二日堂のブログ
 ダブリンは小さな首都だ。泊まったホテルは、議事堂や大学や裁判所の間にあった。ジョイスの小説の主人公の名前がついたそのホテルの一階のパブでギネスを飲んだ。フロントのおやじが注いでくれたそれを、誰もいないカウンターで飲んだ。スティーヴンズ・グリーンの近くのあったかい店で夕食を食べて、みぞれの中を帰ると、一階のパブは入口まで人があふれていた。寒いのに、半そでの太い腕をむき出しにして、電車のドアにぶら下がるようにして騒いでいる赤いシャツの女がいた。

 翌日、電車に乗ってジョイスのタワーを見に行った。30分ばかり乗って降りた駅を出て歩き始めると、突然教会の扉が開いてどっと人があふれ出てきた。日曜日の礼拝が終わったのだと気がついた。住宅地の間の道を抜けると海岸に出た。タワーは四月から十月までの間しか開いていない。二階建ての家ぐらいの高さのその石の塊の向こうでは、一月だというのに泳いでいる人が大勢いた。それも何もつけていないようだった。そのあと、足が棒になるまでダブリンの街を歩き回った。

 次の日、ヴァージン・レコードの営業所で会った男は、スキューバダイヴィングの方が本職のようなやつで、彼によると健康のために、冬でも海岸に出る人が大勢いるらしい。

(写真は何の関係もない武蔵丘陵森林公園のアイスランドポピー)

 

 

 「たった独りの引き揚げ隊」(石村博子著、角川書店)は、カバー写真の少年の強いまなざし、真一文字に結んだ唇が、一度は置きかけた手をして本を開かせる。

 国境間近の満州里、伊藤博文が駅頭で襲撃されたハルピン、なぜか懐かしいチチハル、甘粕正彦が闊歩したであろう満州国の首都新京、秋山好古にとっても児玉源太郎にとっても遠かった奉天、アカシアの大連、そして旅順。その満州を、ソ連軍侵攻後、一人で歩きとおし、帰国した10歳の少年の物語。しかも、父は日本人だが、母は革命後故国を逃れたコサック。しかし、茶色い瞳のゆえに引き揚げ列車から蹴落とされた少年は、母から引いた血のゆえに草原を生き抜く術を身につけていた。

 後年、ソ連の国技ともいえるサンボの世界チャンピオンとなって生家を訪ねる機会をも得た少年の物語は、ある種ハッピーエンドではあるが、あまりにも多くのアンハッピーエンドを背後に背負っている。禍福あざなえるこの本の魅力に比べ、タイトルの付け方はあまりにも安直でもったいない。

生まれたのが二日、妻が生まれたのも二日、二人が結婚したのも二日、死ぬ日は選べないけれど、離婚するなら二日かな。