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緩医(ゆるい)のブログ

緩和ケア医・ゆるいの緩めのブログにする予定。

やたらに幅広い話題をお届けしている当ブログですが、今回は組体操・10段ピラミッドのお話です。


私は体育が嫌いでしたので、こういうことがあるともうそれはここぞとばかりに叩きまくるわけですが、そのわりには一度はハーフマラソンにも出て完走したし、今でもカネ払ってスポーツクラブに通ったりしています。それは、結局のところスポーツの面白さや利益を自分なりに見つけ出したからであって、その手助けをしてくれたのは大学の「健康科学」の授業内容でした。クラスメイトは体育の延長だと思って(これまで受けていた体育に比べると)面白くないという感想の人が多かったようですが、私は興味深く受け、のちにいろいろ生かせるようになりました。


私が体育を嫌いになったのは「小学校の体育がアマチュアによって教えられる」ことに一番の原因があると思っています。専門の体育教師ではなく担任が体育の授業も行いますから、体育が嫌いな担任は確実に手を抜きますし面白さも伝わりません。スポーツの得意な生徒がいれば、その生徒に指導までも任せることもあります。その生徒が指導の天才であればいいのですが、たいていは感情に任せた罵倒しかできません。小学生ですから。サッカーなら「足の遅い奴は後ろ!」とDFをやらせて、抜かれてゴールされれば「何やってるんだ!」で終わり。さらにその鬱憤をドッヂボールで晴らされる。これで面白くなるはずがないんです。


もっとも、専門の体育教師であっても、私が子供のころぐらいだと科学的な指導法なんてものはまだなくて、努力と根性がメインでした。うさぎ跳びを成長期の子供にやらせてはいけない、なんて議論が出てきたのもここ20年ぐらいですから、仕方のないことだと思います。


体育のみならず教育全般に言えることですが、現在の教育には科学が圧倒的に欠如しています。科学とは、仮説を立てたら検証し、その妥当性を真摯に議論する態度のことです。日本の教育学は、この点において 既 に 完 全 に 失 敗 し て い ま す。


組体操で10段ピラミッドを作ることにどのようなメリット(教育効果でしょうか)がありどのようなデメリット(ピラミッドが失敗した場合に生徒たちにどのような身体的・精神的・社会的不利益が生まれるのか、学校や教育委員会がどのような批判にさらされるのか、成功した場合にも生徒たちにどのような身体的・精神的・社会的不利益が生じうるのか)があるのか、きちんと仮説を立てて、「メ リ ッ ト が デ メ リ ッ ト を 上 回 る と の 成 算 が あ る 場 合 に」のみ、ピラミッドを実施した生徒たちと実施しなかった生徒たちの間にどのような差異が生まれるのかをきちんと検証すればいいのです。


6人でつくる3段ピラミッドでさえ、背骨に食い込む友人の手、手のひらと膝に食い込む砂粒がどれだけ苦痛だったか。10段ピラミッドなんか拷問以外でもなんでもありません。そして最下段の子にどのような負荷がかかるのかなんて計算は、小学生にだってできることです。10段ピラミッドをさせる方の教師はせいぜい「教育界で有名になりたい」程度のあさましい願望を深層に抱き、そこに検証もしていない「教育効果」なんていう薄っぺらーい皮をかぶせているだけでしょう。この手の非科学的な教師を現場から追放することも必要です。



保健体育という科目は、「スポーツ・健康科学」という枠組みで完全にやり直すべきです。いろんな種目をただ機械的にこなすというのではなく、なぜスポーツ(その種目)は身体的・精神的(=健康維持に役に立つのか)・社会的に有益なのか、を科学的に考察することを軸に組み立て直すのです。その種目をできるようにならなくても、なんらかのポイントがわかれば、中継があるときに楽しめます(社会的利益)。その生徒にとって精神的に害があると思われる種目はサボってもいい。ただサボっていいだけじゃない。ラグビーなんて誰でもできる競技じゃないけど、ラグビーのルールについての座学の授業があれば、今回のワールドカップでももっともっと楽しめた人が多かったのではないか。たとえばまずラグビーの試合を見せて、「なんのこっちゃわからん」という感想を持たせておいたうえで、最低限のルールとそれぞれのポジションがどういう仕事をしているのかを動画で示し、そしてもう一度同じ試合を見せる、おおーなるほど、なんてことをやってくれてれば、今回のワールドカップを待たずとも日本ラグビーのすそ野は広がっていたのではないかと思うのです。

礒崎首相補佐官の「法的安定性は関係ない」という発言に対して証人喚問までしようという動きがある。


例によって糞マスゴミの「切り取り報道」の一つであろうと思うが、これは大分での講演会での発言とされ、それだけに動画や原文起こしが存在しないようだ。本当に「法的安定性は関係ない」と言ったのか、言ってないのか(=マスコミの得意とする「要約」という名の捏造なのか)。言ったとして、どのような文脈におけるものなのか。原文や動画がないだけに、そこの検証のしようがない。そしてそれが、マスコミの捏造である線を強く疑わざるを得ないところだ。


「法的安定性」という言葉自体がバズワード(意味が定義できないか、もしくは何らかの意図をもって意味をゆがめて用いられる言葉)の要素の非常に強い言葉である。「ヘイトスピーチ」「ネトウヨ」、最近騒がれる「強行採決」「違憲」などもバズワードの一つだ(違憲かどうかを定義できるのは裁判所のみなので、政党・議員・官僚・学者による「違憲」の宣言は無意味=憲法第61条)。マスゴミはこうしたバズワードを用いて時の政権を批判し引きずりおろしてきた。国民もマスゴミのこうした手口についてかなりわかってきている。


「法的安定性」という言葉のとりあえずの解釈として、大きく分けて
 ①大まかに見た法的システム自体の安定性
 ②手続きがしっかりしているかどうか
の二つの点で評価すべきものに思える。



まず②からいく。

たとえば極端な独裁政治の場合、「朝令暮改」状態になる。独裁者の気まぐれでその日の朝と夕で法律が異なり、何が適法で何が違法かがその日のうちに変わってしまう。あるいは、かたちだけの法律があってたとえば殺人は何人であろうが死刑と決まっていても、この人は未遂や計画だけで死刑になり、あの人は何人か殺したのに情状酌量されるなど、裁判官やそれを支配する人間により一人一人につき解釈が異なる。

こうした状態が「法的安定性を欠く」と言えよう。法令の改正についてきちんと手続きが決まっていること、罪刑法定主義によって犯した罪と刑の重さがきちんと関連付けられていること、これらが保証されていれば手続き上の法的安定性は確保されていると言える。

現在国会で審議されている安保法案は、憲法に制定された手続きに完全に沿っており、何の違反もない。議会の多数を構成した勢力によって提案され、十分な審議を経て賛成多数で衆議院を通過した。審議放棄や採決時退席は野党による権利放棄にすぎないし、「強行採決」などという言葉は憲法には定義されていない。手続き上何らの瑕疵もない。

一票の格差を根拠に国会議員の地位そのものの正統性を疑う向きもあるが、判旨はせいぜい「違憲状態」に留まり、次の選挙の際に改善がなされればよく、一票の格差をもってただちに現職議員の資格を剥奪すべきものとまでは断じていない。



①について、「憲法に反する法令は無効」(憲法98条第1項)という条文をひいて法的安定性を論じる向きがあるが、先に述べたように、憲法61条の規定により違憲かどうかを判示できるのは裁判所のみである。国会は違憲だろうとなんだろうと手続きに沿えば法律を作ることはでき、法令違憲判決が出るまではその法律は効力を持つ。

法・法令として有効か無効かということは、主として②により判断される。昨年在日外国人は生活保護の対象にならないという最高裁判決が出されたが、これは昭和29年の厚生省通達を無効化したものといえる。通達なので、憲法に定めた立法手続きを経たものではない。官僚の恣意による通達ごときで法の解釈が変わるのは法的安定性を欠く事態であるので、当然無効であるべきものだが、最高裁がそういうまでは有効なのだ。


おそらく礒崎補佐官の発言を問題にする連中は、「憲法9条に反する法令の制定は無効」「憲法九条を蔑ろにすることは許さん」という論点で「法的安定性」を持ち出しているのだろうが、憲法9条を字義だけで判断するのであれば、自衛も含めてあらゆる戦力は違憲である。しかし、裁判所はこれまですべての判決で、防衛に徹する自衛隊の存在を違憲としていない。また昭和34年の砂川判決は集団的自衛権の存在を明確に認めている(砂川判決は自衛隊について憲法判断を行っていない)。憲法98条第2項には「条約や確立された国際法規を遵守せよ」とあり、国際法上の慣習として国家の自然権として認められ(強行規定)、国連憲章第7章にも既定のある自衛権を否定することは、これに違反することになろう。もちろん違憲かどうかを判断するのは裁判所だが、これまでの判決には自衛権を明確に否定したものはない。


そもそも、法的安定性なるものが社会の安定に優先するはずがない。社会が変化するのに法が変化しないとすれば、法は「硬直」していると言われる。場合によっては硬直化した法が社会の不安定を招くことになる。社会のありようの変化に柔軟に対応しその形を変えることもまた、法には求められている。

たとえば電気が社会に普及し始めた1890-1900年頃、杓子定規な法解釈では、電気は「有体物」ではないためこれに対する窃盗罪は成立しないとされた。しかし電気が電線から取り放題ということになれば電気事業が成立せず社会の不安定化を招く。1903年に電気は財物であるため窃盗罪が成立するという判決が出、1907年に刑法245条に「電気は財物とみなす」という条文が追加されて、現在に至っている。

このような形で実際に法律の改正が行われた例もあるが、そうでないものもある。公民の教科書に「新しい権利」として掲載されている日照権やプライバシー権は、基本的人権を拡張するものとされているが、そもそも基本的人権は無制限に拡張すると他者の人権を侵害しかねず拡張が許されるはずはないのだが、判決によって「事実上の解釈改憲」が行われている(解釈改憲は9条に限った話ではない)。これにより一定の社会的安定が確保されている。



現在の我が国を取り巻く状況を考えれば、憲法9条を墨守することが社会の安定に寄与しないばかりか害悪であることが一目瞭然である。


「社会の安定を目指した法(憲法を含む)改正が、憲法に定められた手続きを逸脱せず行われること」


が、法的安定性の核心といえる。礒崎補佐官は、これを否定する意図で講演したわけではなかろう。


礒崎さんにはぜひ頑張っていただきたいと思う。

いよいよ夏本番という感じになってきました。


転職後の仕事は順調で順調でもうどうしちゃったんだろうという。

当院の緩和ケア病棟設立8年目にして初の満床を達成し、

その状況がずっと解消されません。

思わず一か月半、このブログを放置していました。


前任者が患者をえり好みしまくっていたために満床になりえなかった

というのがこれまでの事情。


私が前任地のノリで予後予測(あとどのくらい生きられるか)をしていたら

その大半が長い方に外れたというのが4月以降の事情。


前任地の上司は患者さんを早死にさせていたわけですね。


この元上司、「お前が患者を担当したら早死にさせる」

などと言ってたんですが、

私はこの元上司の、ええと、

いちいち「元上司」というのが口幅ったいので

もう「ハゲ」でいいですかね、

このハゲの点滴の入れ方の方が早死にさせてるんじゃないかと

ずっと思っていたので、

当院に赴任してからは点滴を最小限にしています。

(その理由は「点滴の話」のところに書いてます)


だいたい、私に面と向かって悪口を言った人は

見事なまでにブーメランを喰らっています。

世の中、そんなものです。


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さて、ちょっと政治の話をします。


以前にも「憲法学者といういきもの」というエントリーを書いたわけですが、

無事衆議院で安保法案が通過した後も

さらに各種学者といういきものが参入してきて、

「学者団体一万人が反対の意思表明」なんてやってます。


皆さんどう思われますか。


まあそもそも学者ってそんなに偉いのかという。

そして学者の大半は、安保法制にとっては門外漢。

安保法制に関する専門家と言えるのは、

国際政治学者、国際法学者、地政学者とかそういう人たちでしょう。

先に書いたように、国際情勢を見ることのできない法学者も門外漢です。

そしておそらく国際政治学、国際法学、地政学の専門家なら

8割以上が安保法案に賛成の立場でしょう。

物理学だの、数学だの、文学だの、社会学だの、

そんな連中を1万人、10万人、100万人集めたって

結局は素人集団です。


そもそも、

「学者だろうが愚者だろうが一人は一票」

で成り立ってるのが民主主義。

学者が1万人だの、国会前に何万人だの(実際は一桁少ない)

怪気炎を上げてますが、

2014年の総選挙当選者の最低投票数は58000票あまり。

この候補者の選挙区にせーので移住したって

一人の議員を当選させるかさせないかというところです。

(これが分かってからSEALDsなどは「6万人」と言い始めました。

 実際は6000人かそれ以下ですが、

 10万歩譲って「6万人」が正しいとしても

 衆院475議席の中のたった1人分です。)


安保法制のことは2012年以降の自民党選挙公約に毎回書いてあるので

公約に書いてあることをきちんと実行しているだけの話です。

そして与党と次世代の党は小選挙区2717万、比例代表2639万票を得て

この方針を進めています。

衆院の採決を欠席した民主、社民、共産、維新、あとなんかもう一つ、

あわせても小選挙区2370万、比例代表2554万です。


ザッツ民主主義。


なぜ公約に書いてあることを実行して

非難されなければならないんでしょう。


さらに安倍首相が抱えている病気について、

非常にゲスな絵を描く、長澤美穂という馬鹿女がいまして。

https://twitter.com/softtamori/status/624593560524816385

右下の一言にご注目ください。


安倍首相は潰瘍性大腸炎という難病を持っておられ、

第一次安倍内閣の辞職の原因となりました。

その後、非常によく効く薬が現れ、

すっかり健康(「寛解」という「小康状態の連続」ではありますが)を

取り戻されたおかげで、総裁選に再出馬し選挙に勝ち、

再度首相となられました。

潰瘍性大腸炎の患者さんや、消化器内科・外科の医療者の間では

安倍さんが潰瘍性大腸炎を「克服」された話は常識です。

つまり長澤美穂は、安倍さんだけでなく

我が国に1000人に一人くらいいる潰瘍性大腸炎の患者さん全てに

とんでもない呪詛を吐いているんですね。


こんなことを平気で書(描)ける人間、それを擁護できる人間、

そっちのほうがこわすぎます。ほんとにやめてほしいです。

腕がもげて絵なんか描けなくなってほしいです。


というのは冗談ですが、ほんと死ねばいいと思います。


前にも述べたとおり、自衛権は国家の自然権(生まれ持った権利)で

正当防衛のような位置ですし、

医学的な比喩で言えば免疫みたいなものです。

集団的自衛権とか、安保法制とか、

そういったものに反対する人は、

免疫なんか持つな、反撃は許さない、おとなしく殺されろ

と言っているのと同じですから、


死ねと言われるのは、非常に妥当なことだと思います。