第41話 夏征舒是先祖(先祖は夏徴舒[i]
)
清の同治のはじめ[ii]
、曾望顔[iii]
が陝西省の巡撫であった。筆頭県の県令で唐李杜、字を詩甫という者がいて、四川省出身の進士で、人を笑わせるのが得意であった。
山西省に姓は夏なる商人がいて、陝西の省都で商いをしており、とても裕福であった。にわかに役人になることを思い立ち、金で県令職を買い、陝西省に派遣されることになった。「あなたは初めて官職に就くのですから、一切の事がわからないでしょう。経験を積んでよく役所仕事に通じている人を訪ねて、朝な夕なに教えを請うて、人に笑われることのないように」と言う人があって、夏某もその通りだと思った。
陝西についたその日、例に則って他の役人と共に役所に上がり、巡撫の官庁を訪れ、始めてその門をくぐったが、周りの人の目には、その様子は不慣れで不自然にうつり、既に忍び笑いされていた。
突然筆頭県令の唐李杜が「あなたの御尊名は?」と尋ねてきたので、「夏です」と答えると、唐李杜が恭敬の体を成して慇懃に「以前に夏征舒という方がいらっしゃいましたが、あなた様とはどのようなご関係で?」と言われたので、夏はその丁寧な尋ねられ方と言葉から、夏征舒のことを立派な方だろうと思って、ただちに「先祖にあたります」と返答した。唐李杜はその答えににこやかに頷いてみせた。
しばらくして役所への参内が済み、家に戻り、役所勤めの助言をもらうために呼び寄せた友人から、今日の行いや発言内容を尋ねられたので、「巡撫様にお会いできなかったので、明日また行ってみようと思うが、他にこれといったことは無いね。ただ、官庁で筆頭県知事に、夏なんとか舒とはどんな関係かって聞かれたなぁ」と、誰との関係を問われたのか思い出せないでいる様子。友人から「夏征舒だろ」と言われ、「その通り」と返答し、「どう答えた?」と問われて、「恭敬の体を成して丁寧にその人の事を持ちだして来られたから、先祖ですって言っておいたよ」と言ったところ、友人から「まずい、まずい、その夏征舒っていうのは亀子[iv]
の子じゃないか、なんでまた先祖だなんて言ったんだ」と言われたので、夏某は唐李杜に対して大いに怒り罵って、すぐにでも筆頭県令のところに言って抗議しようとしたが、友人に「明日、役所に行けば、必ず顔を合わせるのだから、何もそんなにあわてることはないだろう」と止められた。
次の日、唐李杜を見るやいなや殴りかかり、襟をつかんで「何で俺を亀子の子だなんて馬鹿にしたんだ?」と言うと、「皆さまいらしたでしょう、私が何を言ったというのでしょうか、この方は私が亀子の子だと馬鹿にしたと言うのですか、皆さんそんな事を聞きましたか?」と言われたので、夏某はいよいよ怒って、唐李杜を捕まえて巡撫様に話しを聞いて頂きたいと言って、皆が止めようとしても耳を貸さなかった。
唐李杜を捕まえて、本堂の裏にある事務所まで来た頃、下役人がその様子を巡撫に伝えて、二人が呼びつけられた。曾望顔が唐李杜に事情を問うと、唐は「恐れながら夏県令にお尋ね下さるのがよろしいかと」と言うので、曾がついに夏某に問うてみると、「唐県令が小職を罵ったのでございます、亀子とか何とか…?」と言う、曾から「そこを詳しく話して聞かせてもらおう」と言われ、夏某は遂に昨日の問答の様子を話し始めたが、夏征舒の征の字をついに思い出すことができなかった。曾望顔は笑って「馬鹿にされたというのはお前の思い込みで、馬鹿になどされていないのだ」と言って、下役人に命じて退出させた。
あわせて高札が掛けられ、その大まかな内容はというと、夏某は官庁の中で怒鳴り声をあげるとはけしからぬ、教養が無くて、何をもって民に臨むというのであろうか、本籍地に戻って勉強しなおせ等々。夏某はそれを見てふさぎこんで言い訳もできず、鬱々とするだけであった。人は「亀子の子の一声が、一人の県令を葬った」とこれを笑った。これは茂才[v]
の張悟荃から聞いた話しである。
[i] 母親が春秋時代の有名な美女、夏姫。後世「性感女神(セクシー女神)」と評され、淫乱な逸話は数知れず。夏姫が陳国王と結婚するとすぐに生まれたので、陳国王の実の子ではないという噂があった。
[ii] 同治元年は1862年
[iii] 曾望顔(1790~1870)、阿片戦争時の福建省府政使。朝廷に対して海禁、外国貿易の断絶を奏上するが、その意見は林則徐に排斥された。曾望顔が陝西省の巡撫であったのは咸豊帝六年(1856)から九年(1859)なので、ひょっとすると作者の勘違いがあるのかもしれない
[iv] 大変に淫乱な人物を揶揄する言葉
[v] 国子監の入試に合格し、科挙試験の郷試の受験資格を得た者、秀才のこと。