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どうやってこんな高さに積むことができるの
県道脇の雪捨て場 重機で積むんだろうけどそれにしても...10メートル以上の高さ!

冬の毎日の除雪は雪国にとっては大きな課題

あっという間に着きました
「八甲田山雪中行軍遭難資料館」
今から 121年前、明治35年1月末
大日本帝国陸軍(旧陸軍)青森 第5連隊
多くの兵士たちが訓練中に命を落とした惨劇を後世に伝える施設
映画『八甲田山』、かなり以前に観ました

駐車場には八戸No.のクルマが一台
入館料 270円 立派なキレイな施設

うわ... こんなに大きい銅像なんだ
まさかここにも在るとは...
一人で仮死状態で立っていた後藤房之助伍長
この方は、宮城県栗原出身なんですね
210人中、199人もの人たちが亡くなった惨事
生き残った半数も発見後すぐに亡くなり、生存者は凍傷などで四肢を失った人たちが殆ど...
その時の装備

当時とすれば立派なのかも知れないけど、、、
すべて、ウールや木綿、革靴の上に藁靴
マイナス20度以下、猛吹雪の中 尋常ではない寒さだっただろうな...
精神性だけでは太刀打ちできない極寒の世界
眠れず疲労困憊 多くの兵士が倒れていく

移動手段として、スキーがあれば、もっと行動ができただろうという
なんとここでレルヒさん°が出て来るとは!
新潟県民ならみんな知ってる日本にスキーを伝えたオーストリアの軍人さん
今はゆるキャラとなって色々な商品にもなってます

(現在の青森駐屯地「白い精鋭」たち)
資料館の真ん中のスクリーンで映像をまず観る
時代背景やその時の状況など解りやすく解説してくれます
とにかくその痛ましさに胸が苦しくなり涙がこぼれる... あぁなんてお気の毒、という言葉しか出て来ない

館内に入った時、ただひとり 先客の青年
熱心に資料のパネルを読んでいる
その背の高い後ろ姿、一目で『あ、現役の隊員さんだな』と直感
(何で解るか... それはナイショ ...体型とかじゃないよ たぶん何処で会っても 解る!)
屋外には、墓地

右側と、左側にはたくさんの墓標
正面には上官たちの

さっきの青年が腰を折り深々と礼をしている
その姿を見て、あらためて 確信

この亡くなった方々の亡骸は自宅に帰れたのだろうか これらの墓標の下で眠っている訳ではないんだろうな
悲しい出来事ですが、弘前の第31連隊さんは
同時期に220キロも踏破し全員無事生還している
青森第5連隊さんと何が違ったのか...
美談やただの悲劇で終わらせるのではなく、ここを学ぶべきではないでしょうか
でもそれにしても、、、やっぱり悲し過ぎる
青森市八甲田山雪中行軍遭難資料館
青森市幸畑阿部野163-4
017-728-7063
なんか重ーい気持ちのまま、青森市街へ

青函連絡船 八甲田丸
1908〜1988 青森港ー函館港の間の道
波の音が ざぶーんざぶーん

青森ベイブリッジ ここもベイブリッジ!
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クーポンすべて使用

いろはす りんご
それにしても、青森市内もポカポカ
温泉入ってないね 何処かへ寄りますか
本日(4/20)は夏の様な気温✨
°レルヒさん
