久保 守は梅原龍三郎に推挙され東京芸術大学教授になり、国画会を発表の場として活躍しました。芸大では、島田章三のような人気作家を育てました。
この少年の絵は、息子を描いた若き頃(1951年)の作品です。顔面の人工的な緑の筋は影の線として機能しており、マチスの「マチス夫人、緑の筋のある肖像」を想起させます。
当時、マチスやピカソは洋画を学ぶ若者たちにとって、避けては通れぬ道だったのでしょう。この頃、久保はキュスビズムを意識した作品も残しています。少年の耳の形等に、その片鱗を感じます。事象を単純化して、画面を作り上げました。
久保の画集を3冊持っていますが、この少年の絵は、その全部に掲載されています。このことから、画家はこの絵を気に入っていたと思います。左端のサインは、初期の頃には入っておらず、後年になってから入れたものです。小品(27×22cm)ですが、この時期の代表作のひとつと思います。
