アルバム見っけた。
昭和30・40年代は、団地造成が非常に多かったのではないでしょうか?。
何年か前に、Nスペだかで多摩ニュータウンの造成歴史を見ましたけど、まさに「開拓」ですわな。で、団地が出来つつあると、路線バスが運行しだすけど、土誇りまみれのシーンが出てきてるしで。
その造成ですが、千葉市は今でも海浜幕張あたりはやってますね。
でも、妙な形のマンションばっかりで、家賃も高いし、「誰が住むんだ?」と地元民は見るけど「結構住む人多いね」。みんな買っているんか?。
以前新聞で見たけど、都心で働いて地方の実家で定年後暮らした方が、今は都心に戻ってきている人多いそうですね。
やっぱり老後の体力も考えて田舎だと不便だからと言う理由のようです。
でも、俺は埋立地は買いたくねーな。
50年頃の海浜幕張駅付近なんて、R14から海まで
ずーっと更地
でした。
延々と・・・・・
京葉線が、たーーーっとあるだけで。
さて、アルバムを漁って出てきたのが、昭和40年代の稲毛海岸周辺地域の写真です。
ここは真砂の公園だと記憶してます。


工事中に行ってたのは今でも覚えているんですよ。でも、遊びに行った時に工事している人を1回もみたことなかったんで、「ここは一体何の場所か?」と思っていたもんです。
水が溜まっているのは、前日雨降ったからです。
この公園のわからんところは、「やたらに蛇口があった」ことで、プールの更衣室っぽい感じを子供ながらにしたのですが、当然プールじゃありませんし。シャワーっぽいのもあったな・・・・。
で、その公園か別の公園かも、もう記憶にないのですが、真砂地区にはかわりないはずの、この滑り台。
いや~子供ながら、これは迫力あった。
ダンボールですべるとふっとっぶ。
もしかしたら、既に危険遊具として撤去されているかもね。
AかBのどちらかだと思うのですよ・・・・。
で、次がCの場所。
この舗装されたばかりの道路。
〆はこれ。
場所がどこだかわかりますか?。
今までの写真の数年前になります。


今の歯科大付近です。
この頃の記憶は、当然ありゃしません。
左下なんて「海じゃん」。
右下なんて「ナンモネーシ」。
数年後、四六時中トンカントンカンとパイロンの音がしていたのだけは、記憶にあります。
今の真砂、高洲、高浜、磯辺地区は、ずーっと埋立最中。
今じゃ、あんた右下の道なんてこうだから(逆からのアングル)Σ(゚д゚;)。
そして、これは今の西警察署の前の道だと思います。
見事に無いし・・・・。
どうですか?。
30年以上前の風景です。
育った場所が、こういった造成地域だったということ。
自分の年代には結構多いと思ったのですが、社会に出てみれば案外少ないらしい。特殊環境なようです。
団地っ子はいっぱいいても、造成地域の頃からの子は少ないでしょう。
一昨年、同級生に20年以上ぶりに会いまして、この造成団地っ子世代の話が出ましたけど、「珍しい世代」になっているようです。
進学や就職すると全国から集まってくるわけですが、ほとんどが一戸建て住まいなんですよね。そりゃそうで、都心者ばかりではないですから。マンション暮らしアパート暮らしもいましたけど、造成地域出身者ってのはほとんどいなかったな~。多摩ニュータウン出身の子も居たけど、造成の頃住んではいなかったと言ってたし。