2019年9月5日、昨日の羽鳥慎一のモーニングショーでは、「週刊ポスト問題」を取り上げていた。

 

信念がないまま「売れる」記事を書いているから責められるとすぐ謝罪する、という無責任さに焦点が集まった。

過去に毎日新聞や朝日新聞が戦争気運を煽ったことなどを例に挙げて、

煽るような記事や番組作りは避けなければならない、というマスコミの責任論でコーナーが締めくくられていた。

 

また、この週刊ポストの対応について、

内田樹「週刊ポスト問題について」というブログが注目されている。

https://blogos.com/article/402414/

 

 

”うっかり人前で口にすると品性知性を疑われるリスクがあるので、ふだんは呑み込んでおくびにも出さないのだが、「言っても平気だよ」という保証が与えられたら、言ってみたい。そういう言葉である。
私は今の嫌韓言説は「それ」だと思っている。”

 

”(政府の動きの)尻馬に乗ってぺらぺら語り出される嫌韓言説には、そのような論理性がない。
 その非論理性が私にはむしろ恐ろしいのである。”

 

”今の日本は倫理的な「無秩序」状態になっている。”

 

などが要点である。

 

 

確かに嫌韓がメジャーになってきて、私もこのようなブログが書きやすくなった。

 

私が韓国と出会ったころの日本は、朝鮮半島に対して無関心であった。

朝鮮に対する差別、が声高に言われていたけれども、その主張のもとは在日団体や一部の人に限られていた。

横田めぐみさんの失踪に朝鮮半島が関わっていることを「現代コリア」が世に訴えだした頃にも、

メディアは朝鮮を問題視することを避けていた。

 

在日団体の圧力が怖いからなのだ、とささやかれていて、そういうものなのか、と十代の自分は思った。

「関東大震災で6000人の朝鮮人が日本人自警団に虐殺された」という説を信じて、贖罪意識に襲われた。

日韓本の全ては朝鮮の視点で書かれていて、植民地時代の「七奪」というものを信じていた。

高校の卒業式で「国歌斉唱強要断固反対!」と叫んで座り込む先輩がいた。

国旗も国家も、日本が好きです、という「愛国心」も、

主張すること自体が悪、みたいな空気が漂っていた。

 

マスコミが煽ったから、教師が生徒を戦場に送ったから、

その責任論にみんな黙りこくって「加害者として詫びる」ことが正しいっていう空気だった。

 

でもその間に、一番大事な「我とわが身と我が文化を愛する」姿勢を手放してしまったのだ。

 

これは韓国朝鮮の馬鹿げた「反日教育」に匹敵するくらい馬鹿げた教育だ。

自分も含めたすべての日本の子どもたちの「自己評価/Self Estimate」を貶め、今も下へ下とひっぱり続けている。

人間にとって自己愛がいかに重要なものであるかはここで語るまでもない。

出る杭にならないように、横並びで、集団の中に隠れる、いじけた日本人を育ててきたことにこそ、

日本の言論や知識人は責任を感じるべきだ。

 

振り返って朝鮮をみれば、日本のこうした態度が朝鮮人を誤解させた。

日本という鏡を見ながら立ち上がってきた朝鮮人である。

なんぼでっち上げても有利にことが運ぶ、ちょろいカモ

謝り続けて金払いのいい「加害者」

 

朝鮮の批判も、歴史の検証も、旭日旗を振るのも、

「強く正しい人間」を育てる、という本質的目的の中で行わなくてはならない。

 

過去を再検証するのは面倒くさいから「未来志向」へと水に流したくなるが

朝鮮の嘘がはびこってしまった歴史認識を正す、という面倒くさい作業もやらなければならない。

テキトーに頭を下げてきた反省である。

 

韓国朝鮮の悪い部分を指摘すれば、ヘイトだ、差別だ、と言われてしまう。

それは、ゴミをまき散らす隣人の問題点を町内会で主張しても「近所と仲良くしろ」と諭す、

頭のさび付いた長老の意見だ。

 

何が悪くて、どうすればいいのか。

何が正しくて、どこが嘘なのか。

事実を積み上げて主張すべきことは主張する、という当たり前のことができる国となり、人を育てなくてはならない。

 

確かに相手を批判するのは、そもそも日本人のメンタルにはしんどい行為だ。

でも大人になったら不当なことには腹を立ててみせることのが責任だ。

 

無関心のお花畑でお友達とは仲良くしましょう、などというだけの

思考停止の日本人を育てる社会であってはならない。

 

国旗も堂々と触れず、旭日旗の意味も評価できない、国歌を歌えない子どもたちも多い。

そんな卑屈さを見逃さず、朝鮮が付け込んでくる。

 

上っ面だけいい人ぶる卑怯な日本人育成はやめて

「強く正しい国」へと国民を導く「令和」であってほしい。

 

マスコミと先生のせいで日本人が卑屈になった、そっちの責任を考えてよ。

 

これが「週刊ポスト問題」を巡って私が思ったことです。