ジョージア、奥の深い国(5) | パパ?のブログ

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しばしば記事を書くのを怠けてしまいますが、今は過去に乗った車、運転した車のことをメインに書いていきます。それぞれの車の良い点や悪い点も含めて紹介しています。イメージとはかけ離れた実態を持った車種もあるので、少しでも参考になれば幸いです。

トビリシ、5日目です。

段々この国にも慣れてきまして、特に治安も極めて良いこともあり、

出歩くことに対しての抵抗が全くありません。

本日も10時半にお迎えに来て頂くため、せっかくなので

ホテルから10分ほど歩いたとことにあるマックで朝マックを

しましょう。

 

 

今日も朝は雨が降っており、道中は工事中であったことから

一部道が泥だらけになっていました。

とはいえそれほど強い雨ではなかったので、ホテルに傘を借りて

無事到着です。

 

キオスクでカードのタッチ決済により無事購入完了しました。

 

ベーコンマフィンのようなものと、ハッシュブラウン2つ、

コーヒーで約550円くらいです。

 

まあ味は普通です。

ハッシュブラウンが日本と少し違った記憶があります。

日本のハッシュポテトって噛むと歯がキシキシするのですが、

ジョージアのにはそれがありませんでした。

 

お迎えをホテルからマックに変えていただき、出発です。

 

今日の訪問先は街の中心にあります。

主に欧州の国々のビザセンターが複数入っているビルの中に

オフィスが所在していた記憶があります。

あれ?そういえばロシアもあったかな。

 

ここのお水も比較的口当たりが柔らかかったような記憶があります。

ただ少し時間が経過しているので、忘れてしまいました。

 

水の商談が終わり、その後はワインの会社とご挨拶です。

実物は後日、ワイナリーを訪問させて頂き、拝見するのですが、

本日は本社のダイレクターの方々との顔合わせとなります。

 

ラディソンホテルのビルを所有している会社のグループ会社でして

ホテル内のダイニングカフェでお会いします。

 

ホテルからもテレビ塔が見えています。

まあほぼどこからでも見れますが。。。

 

カフェではランチビュッフェのようなものをやっています。

 

高級ホテルなのでレクサスのLX600、W223のSクラス、

レクサスLSなどもしっかり停まっています。

なんだかEU圏のヨーロッパよりトヨタ系が多いですね。

 

この写真はなぜ撮ったのか忘れてしまいました。

 

ご挨拶も終わり、昼食に向かいましょう。

今日はピザ屋さんに連れて行っていただけるとのことです。

あれ?でもピザは初日にも食べたような気が。。。

 

車を近くの路上に停め(駐車OKのスペースです)、歩いて

お店まで向かいます。

するとベンツのGクラスも駐車していました。

 

ただこのGクラス。。。

なんだかものすごい親近感を感じます。

なんだろう?この感じ。。。

 

あ。。。

ヤナセの車だった。。。

道理で親近感を感じたわけです。

 

このきれいな建物の敷地を抜けていきましょう。

 

到着です!

 

どうして僕ってペパロニとか、こんな感じのソーセージとか

ばかり乗ったピザを注文してしまうのだろう。

 

店の前の通りは車通りが多いです。

ところでジョージアはロシアから領土の20%を侵略されて

収奪されていますので、ウクライナに対しての親近感が強く、

町中の至る所に「FU○K RUS○IA」という落書きが

されていました。

そんなジョージアに、ウクライナへの侵略以降、徴兵逃れの

ロシア人が大量に流入してきて、一時期はかなり不動産の

相場が高騰したらしく、ジョージア人は相当キレていました。

ただこの時期は既にトルコに渡ったロシア人が多かったようで、

多少は落ち着いており、この後伺ったトルコの現地の人たちが

同様にロシアにキレていました。

どんだけ自分勝手なんだよ。

 

食後、現地のアテンドをしてくださっている方が、

何やらすごく良いところに連れて行ってくれるとのことで、

ワクワクして車に揺られています。

 

どこに行くのでしょう。。。

 

到着した先は、旧ソ連の車ばかりを集めた自動車博物館です。

 

一部古いベンツなどをレストア前の状態で置いてあったりも

しましたが。

 

なんだかジェイソン・ボーンシリーズのモスクワ編で

見たような車たちが止まっています。

この辺もまだレストア前だと思われます。

 

そして館内に入ると。

うおーーーー!

すげー

 

日本では全く見る機会がない車がたくさん展示してあります。

モスコビッチとか、ボルガとか。

愛しのZILはありませんでしたが、博物館のオーナーが

一台一台説明してくれます。

 

消防署で使わせていた車など、それぞれストーリーを

持っている個体も多く、本当に1台あたり3分くらいかけて

丁寧に説明してくれるのです。

 

中にはKGBで使われていた車などもあるようで、

時折ダークなジョークも織り交ぜながら説明は続きます。

 

警察の車もあります。

旧ソ連というか、冷戦時代の東側の工業は競争とは無縁だったので、

イノベーションが起こらず、それこそ同じ車を20年も30年も

製造していたりしたのですが、90年代のソ連だったら

こんなパトカーに追われても、

普通にアルトとかでぶっちぎれたでしょう。

まあ秘密警察が至る所にいるので、その後大変なことになりますが。

 

1930年代の車などはアメリカのフォードなどのコピーというか

ノックダウン的に生産していた車が多いです。

とはいえ70年代とかでもフィアットの124とかを流用して

生産していたので、ずっと変わっていませんが。

 

趣あってかっこいいです。

 

これはモデルTのノックダウンだったかな?

モデルAだったかな。。。

 

エンブレムはFordと書いてあるようで、そうは書いていません。

 

この辺の車も冷戦期の映像などを見ているとよく出ていますよね。

 

これはボルガだったと思います。

 

てかこのラインは全部ボルガかな。

これも50年代後半のアメ車でクライスラーをベースに

作っています。

この時代の車はボディーパネルが非常に硬そうで、

轢かれたらとんでもなく痛そうです。

 

ボディーもデカくて迫力があるのです。

 

このなんとなくダサい感じがたまらなく良いです。

むかーし、うちの兄貴がソ連軍の腕時計を買ってきたけれど、

漂っている雰囲気が同じなんですね。

 

しかしこれくらいの車を買えた人って、ソ連の中では

どんな層だったのでしょうか?

ある程度の党の上層部とか、事業所の幹部とかですかね。

共産圏では車などを購入する際に、相当な期間を待たないと

手に入らなかったそうで、特に東ドイツではトラバントのような

うんこのような車でも購入の意向を伝えてから10年も

待つ例があったのだとか。

10年も待っていたら家族構成が変わっちゃうだろうが。

 

あれ?これはボルガじゃなくてチャイカかな。

これこそ党のVIP層が乗っていた車ですね。

 

チャイカもボルガも同じGAZという事業所で生産されています。

GAZは軍用トラックなども作っています。

 

これもおそらくチャイカですが、KGBなどが使っていたそうです。

博物館のオーナーはスキンヘッドで怖い雰囲気を放っており、

前述の通り時折ダークなジョークを交えるのですが、

そのジョークの後にニヤリと不適な笑みを浮かべます。

アテンドしてくださった方曰く、この人おそらく昔は

KGBの人間だったんじゃないか?

ということで、ダークなジョークも実際には本人の体験談なのでは?

とのことでした。

こえーよ

 

この辺の車はそれこそ国の上層部の乗り物だったのでしょう。

これ以上になると、ゴルバチョフとか、エリティンが乗っていた

ZILになります。

そのZILは一瞬、近代的な車を出したのですが西側の車に

太刀打ちできず、プーチンは最近までベンツのプルマンに

乗っていました。

 

それが現在ではAURUA SENATという車になっていました。

先日、プーチンが金正恩に自慢していたそうですが、

このAURUS、ポルシェのV8エンジンとZFの8速ATを

搭載しています。

てことは自慢したところで、制裁でもうその車作れなくないか?

 

これはレストア前の姿です。

 

車内は流石の広さです。

 

補助席もついていますね。

 

運転席は狭そうです。

 

この車の前に子供が立っていても、絶対に見えません。

 

どこの国でも子供を想う親心はあります。

 

ソ連車のソファもあります。

 

この辺は庶民用の車ですが、乗車の不快さよりも

この車で冬走っていたら凍え死なないか?

ということの方が気になります。

 

こちらはまだなんとかなるかも知れませんが。

 

狭くて、現代人にはさぞ不快なことでしょう。

 

これはリアエンジンです。

 

遊園地にあるゴーカートと変わりません。

 

これはパレードなどに使われていたそうです。

 

車名は忘れてしまいました。

 

運転席に座らせてもらいましたが、シートがふかふかしており、

1時間も座っていたら腰が逝ってしまいそうです。

 

あ、こっちがモデルTか。

 

インパネは1950年代とかのアメリカみたいです。

 

まだまだ続きます。

この軍用車は水陸両用で、遅いものの渡河などもできるとの

ことでした。

 

まあずぶ濡れになりそうですが。

 

これも映像などでよく見た車です。

 

アエロフロートの車両もありました。

ところで冷戦期、アエロフロートはソビエト内の航空関係を

一手に引き受けており、中には農薬散布などもしていたそうです。

最大時には8000機近い航空機を持っていたそうで、

それこそ圧倒的に世界最大の航空会社だったそうです。

 

タクシーもあります。

 

これぞ、ソ連を代表するボルガです。

日本でいうとクラウンのような車でして、このシリーズで

3.5リッターのV8エンジンを搭載したGAZ-3105という車が

あったのですが、これを一時期たまらなく欲しいと思っていた

時代がありました。

エンジンはキャブレターで、3.5リッターもあるのに

確か140馬力とか、160馬力とかしかないエンジンだったと

思うのですが、興味がありました。

 

シートのベロアもなかなか良さそうです。

 

後席もそんなに悪くはさなそうです。

 

これはすごいな。

アメリカとかだったら1920年代くらいの佇まいですが、

おそらくソ連では70年代とか80年代にも活躍していたことでしょう。

 

まだまだ続きます。

ベスパのコピーに。

 

これはBMWかな。

 

この辺のバイクは元々警察とかで使っていたのでしょうね。

説明を受けましたが、忘れてしまいました。

 

バイクとサイドカーの雰囲気が合っていません。

 

クラッチレバーの方向が現代と逆ですが、長距離乗っていると

こっちの方が手を休ませられる気がしますね。

 

段々近代的になってきました。

 

完全にソ連軍のバイクです。

 

そしてBMWのバイクですが、これはカッコよかったです。

 

これは今でも北朝鮮軍が使っていると思います。

やたら綺麗だけれど。

 

ピカピカですね。

 

この辺は軍用車が多いのかと思いきや、

 

こんなフィアットのコピーとか

 

置いてありました。

こうやってみるとソ連でも結構いろいろな車を作っていたのですね。

 

非常に有意義な時間を過ごしまして、今度は

中国企業が開発したエリアに連れて行ってもらいます。

 

この辺はソ連時代の無機質なアパート群です。

 

このエリアを超えていくとー

 

こんな中国企業が作ったアパート群が出現します。

 

これはホテルです。

 

そしてエリアを抜けた先には広大な湖が広がります。

将来はこの辺で牛を育てて生きていきたいです。

 

そして中国資本の横幅がやたら広いモールに寄ります。

 

大した店は入っていませんが。。。

 

高級な車が展示してあります。

 

このスタンドのドーナツがおすすめということでトライしました。

 

この辺はオーダーメイドの家具の店のようで、手頃な値段で

作ってくれるそうです。

 

そして夕食前にもう一度ラディソンのカフェで別の水の

会社の人と打ち合わせをし、

 

夜景を見に丘の上に連れて行ってもらいます。

 

あ、これはロシアへの抗議の落書きです。

 

そしてトビリシの中心部でインド料理を食べに向かいます。

 

いつものチキンティッカマサラに、プレーンナンです。

 

食後はチャイを飲んでホテルまで送って頂き、

 

寝る前のカフェインを摂取して床につきました。