こんな事書くとまた怒られるんでしょうけどな。。。
陸前高田の松、使用中止に=京都・送り火の薪―放射能懸念の声で
(Yahoo時事通信)
-引用-
松原理事長らは陸前高田市に赴き、8日に薪を盆の迎え火として燃やす予定。
被災者が書いた思いやメッセージは京都で別の薪に書き写され、16日に五山送り火で燃やされる。
「高田松原を守る会」の鈴木義久会長は
「風評被害は恐ろしい。亡くなった方の冥福を祈る気持ちに水を差されたようで残念だ」と話した。
計画は、ボランティアで陸前高田市を訪れた大分市の藤原了児さんが「被災者に思いを書き込んでもらい、気持ちの整理を付けてもらえれば」と発案。保存会と交渉して準備を進めていた。
-引用終り-
よく「大文字送り火」であって「大文字焼き」ではない!!。。。とかなんとか聞くが。。
おる意味そうではあるが正解ではない。。。と聞く。
他は知らんが如意ヶ岳のは「送り火」でもあり「焼き(焚き)」でもある。
というのも、応仁の乱なんかで都が屍累々だった時に、弱体化していた朝廷がそれを危惧していたのだが。。
誤解無きよう言っておくが、元々神仏信仰観念において、死体を不浄としたりする観念はなかったそうだ。
もちろん、糞尿までも不浄とは考えない。(今は知らんが)
何を不浄としたかというと、死体から発する魑魅魍魎ですな。
つまり、「屍は朽ちて消えるが怨念は消えない」から(元々生きていたのに)
「いつまでも消滅しないもの」を不浄と考えたそうだ。餓鬼とか怨念とか。。
だから
今は知らんが髑髏が破戒僧のアイテムになったりするわけですな。
髑髏が朽ちるかどうかは時間的な尺度の問題であるが、少なくとも皇室の荼毘想念の変遷にあるように
「不浄であるかどうかは」論争のタネの状態だ。
で「いつまでも消えないもの」を不浄とする観念が魑魅魍魎の排除を願うわけだが
すでに弱体化していた朝廷にその力はないし、僧兵俗化した延暦寺も動かせない。
根本中堂かどっかに成仏密宝かなんかがあるんだが、都には降ろせないしな。
精霊流しの様に賀茂川を使うと鴨川が怒るというか氾濫しまくるし。。。
そこで庶民信仰であった天台信仰に頼るわけだな。
護摩木を焚いて鬼門である叡山脇に向かわせ
中堂の浄化秘宝を通らせて成仏させようとしたわけだが庶民信仰にその作業を委ねた(煽った?)と。。。
てなことで五山か六山かその後の天台宗分派の「送り火」に対する管理の変遷は知らん。。
ただ、言えることは、少なくとも初っ端の如意ヶ岳のは「焼き」でもあり庶民信仰から見れば
「送り火」であるのでどちらとも言えるわけだな。
なもんで、震災で亡くなった魂の鎮魂は良いんだが、京都で「送り火」すると
逆に都から追い出されるだけの結果になるかも知れんぞ。。
だから成仏を願う送り火なら、亡くなった土地で神仏術法を正確に施す必要があるわな。。
だから保存会の
「薪を盆の迎え火として燃やす」というのも魂の冥福を祈ることにはならんのではないかね?
神仏分断でややこしくなったが、そもそも魂の浄化と成仏はまったく意味が違うしな。。
それ以上に今回の騒動だが、震災で亡くなられた方々の冥福を祈りたいのは万民の願いだと思うが
なぜ批判があるかというと、放射性物質と発案者のその意識の低さに問題があるわけだが
それ以上に
「いつまでも消滅しないもの」を不浄と考える物が少しでも下地にあるのなら
少しでも放射性物質を都に入れるとまずいわな。
送り火について天台の分派で「施餓鬼」が論争になるという根本も実は
怨念となった元々の魂ではない「何か」に関する論争でもある。。
とかいうとまた怒られるかも知れんがな。。。
しかし発案者の気持ちもわからんでもないが、そこまでこだわる気持ちはわからん。
よくよく昔からの想念を理解しないと、正しく鎮魂と導けないかもしれんし
それでも進めるとか。。。
ノンポリ無信仰の自分から見てもちと怖いものがありますな。。
無担保は計画的に