小さくても感覚的に理解していること | 文鳥のひとりごと☆

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日々思ったことなど…

娘が言葉を話し始めた頃、神社やお寺に行くことを「カンカンにいく。」と言うようになりました。

駅に京都、奈良、和歌山のお寺の写真(鉄道会社の観光ポスター)を掲示しているのを見て「あ、カンカン!」と言います。

手を合わせる所に、鐘や鈴があるので、そこから連想した言葉なんだろうなぁ〜って思いますし、2歳くらいの時に、見てすぐそれが神社仏閣だと理解できたことが凄いなぁと思いました。いつも見ている神社仏閣とは全く違う建物だったので。

 

 

今は、保育園に通っています。息子とは違う保育園になりましたが、2人とも何故か経営元がキリスト教の教会です。

息子が通っていた保育園は、少人数制でした。園に礼拝堂があり、牧師さんも常駐しているので、保育園では毎日のようにたくさんの賛美歌を歌い、毎週礼拝がありました。

娘の通う所は、園児が多く、礼拝堂はありませんが、礼拝は月に1回くらいみたいで、たま〜に賛美歌を歌う程度です。

 

 

最近、十一面さんのお堂で、手を合わせる私を見て、娘も手を合わせて小さな声で何か話しをしました。

何を言っているのかは聞こえませんが、「○○ように〜。」と話しているようです(いっときだけで、また最近は横で見るようになりましたが)。

私自身、心の中で話しているし、ただ手を合わせているだけの様子を見ているだけなのに、『すごいな!!』と思いました。

 

 

それで、先日行った大神神社さんの龗神神社(おかみのかみじんじゃ)で、ろうそくと線香をお供えして、手を合わせると、娘も手を合わせながら、こんなことを話しました。

「おともだちになれますように〜。」

心の中で、『ええええ!そんなこと言うんや!?すごいな、(神様と)お友達になる発想なんて無かったなぁ。つーか、お友達なんや。子どもらしいかわいいお願い事やな。』とちょっと親バカっぷりを発揮してしまいました。

 

 

奈良から帰ってきてから、いつもの十一面さんのお堂では、再びだんまりしながら私の拝んでいる様子を見ていますが、また面白いお願いごとを聞かせて欲しいなぁなんて思っています。