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広告とかデザインとか

デザインや広告のこと、趣味などを徒然と。

今年最後かと思われるツーリング。

能登の恋路海岸に一泊で行ってきました。今回は男3人でBMWとハーレーとCBという異色の取り合わせ。東京の美容関係の会社の社長さんと、大学の先輩の建築デザインの社長さん。前衛的な感性をお持ちで、仕事と遊びが一緒になったようなライフスタイルを確立されていて羨ましい限りです。

ツーリングの気持ちよさも去ることながら夜お酒を飲みながらいろいろな世間話をするのが楽しみのひとつ。長年消費者の趣向変化を経験されているので、鋭い話が出ていました。やっぱり仕事が好きなんですね。

工芸デザインの可能性
金沢と東京のあり方
イギリスと日本のカジノの話
海外からの観光インバウンドの話

などなど

いずれも今流行っていたり、宣伝しているものに何の興味も持っていないようでした。ある種の価値観を確立されているといいますか。

いろいろ話していて感じたのは、環境が変化しているので、昔と同じ手段は意味がないということ。変化やささいなニーズを汲み取って、カタチとして届ける必要があるということでしょうか。

自然の中に身を置くとまた新しいアイデアが出てくるものですね。最高の天気で、最高のツーリングでした。



能登ツーリング
先日、料理研究家のコウケンテツさんのクッキンク&トークショーを開催しました。
こちらは2年ほど前から計画してようやく実現したものです。関係者の皆様に感謝です。

当日はコウさんのユーモアあふれるトークもあり盛大に盛り上がりました。
男の自分が言うのもなんですが、正統なイケメンですね。同じ人間とは思えません(汗)。

料理ショーといえば過去に、奥薗 壽子さんや、道場六三郎さん、藤田承紀さん、岡本信人さんなどを企画してきたので、少しは慣れてきたように思うのですが、それでも事前の準備は2ヶ月前から東京と金沢を行き来してけっこう大変。当日は沢山のスタッフにお手伝いいただき、なんとか乗り切るというかんじです。

ライブの仕事は、やり直しがきかないのでかなりプレッシャーがあります。でもそんなプレッシャー以上にステージに立つタレントさんの集中力は尋常じゃないと思います。

タレント業というと華やかで、まるで天性の才能を持つ人と思いがちですが、気遣いや仕事に対する真剣さ、そして体力とも人並みはずれた努力の上に成立していると感じます。車や楽屋でステージの流れをイメージングしたり前夜はシナリオを徹夜でしたためたりと、隠れた努力を見ているだけに。

どんなに疲れていても「にこっ」と笑顔を振りまいてくれます。また、彼らを支えるマネージャ―さんや伴侶の影の努力も感じます。そんなモチベーションの高さに、また一緒に仕事ができればと思ってしまいます。

誰と仕事をするか、そこが重要だと改めて感じます。

私寝てます
こうさん


今日はまた新しいお客様が来社いただきました。
詳しくは言えませんが新しい市場を新しく「定義」しようと考えていらっしゃるようです。

うちのお客さんは既存市場で競争しようとするのではなく、新しく市場づくりを仕掛ようと考えている方が多いようです。経験がないだけに難しい仕事ですが、それがまた面白い仕事とも言えます。


似たような捉え方で、過去に制作したデザインについて振り返ってみます。

DUAREXという老眼鏡のブランドデザインをしたことがありました。福井県鯖江で製造されたものです。老眼鏡のイメージを変えるということで。

こちらはネーミングから、バッケージ、WEBサイトデザインまでトータルに制作させていただきました。ユーザーの人生を切り拓くような強く新しい価値観をつくります。

サイト制作にあたっては、各ページのBGMとして、ピアノ曲を作り、コンサートホールを貸し切り、スタンレーピアノで収録しました。

ここでは、主人公が出てきます。ブランドの中の主人公。

ゆっくりと曲を聴いてみて、どんな人物像とストーリーを描いたか、創造してみてください。
たまにはWEBで音楽を聴くのもよいかも。
(FLASHサイトです)
http://www.duarex.com/
偏差値教育に代わるもの。

中央教育審議会では、センター試験の後継として、暗記した知識の量ではなく、思考や判断など知識の活用力を問うそうです。

これも怪しいものです。

自分がデザインという奇特な道を選んだからかもしれませんが、偏差値教育には意味がないと考えています。というのは将来の生業を学ぶために柔軟に学んだり経験を積むことが大切であって(社会や経済活力に繋がる)、覚える能力で人を振り分けることが合理的とは言えないからです。

それはパソコンやGoogleに任せておけばよいこと。

デザインの仕事では毎日のように競争にさらされている企業を目の当たりにしているのでより感じるところ。

今の評価制度がその人の人生や個性的に合っているとは限らず、隠れた力を見過ごすことも多いはず。これは早く発想転換せねば国際競争では勝てない時代がくるはず。

近い将来、大学ブランドは消え去り、より実践専門的なカリキュラムを提供する小さな教育機関が生き残るものと推測されます。情報のオープン化はそんな形でも進行していくでしょう。

偏差値に変わる指標を日本が発明すべきところです。




先日あるIT業界誌さんの取材を受けました。タイマーロックについて。何故こんな取り組みをしているのか?という記者さんの質問。

答え、

自分も自分の子どもも24時間スマホの画面を見つめているのは異常に感じます。会話が少なくなるのもおかしな現象です。

ゲームやSNSも度が過ぎると、考える力や主体性を失っていくのではないかと思います。

人と人がコミュニケーションするには、小さな努力が必要でそれが、自己形成や社会性を養うのではないかと。
昔のように?ラブレターを必死に書くような努力といいますか。LINEの一言で仲間外れや自殺なんて異常事態です。

お酒も、遊びも、なんでもバランスが大切で嗜みは健康に良くて、やりすぎると不健康になるのと同じです。スマホは今シームレスになり過ぎているので、警告の意味を込めた活動をしています。


記者さん、

色々なベンチャー企業を取材していて感じるのですが、彼らはゲーム開発をして、一旗上げようとしています。またそんなユーザーが多いのも事実。
全体的に何か方向性が違っているように感じます。

私、

コンピュータのあるべき思想が間違っていて、もっと人に役立つことを目指したいものだと思います。介護や健康や成長を手助けするものなど。

記者さん、

最近は幼児にタブレットを与え、子守させる親がいるそうです。つまり小さな子どもはタブレットで遊び続けるので泣いたりぐずったりせず親は楽になるということです。これは早い段階のスマホ中毒かもしれません。

私、

え!!??それは知りませんでした。恐ろしいことです。その子はタブレットにあやされて育つわけですね。
絵本の読み聞かせや子守唄も無くなるのですね。






そんな話を延々していて、改めて何かを変えねばならないと意気投合してしまいました。

コミュニケーション業としては、伝えること自体がビジネスとして価値を評価されるのですが、質といいますか文化性や健全性がもっと大切で、そのことを忘れてはならないと思います。