2月3日は、節分の日です。
節分は、鬼を追い払って福を呼び込むという行事ですが、ウチでの鬼の立ち位置についてお話ししますね。
ウチでは、鬼はいることになっています。
それは、長男くんが小学校の低学年で次男くん、三男くんがまだまだ小さい頃の事です。
ぼくが、鬼に扮装して、すりガラス越しから、部屋に入ろうとしたりして、パフォーマンスをしていました。
スーパーで売っている赤鬼のお面と赤のダウンジャケットを着るだけなんですが、居間のすりガラス越しには、赤鬼としては充分です。
低い声で
スーパーで売っている赤鬼のお面と赤のダウンジャケットを着るだけなんですが、居間のすりガラス越しには、赤鬼としては充分です。
低い声で
「ウオォー、誰か悪い子いねーかー、山さ連れてくぞー」
テレビで見た生ハゲの丸パクリなのですが、少し東北訛りを真似し、声色を変えると迫力が出ます。
やがて、子供達は大きくなり、
「パパがやっているんじゃね」
となってからはやっていません。とても、短い間でしたね。
けれども、記憶というものは、あいまいなものです。
大きくなってから「前に、鬼が来たの覚えてるよねー」という話をしますと、
次男、三男くんの記憶には残っているようで、「んー、確かに来た」と言ったり、
けれども、記憶というものは、あいまいなものです。
大きくなってから「前に、鬼が来たの覚えてるよねー」という話をしますと、
次男、三男くんの記憶には残っているようで、「んー、確かに来た」と言ったり、
「あれは、パパだよー」と言ったり
とハッキリしません。
そうなんです。
そうなんです。
曖昧な感じで鬼は子供たちの心に残っているのです。
これでいいのです。
そして、ぼくは、依然として、「鬼はいる」と言って譲りませんので、子供たちにとっては、真相はヤブの中状態です。
こうすることで、
『形の無いものが、世の中にはあるんだ』
『世の中には、あいまいなものが存在しているんだ』
と認識する事が出来ます。
まとめますね。
いるかもしれないし、いないかもしれないモノを想像すること。
これでいいのです。
そして、ぼくは、依然として、「鬼はいる」と言って譲りませんので、子供たちにとっては、真相はヤブの中状態です。
こうすることで、
『形の無いものが、世の中にはあるんだ』
『世の中には、あいまいなものが存在しているんだ』
と認識する事が出来ます。
まとめますね。
いるかもしれないし、いないかもしれないモノを想像すること。
この訓練は、非常に大事です。
世の中は、目に見えるものばかりではありません。
例えば、人を好きになるということ。
これは、見えません。
世の中は、目に見えるものばかりではありません。
例えば、人を好きになるということ。
これは、見えません。
この気持ちは、見えませんが、明らかにあります。
見えないものを信じないというと、人を好きになることも出来なくなってしまうのです。
見えないものを信じないというと、人を好きになることも出来なくなってしまうのです。
見えないものを信じられなくなってしまいますから・・。
人生これでは、楽しくありません。
また、いるかもしれないし、いないかもしれない鬼は、人の心の中にあると思うかもしれません。子供達が大きくなって、自分の中に見つけるかもしれません。
もしかしたら、親自身も鬼を演じながら、心の中に、これは鬼じゃないか?というものを見つけるかもしれません。親も考えさせられます。
人生これでは、楽しくありません。
また、いるかもしれないし、いないかもしれない鬼は、人の心の中にあると思うかもしれません。子供達が大きくなって、自分の中に見つけるかもしれません。
もしかしたら、親自身も鬼を演じながら、心の中に、これは鬼じゃないか?というものを見つけるかもしれません。親も考えさせられます。
節分の時期に、鬼を想像させることは、見えないものを考える良い訓練になると思います。
小さい子供にとっては、お兄ちゃん達が、「あれは鬼だった」、「いや、違う」の論争を続けることで、「悪い子には鬼が来るぞ」という見えないプレッシャーがかかります。
子供達には、悪い子にならない様に、そして、何が『悪い子』なのかを自発的に考えるきっかけにもなります。
やーとやっと でした。
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