シアタートラムで上演中の「いつぞやは」を観てきました。

この作品は、上質な作品を提供し続けているシスカンパニーの公演であることで興味を持ち、作・演出が加藤拓也さんだと知って観に行くことを決定!

後から鈴木杏さんが出演することがわかって喜び、よく確認してみれば出ているのは知っている方ばかりだった。

 

当初出演予定だった窪田正孝さんが怪我のため降板し、急遽代役を務めることになったのが平原テツさん。

平原さんは「綿子はもつれる」や「もはやしずか」にも出演していましたし、加藤さんからの信頼の高さを伺うことができます。

 

 

開演と同時に演出家・松坂(橋本淳)が客席から登場し、お客さんに飴を配りながら舞台に上がります。

これは松坂が主宰する劇団の終演後の恒例となっているものという設定で、その流れのままに本編が始まりました。

 

舞台上でも飴を配っていると、昔の劇団仲間である一戸(平原テツ)が現れ、「ステージ4の大腸がんが見つかり、実家のある青森に帰ることにした」と告げます。

話を聞いた松坂はどのような対応をしたら良いのかわからず戸惑いますが、一戸の口調は淡々としていて、そこに悲壮感はありません。

笑顔を見せながら「そんな顔するな」と言い、自分の人生を物語にして欲しいと頼みます。

松坂と同様に一戸から話を聞いていた坂本(今井隆文)の発案で送別会に集まった大泉(豊田エリー)と小久保(夏帆)。

彼女たちもかつての劇団仲間であり、みんなで舞台をやろうということになります。

居酒屋で実行された小規模な公演の模様は劇中劇風に演じられ、そこには舞台から離れていた期間を感じ取ることができ、かつて情熱を注いだ舞台への想いや仲間達との楽しい思い出も見えてきます。
 

一戸は「若い頃に悪さもしてきたし悔いはない」というようなことを語りますが、舞台は死を実感した時に彼が「やり残したこと」のひとつだったのかもしれません。
 しかし、実家に戻った彼は母親と買い物中に同級生の真奈美(鈴木杏)と再会し、あらためて「やり残したことはないのか」と問われた時・・・。

詳細な過程は描かれていないものの、ラストシーンを観る限りふたりの関係は続き、彼女が彼を看取ったのであろうことがわかります。

 

出演者はみなさん素晴らしかったのですが、何といっても平原さん!

仲間への思いから-あるいは、それは死への恐怖から逃れるためかもしれないけれど-淡々と振舞いつつも、ひとりになった時の思いつめた姿、そして大麻を使用して幻想の中に迷い込み、人が変わったかのような暴力的な行動や発言をする姿。

凄いを通り越して凄まじいです!

 

それに対して、橋本さんは一歩引いて仲間たちを見つめ、静かな語り口調です。

ラストで一戸が亡くなったことを伝える電話を受けた時もその口調は変わらないのですが、最後の最後で感情が込み上げてくるシーンでは、最初からその姿を見続けてきた観客に彼が受けた衝撃の強さを伝えます。

ここはそこに至る演出の上手さによるところも大きいと感じました。

 

この作品は身近で起こり得る物語なので、どうしても自分に置き換えて観てしまう感覚はありました。

どのような作品でも同様だと思いますが、どの視点から観ているのかによって観客の感じ方は変わります。

私は最初、友人から病気であることを告白されたら自分はどのような反応をするのだろうかと友人側の視点で観ていたような気がします。

そのため、逆に一戸の仕草や感情の動きが気になってしまったのだと思いますが、いつの間にか一戸側の視点に切り替えて観ていました。

 

そして、舞台を観ながら、ストーリーを追いながら、頭のどこかで自分だったらという物語も展開されていました。

決して愉快な話ではありませんが、色々なことを考えるきっかけをくれた作品でした。