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広告とかデザインとか

デザインや広告のこと、趣味などを徒然と。

うちの事務所は私と妻とスタッフ3~4名で5~6名で仕事をこなしている。この体制は長く20年近く貫いている。

デザインという仕事は純然たる技能職で仕事が増えれば手数も増え人も増やさねばならない。一方で仕事のための仕事になる傾向になり、仕事量は知らず知らずに抑えてきたのかもしれない。

そんな中、最近女性スタッフが3名懐妊して、代替スタッフやアルバイト、派遣スタッフなど急遽仕事の組み直しに迫られた。

年頃の女性は会社にとってはリスクもあり、雇用したがらないのがリアルな現状だが技能優先で雇用してきた結果なので気にはしていなかった。

しかし現状を目の当たりすると考えさせられることも多い。例えば人のカバーの為に半年、1年だけ求人しても人は集まらない。当然だ。みな長期安定感のある正社員を希望するからだ。

一方で国は子育てしながら女性が活躍
できる仕組みづくりを推進していて、育休を手厚く保護し、早期に会社復帰することを推進している。少子高齢化もあり就労人口を補うためだ。

大義名分の経済政策は分からなくもないが、子育てはそう簡単なものではないし、親子関係も千差万別。しっかりと子どもを育てることは目先の仕事より長期的社会に大切なことかもしれない。

ある、取引先の女性の大先輩に、昔の子育ての経験を聞く機会があった。その方の時代(失礼)は保育所もなく近所のオバチャンに子どもをあづけて仕事をしていたそう。つまり町が家族みたいに助け合っていたのだという。あづけるとはいえ、かなりの信頼がないとできないこと。自助努力でスタイルを模索していた時代だ。

つまり何が言いたいかというと、国や行政、マスコミなど、お節介なくらい子育て論に干渉しすぎだということ。ある意味子育て軽視だと思う。マタハラ裁判などは愚の骨頂で、このような結審は女性の雇用機会を益々失うことに繋がる。(法律は働き方の柔軟性を失う)

仕事、人、家族、地域は相対する人間関係で千差万別のスタイルがある。それに1つの物差しは足かせにしかならないということ。役に立つか役に立たないか、人の為になっているか、仕事は一瞬一瞬がドライに評価されるのが健全。

派遣スタッフがそんな隙間を埋めてくれているのは事実だが、全体的な歪みはぬぐえない。

女性がイキイキ働けるというスローガンは、いかにも表面的で他力本願に思える。これからは過去に習って、仕事も社会も家族と思わねば続かないと思う。










今週立て続けに3件ほどホームページの改修をしたいという話がありました。

内容は
10年放置状態だから今風にしたい。
過去に作った内容が気に入らない。
新しい内容を追加したい。

というものがほとんどです。過去のものが悪いというのではなく、少しずつ環境が変わってくるので仕方のないことです。

パソコンの寿命が5年と短命化しているのと同じで、システム自体使えなくなることもあります。例えば、昔作ったホームページがやけに小さく見えるのは、今のパソコン画面の解像度が上がったためなど。

ただ、弊社に依頼が来る案件は、環境的な要素よりも、イメージやデザインに高い要望を持たれていることがほとんど。
トップデザインやブランドづくりを重要視したい、かっこいい会社イメージにしたいなど。

経営的にもデザイン的なアプローチを重要視されていることが解ります。また声がけをしてくれる会社の担当者が、若い方や中堅の方が多いことも意欲的で喜ばしいことです。

さて、ホームページが、5年で寿命となると流石に経営者は苦しいので、せめて10年もつ内容にしたいと考えたいもの。

そうなると10年スパンで会社のビジョンや運用を考える必要が出てきて、それなりに慎重な作業が必要になってくる訳です。

また、ホームページで新規開拓を目指す要望がありますが、そのコツは、なるべくポイントを絞ってページ数も少なめに仕上げることだと思います。(大企業は別ですが中小企業は特化する意味で)
結果的に内部的な運用や効率経営にも関わってきます。

と、考えねばならないことは多岐にわたりますが、ともあれ、仕事という道中を共にせねばならないので、しっかりと考えたいと思います。




NHK朝ドラ「あさが来た」を楽しみに見ている。

九州の炭鉱で、荒くれ者の男衆に苦労しながらも立ち向かうシーンが高い視聴率をマークしたそう。

視聴者は女性が多いのかもしれないが、様々なシーンで夫婦のあり方が問われていて興味深い。

古くから日本は男尊女卑の考え方が主流だったが、根底には男は力仕事で稼いで女が家を守るという仕事や社会構造があったと思う。

無論現代は産業構造も変わり、男女の役割も変わってきた。大きな流れの中で女性に男性にない能力が求められているのは確かなこと。

社会にあっての男女の役割、夫婦にあっての男女の役割は似ていると思っていて、対等を論じるよりも、協力を論じることが建設的だ。

政治家が決めるような一律の法律ではなく、仕事やライフスタイルに柔軟に対応する工夫や知見が大切だと思う。(政治の世界はまだまだ男尊女卑が色濃いと思うので)

あさの癖台詞「なんでやの?」という言葉がキーワードで、当たり前と思いこんでいることが、実は無駄だったり、成長を阻害する要因であることが多いと思う。

小さな気づきが、仕事も暮らしも豊かにするチャンスになるかもしれない。














金沢で青年会議所の世界大会が始まりました。招致活動を始めて20年くらい経つのではないでしょうか。つまり悲願の国際会議というわけです。

青年会議所は40歳までなので、自分も卒業して久しく、活動も飲み会が残る程度です。今日は昔のように世界会議のオープニングセレモニーに参加し、後日少しだけお手伝いする予定です。

国外含め1万人ほど金沢に訪れるそうで、現役メンバーの方は、寝ずに準備をしてきたものと察しがつきます。

今日から一週間金沢の街中で様々な催しがあるようです。新幹線が通り賑やかになった金沢ですが、今度は世界に名を馳せて欲しいと思います。

海外の方と触れあうと、グローバルなバランス感覚が必要だと感じます。仕事も価値観も高い水準を目指したいと改めて感じた1日でした。









今日は「ほっこりまつり」という能美市の小さな村のおまつりに参加。
中山間地の限界集落で持続可能な村をめざし地域振興まつりを毎年開催しています。牧歌的な美しい景色が好きで毎年訪れているのですが、今年は、ポスターのデザインなどに関わることもあり、運営スタッフとして参画することに。

長期間の打ち合せや草刈りなどの準備、そして当日は受付やピザづくりなど、結構大変でしたが充実感のある時間となりました。

半年前の立ち上げ会議の時に、私は部外者ながら、村の人に「地域振興のまつりは人口増加など目的が必要、ただ楽しい祭りは意味がないし、ボランティアは続きません」ということを言った記憶があります。

この種のイベントは何らかの補助金を受けながら細く継続しており、日本全国の市町村で同じようなイベントが散見されるようになっています。一部では税金の無駄遣いに過ぎないのではないかという指摘もあり自分もそのような意識がありました。

しかしながら、このイベントで感じたのは、地域というものは数値で見るハードウェア的なこと以外に、人の連携や充足感幸福感などソフトな尺度も必要なのではないかいうこと。運営会議ではとかく意見が衝突しがちですが、それなりに目指す方向は同じなのではないかということ。

その証拠という訳ではありませんが、受付をしていて、とある来訪者が「この地に移り住んでレストランをしたい」と話されていたようです。おそらく、このお祭りの雰囲気や運営している住民性に安堵感を持ったのだと思います。

子育てのしやすいまちとか、安心感のあるまちとか、住むことや暮らすことに幸せ感のある地域づくり(人のつながり)が、結果的に活気のあるまちに繋がっていくのかな、と思います。

最近は様々な地域づくりにデザインという切っ掛けで、参加させていただくことが増えてきました。大切なことは、表面的なものではなく地域がまとまるサポート役としてのデザインであること。20年も経ってそのようなことが、ようやく見えかけているこのごろです。


ほっこり
ほっこりポスター