新生バラード第1番について | yotaのブログ

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羽生結弦選手を始め、フィギュアスケート競技のファンです。
選手は全員リスペクト。
イメージ先行のど素人フィギュアスケート観戦術。
フィギュアと関係無いことも。つれづれ日記です。

いつも心を開いているんです。心を開いていなきゃ、何も吸収できないしおもしろくない。
心を開く事が成長の原動力(Number)



『バラード第1番』について。
幕張の映像をテレビで見た時、「あ、閉じてない、開いてる」と思いました。2015シーズンのバラ1は、自分の内側に向かって演技をしているイメージがあった。
幕張では、もっと意識を外に向けた演技と感じました。
そして、神戸ではもう…以前のバラ1とは、まったく違うものだと思いました。

2017年版、新生バラ1。苦悩の理解者を私たちの中に求めているかのようでいて、「この苦悩は、僕だけのもの…」と、フッと視線を外す、超ツンデレ仕様に見えます。
もちろん下品さは微塵もなく、その苦悩も本物だろうけれど。

新生バラード第1番について、浮かんだ言葉たち。
・コネクトする、個人の幸福と苦悩、自己表現の放射、人生の起伏、生命力

「コネクト」は、前季のSPのテーマの一つです。

Let's go crazyにおいては、生きる喜びの共有がテーマにあったと思うのです。
しかし個人の苦悩においては。…簡単に共有できないのです。

個人の苦悩は、その個人だけのものである。だからこそ、そこに個性も生まれる。
「個性を大切にする」とは、自分を大切にすると同時に、他者との関係も大切にするという事。

相手がいなければ、「個」も何もないわけです。

その相手と、近づいたり遠のいたりしながら、人は生きていく。
思いがけず人生がクロスする事もあるし、もう少しで触れそうでいて、もどかしく遠ざかって行くこともある。

どんなに近いと思っている相手でも、簡単に「わかるよ」と言えないことがあるのです。
でも自分の愛する人には、知って欲しいし、愛する人のことは、知りたいと思う。
そんな事が、前記事で、私に「邂逅(かいこう)」という言葉を選ばせました。

コネクトする事とは、すべてを理解するとか、手を繋ごうとか、仲良くしよう、と言ったポジティブな側面だけでなく、「理解したい」、または「知って欲しい」という自分の欲望を知って、自分のエゴに気づいたり、きっと、この苦悩は自分にしかわからないという確信があっても、誰かがその気持ちに寄り添おうとしてくれたことに気づいて、切ない思いが湧いたり…
逆に、寄り添う…そのこと自体にリアリティを感じられず、自分の「不可侵領域」に気付くきっかけにもなりうる事。
彼の演技から、そんな事も感じるのです。

「個」の認識なくしては、コネクトする事もありえない。


そうですね、孤独ですよ、ほんとに。言ってみれば周りの環境っていうのが、ある程度その、なんだろ…自分の精神状態であったり肉体であったり、そういうものにすごく左右してくるんですけど、でも、それを遮断しないと、自分が思ってるパフォーマンスができないんですよね。だから、ある意味で孤独にさせてもらいたい。むしろ。(情熱大陸)


たった22歳の彼の、精神の成熟度合いには本当に驚嘆しますが、彼は確かに、命の危険を感じた事もある、身動きが取れないほどの痛みと戦った事も、自分の生きる道に罪悪感を感じた事さえある。
逆に自分の力で自分の欲しいものを勝ち取った、珠玉の経験もあるのです。
なんていう、凝縮された人生なのだろう。



そして、Hope&Legacyからバラード第1番へ。

…ただ『バラード第1番』をもう一度やりたいという思いはずっとあって…。それに昨シーズンのフリーは感情を作りきらないことをテーマにしていて、わりと自然に「自分が思うがままに流れるように」というのがコンセプトだったんです。それで世界選手権では「これがしたかったんだ!」という演技が出来たので、「これならもっといいバラード第1番ができるな」と思ったんです。いろんなバラード第1番の見方ができると思うと。(FaOI新潟パンフレットインタ)


さらにこのインタでは、小さい頃から学んできたものが今のバラード第1番には注ぎ込まれていると語っています。

彼がこれまでに感じた苦悩、私たちには知り得ない孤独、いかにして、虚無感や無力感と付き合ってきたのか。

ピアノの一音一音に、彼の人生の軌跡が近づいたり遠のいたりしている…
そんな幻想にもとらわれながら、私は、そこにエロティシズムを見ました。

苦悩する姿にエロティシズムを感じるという事は、不謹慎に見えるかもしれない。
でも、なぜそう感じるのかを自分に問いかけてみると、そこに「命」を強く感じるからだという事に気付くのです。


私にとっては、「命」そのものが、エロティシズムなのです。


それを、羽生くんは体現している。その軌跡を、私たちに示してくれているのです。

感情の動きと、身体の躍動とが一体となって、「生きる」という事を謳っている…
苦悩の中に見え隠れする「生命」という名のエロティシズム。


それが、私が感じた新生バラード第1番です。




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ーーー「いろんなバラード第1番の見方ができると思う」ということは、
試合ではまた違ったバラ1になる可能性もあるかもしれないな、とも思っています。
9月が楽しみです。



FaOIが終わって、あっという間に1週間が経ちました。

先日は絵子さんリンクからも、とても多くの人がこの最果てブログを訪れてくれて
いいね!やコメントをくれて、本当にありがたく思っています。
相変わらずの長文記事を読んでいただき、本当にありがとうございました。