無声映画~ホラー映画 | Wipe your tears with this!

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仮面ライダーをはじめとする特撮や民間伝承・妖怪・怪談が大好きな人間が、感じたことを徒然なるままに綴る。

気まぐれ更新。

あらゆる特撮作品に関わられた全てのキャストさん、スタッフさんに、敬意と感謝を込めて。

映画が好きだから魅力を書く。無声映画から、ホラー映画まで。徒然なるままに。






1895年、リュミエール兄弟の撮影した無声映画「(ラ・シオタ駅への)列車の到着 」は、映画創成期に製作された、50秒ほどのごく短い日常風景の短編映画だが、画面奥からやって来る蒸気機関車の映像を観て、当時の観客たちは、壁一面に広がるスクリーンいっぱいに映し出されたそれに圧倒され、思わず列車の動線上から逃げ出したという。



また、兄弟の「赤ん坊の食事 」(1895年、無声)では、なびく木々や赤ん坊の前掛けの動きに「風」という「運動」(動き)を見出し(=「運動の表象」)、当時の人々はその発見をごく自然な行為として行なっていた。



多くの映像作品に取り囲まれた現代の我々からすれば、迫り来る蒸気機関車それ自体に恐怖を覚え逃げ出すという感覚は計り知れないし、


背景のごく一部でしかない木々の、その揺れについてあれこれ考えようとしないどころか気づこうともしないかもしれない。



だが、「列車の到着」に関してあえて言えば、3D作品を前にした我々の反応が半ばそれに近いのかもしれない。


映像はあくまで平面上に浮かび上がった虚像に過ぎない、しかし、それが立体的に飛び出して見えるとき、我々は驚く。


ただ、身を仰け反らすような感覚は覚えても、自分の身に何かしらの災いが降りかかるような恐怖感、逃げなければという強迫観念はなかなか生まれ得ない気がする。






3D映画ではなくとも、例えばホラー映画でも、迫り来るものへの恐怖はよく描かれる。


中田秀夫監督『リング 』(1998年)では文字通り画面から飛び出してきた。



後ほど取り上げる『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』(2012年~)というシリーズ作品でも、ホラー作品ならではの迫り来る恐怖の描写は多々ある。


シリーズ4作目「真相!トイレの花子さん」では、トイレの中から画面に向かって突如として勢いよく花子さんらしき霊の姿が映し出されるし、


8作目「恐怖降臨!コックリさん」では、低級霊(コックリさん)に取り憑かれた少女が奇妙な行動を取り、廊下の向こう端にいたのが急速にカメラに近づくというシーンがある。




そういった描写は、映像というものにすっかり見慣れているはずの現代人にも、思わず逃げ出したくなるような恐怖心や驚きを感じさせるだけのパワーがあるように感じる。



つまり、迫り来る恐怖という観点だけではないが、風による木々の揺れや、


『塀の取り壊し』(無声)における倒れた塀から立ちのぼる煙、『鍛冶屋』(無声)における熱した鉄からの湯気(以上の二作は動画が上がっていなかった関係でご提示できないが、どちらも「列車の到着」同様、映画創成期の作品である)など、


何気ない動きや表れに、心を躍らせられる魅力があったり、何かしらの意味があったりする。


また、それらを無意識のうちに映像の認識の枠組みから排除しよう(中心人物あるいは事物のみを捉えよう)としている我々がその表象を読み取ろうとすることは、


映像作品をより深く、より楽しく味わうことになる。






さてここでようやく、とても魅力的だと感じる『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』シリーズをご紹介することにしよう。



まずは、作品の概略をまとめる。


白石晃士監督によるこの作品は、2012年の第一作『戦慄怪奇ファイル コワすぎ! FILE-01 口裂け女捕獲作戦 』に始まる、 POV 撮影の DVD 作品である。


POV とは「Point of View」の頭文字で、「一人称視点」とか「主観映像」のような意味合いになる。


以下でも記す部分ではあるが、本シリーズでは、カメラマンのハンディカメラを通した映像作りがなされ、カメラ(視聴者)自身も作中へと入り込んでいく。




とある映像制作会社に送られてきた、怪奇現象を捉えた投稿映像をきっかけに取材を進めるストーリーで、撮影クルーはさまざまな怪異に見舞われることとなる。


口裂け女や、「FILE-02 震える幽霊 」、「FILE-03 人喰い河童伝説 」、「FILE-04 真相!トイレの花子さん 」、「劇場版・序章 真説・四谷怪談 お岩の呪い 」(以上、 DVD 作品)、「史上最恐の劇場版 」「最終章 」、


その後『戦慄怪奇ファイル 超コワすぎ!』として「FILE-01 恐怖降臨!コックリさん 」、「FILE-02 暗黒奇譚 蛇女の怪 」(以上、劇場公開作品)と、通算 9 本の作品からなり、


現在もなお続編製作が予定されている本シリーズは、それぞれ都市伝説や怪奇現象を追っている(「劇場版」はダイダラボッチ、「最終章」は特定の霊的キャラクターはない)。




『コワすぎ!』の最も分かりやすい面白さとは、やはりキャラクターの描き方であろう。


特に主役である工藤ディレクターがすばらしく、口裂け女だろうが幽霊だろうが一般市民(投稿者)だろうが、


目の前にある壁はすべて暴力でぶち壊していこうとするアグレッシブかつバイオレンスな、ある種の「狂人」として登場する。


しかし、実は臆病な面があるのも、人間味あふれ、魅力を深めるポイントである。



怪奇現象のような霊的、もしくは超自然的現象に対抗する場合、普通であれば呪術や超能力などの、同じような超自然的力で立ち向かうだろう。


一般的なホラー映画においても、霊媒師や霊能力者、祈祷師、浄霊師が登場するのが常套である。


しかし工藤は極めて肉体的な力を駆使する。


そして『コワすぎ! 』シリーズで最も面白さの弾ける瞬間とは、多くの場合この工藤というキャラクターが肉体によって怪奇現象や霊的存在とぶつかった瞬間であり、


その衝撃と破壊の反応に、面白さの壁を突き抜ける力があるのだ。


まず口裂け女を「捕獲」しようというのもおかしな話だが、車で撥ねたりバットを振りかざしたり、河童をボクシングの要領で捕まえようとしたり、粗暴に走ったキャラクター付けがなされている。


怪奇現象を扱うホラーで、これほど生身の身体が重視されている映画も珍しいように思う。




白石監督は工藤のような、普通、ホラー映画に登場し得ないキャラクターを魅力的に動かすことを得意としているが、


ここに工藤を演じる大迫茂生という俳優が加わったことにより、その面白さがさらに飛躍したのは間違いない。


同監督『グロテスク 』(2009年)(※タイトル通りグロテスク表現多様のため、閲覧注意)でも濃い存在感を発揮していたが、


とにかく顔の説得力が尋常ではなく、特に黒目のバランスと声が印象的で、ディレクター・工藤はハマり役であると感じる。




工藤だけでなくそのアシスタント・市川(演:久保山智夏)も面白い役で、


工藤とは対照的に現実主義的キャラクターとして描かれる彼女は、理不尽すぎる工藤を前に文句を言ったり散々な目にあったりしつつも、実は工藤と同じような殺気を漲らせる女性でもある。


協力したり工藤の暴力に対して時にただ傍観したりしているだけというのも面白い。







映像表現の面白さもとにかくずば抜けている。


モキュメンタリー(フェイクドキュメンタリー)という形式は、目の前で起こっている出来事をありのまま捉え(たように見せ)つつ、


一方劇映画のように時間にも場所にも、何物にもとらわれることなく世界を一変させられる方法だが、


それを見事に使いこなしているのがこのシリーズである。




白石監督自ら演じるカメラマン・田代の持つハンディカメラに収められた一部始終を、視聴者は見届けることになる。


よって、 POV 特有の作品への入り込みやすさ、ドキュメンタリーのようでありつつ、ここぞという瞬間に尋常ではないジャンプがあり、それが快感につながるのである。




さらに、「運動の表象」という点でも、カメラ自体の「運動」もよく表れているのが、この『コワすぎ!』シリーズである。



特に「FILE-04  真相!トイレの花子さん」はそれがすばらしい形で結実している。


タイムリープ(タイムスリップ)の表現に成功しており、時間軸や空間軸の瞬間的移動を長回しワンカットのシーンのように撮影・編集し、見事描ききっている。


無限廻廊と化した廊下を駆け抜けるさなか、次々と昼夜がリアルタイムで入れ替わる様を長回し風に描いている。



カメラの振り(ブレ)によって一瞬で世界が変わる恐怖、ワンカットの中で時間を飛び越えるスリル、ドラマ性やキャラクターの個性、全てがすばらしい効果を遺憾なく発揮しているのだ。



5作目「劇場版・序章 真説・四谷怪談 お岩の呪い」では、四谷怪談を扱いつつウィリアム・フリードキン監督『エクソシスト 』( 1973 年)が意識されており、エクソシスト的憑依ものとして描かれている。


ジョン・ブアマン監督『エクソシスト2 』( 1977 年)に登場する催眠術装置へのオマージュとして電飾の光る除霊装置も描かれるが、


とはいえ戸板返しによるお岩の登場を、吹き飛ぶ襖の裏に現れるなど独自の表現で映像化した上で、


幽霊役がフレーム上に現れ、カメラマンが驚きカメラを振った(意図的・強制的にブレさせた)瞬間にフレームアウトし、消えたように見せたり、


テーブルのポルターガイスト現象も紐で引っぱったり手で振動させたり、


それを絶妙なカメラワークでスタッフが映り込まないように撮影し、見事怪奇現象を「捉えて」いる。



現代は CG 隆盛の時代であるが、 CG で作られるどんな迫力のある映像も、観る人に驚きや感動はなかなか生まれにくくなっているように思う。


便利になった代わりに、意外性という魅力的なものがなくなったように感じる。


そんな時代において、アナログな恐怖表現により盛り上げていくという強引さにも感動する。



説明より画と行動のインパクトで見せていくあたりも面白い。




白石監督自身、「列車の到着」やジョルジュ・メリエス監督「月世界旅行 」(1902 年、当時無声)などの原始的感動や原始的手法による表現こそ、フェイクドキュメンタリーの魅力であると語っている。




『コワすぎ!』シリーズは、一般的なホラー作品と一線を画しているのは明らかである。


監督個人のノートパソコンにダウンロードした数万円のソフトを使って CG 作成した部分もある(白石監督・談)という本作ゆえ(もちろん技術者にも頼んでいるが)、


表面上をなぞって、「程度の低い」「あまりにもお粗末」などと酷評を下される方もいるが、僕としてはそうは思わない。




CG 処理、 VFX に頼るのは心霊や異界といった、実写では表現しがたいものに限ったところの話で、現実の描写に VFX を持ち込まないという意味である。


「優れた特撮を見せ」ようとするのではなく、あくまで映画のクオリティを上げ(あるいは維持し)、


物語の納得いく裏付けとなるためであり、悪目立ちさせることが目的ではない(別冊映画秘宝編集部・編『別冊映画秘宝 新世紀 特撮映画読本』洋泉社、 2015 年 1 月 11 日発行、 p.207参照)。



また、モキュメンタリー(フェイクドキュメンタリー)であることを忘れてはならない。


あくまで「フェイク」なのである。よくある「実録」系とは異なり、観る側もはなから「トンデモワールド」なのだ、こんな世界があったらイヤだよね、というフラットな気持ちで挑むもので、


そうしないと、視聴者にとって作品の捉えるべき芯がブレて見えてしまう気がするのである。




キャラクターの面白さとチープさや如何わしさで語られてしまうこともままあるが、何よりアイディアと確かな映画の技術によって支えられている作品である。


その土台があるからこそ、行動や展開にある強引さすらも、「勢い」として見ている側を巻き込んでいく。


それが『コワすぎ!』の魅力だと思う。




己の拳と勘を頼りきる工藤ディレクター、現実主義者で冷静なツッコミを入れる AD 市川、工藤の指示通り動く陰の立役者で女房(オカン)的存在の田代カメラマン。


三者三様、より取り見取りの中に、個性豊かな投稿者と投稿映像が投げ込まれることで起こる化学変化を、ぜひ多くの方々にも見届けてほしい。