教訓を後の独ソ戦に活かすことになりますが、

その代償は30万人とも推計される自軍の死傷者でした。

 

  ロシアのプーチン大統領も22年2月、短期で占領が可能との軍や情報機関の予測を基に

ウクライナへの侵略を始めました。

軍や情報機関にプーチン氏の意向に沿った楽観的な報告を上げようとする

忖度が働いたのは間違いありません。

実際には予想外のウクライナ側の抵抗にあい、

4年を経ても当初もくろんだ首都制圧にはほど遠い状態が続いています。

 

 張氏らの粛清に欧米の軍や情報機関が注目するのは、

中国も過去のスターリンやプーチン氏のような

理にかなわない軍事作戦を始めるリスクが高まった懸念があるからです。

台湾有事で大きな影響を受ける日本も、

今回の粛清劇は決して人ごとではありません。

田中 孝幸 :国際政治記者

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宮崎謙介氏 中道の落選候補らが浪人中に直面する“大ブーメラン”「どうするんですかね?」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

 

宮崎謙介氏 中道の落選候補らが浪人中に直面する“大ブーメラン”「どうするんですかね?」

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宮崎謙介氏

 元衆院議員の宮崎謙介氏(45)が11日、ニッポン放送「垣花正 あなたとハッピー!」(月~木曜前8・00)に生出演し、衆院選で大敗した新党・中道改革連合の元議員らが歩む茨の道について指摘した。

 

  【写真あり】議員会館撤収へ…セーター姿で荷物整理にきた枝野幸男氏は穏やかな笑顔 

 

 8日投開票の衆院選では、自民党が公示前198議席から、

単独で3分の2を超える316議席(315+追加公認1)を獲得。

対照的に、立憲民主党と公明党の合流によって結成した中道は、

公示前勢力を167議席から49議席まで減らす歴史的惨敗を喫した。

 

安住淳氏、小沢一郎氏、枝野幸男氏、海江田万里氏ら、

幹部経験者や重鎮が相次いで落選した

 

  こうした状況に、宮崎氏は

「私が中道さんにあえて言うとしたら、

旧公明党、旧立憲とくっついて、

“選挙互助会じゃないか”と皆さんに言われていました。

あれだけ“違います”と言っていたんだから、

ここで別れるなよと言いたいです」とバッサリ。

国民をまただましやがったなとなるから、ぜひ仲良くして

いただけたらなと思います」と皮肉を込めると、

パーソナリティーの垣花正からは

「いや~、嫌味な人間ですね」の一言が飛んだ。

 

  気になるのは中道の落選者たちの今後だという。

落選中に皆さん、どうやって生計を立てるかと言うと

普通、自民党は(政治資金)パーティーなんです。

“皆さん、すみません。助けて下さい。捲土重来を期してまた国会に戻るので…”と言って」。

 

ところが、中道は公約に企業団体献金の禁止を掲げ、

その足がかりとして献金の受け手規制の強化などを訴えていた。

  まさに公約が大ブーメランになりかねない状況。

宮崎氏は「厳しいんじゃないですか?どうするんですかね?」と述べた。

 

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竹中平蔵氏、自民党が“歴史的大勝”できた理由とは?持論を展開「何より重要なのは」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

 

竹中平蔵氏、自民党が“歴史的大勝”できた理由とは?持論を展開「何より重要なのは」

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スポニチアネックス

竹中平蔵氏(10年撮影)

 経済学者・竹中平蔵氏(74)が11日までに自身のYouTubeチャンネルを更新し、

衆院選で自民党が圧勝できた理由について語る場面があった。

 

  【画像あり】中道の大物破った元グラドル、この日も朝から辻立ち!

 

 竹中氏は「どうして風が吹いたのか?ということをじっくり考えてみる必要があると思います。

まず、あまりに短い選挙戦で

一度風が吹くと、それを止めるのは難しいということもあると思います」と切り出す。

 

  「そして何より重要なのは、

野党のオウンゴールがあったことだと思うんです。

野党が弱すぎる点に加えて、

安全保障問題が大変重要な中で、この問題に対して

水と油のような立憲と公明党が一緒になって戦おうとした。

“これは問題だよね”ということで、自民党に流れた部分も非常にあったと思います」

 

 

  「かつて民主党政権ができたのは、

前の自民党政権がまずかったからです。

そして民主党政権から、また自民党に戻りました。

これは特に菅内閣や鳩山内閣がまずかったことによるオウンゴールによるものが多かった。

今回もしたがってオウンゴールの面が確かにあると思います」としたが

 

「しかし同時に、

高市さんの言葉の力や情熱が刺さったことは間違いないですよね」と私見を展開していた。

 

 

 

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