経歴など | 広告とかデザインとか

広告とかデザインとか

デザインや広告のこと、趣味などを徒然と。

今日はパソコンからの書き込みなので経歴など書いてみます。
なぜ今この仕事をしているかという話。
幼稚園のころ絵を描くのが大嫌いな子でした。そんなお遊戯があると描いたものが恥ずかしくて先生に見せることができませんでした。ただただ嫌な時間が過ぎるのを待っていた日々。
小学校に入ると、当時宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999などが流行っていて、そんなアニメをテストの裏に落書きしていたところ、隣の女子がその絵を欲しいと言ってきた。「え?これでいいの?」それが間違い?の始まりで、いい気になって絵をたくさん描き女子に渡しまくりました。そんなもてた出来事で心が揺らぐことに。
その頃から、もしかして絵って面白いかも、と思い出し。中学に入るころ、学園祭ではイラストを描く係になったりとだんだん役割が増えてきました。鈴木英人のレコードジャケットに魅せられたりして。そんな時、あれ、将来はデザイン事務所に修行に行きたいなあ~と感じ始めました。レコードジャケットをデザインしてみたいと。
高校に入り美大に行くしかない!と思い、絵の塾に行き始め受験に望もうと意気揚々としている中、挫折の言葉が。先生が「お前は才能がないから諦めたほうがいい」と。正直かなりのショック。でその塾は次の日に辞めました。
しばし考え。。「デザインがしたい」というキモチだけは強かったので、独学で絵を何百枚も描き始めました。先生になんか習わなくてもできるはず!と。
そんな努力も神様が見ていたのか?晴れて金沢美術工芸大というところに入れていただきました。専攻は商業デザインで主に広告。仲の良い友達ができましたがデザインに対する考え方はみんなバラバラ。個性が強いというか主張が強いというか。今でもデザインについて話すと喧嘩になる。大学というより宗教団体です。はい。
就職は大手広告代理店○通を受けましたが、最終面接で「僕はおカマです」とウケ狙いで言った言葉が真に受けられ、落選。地獄の落胆を味わい、地元の不動産会社の広告セクションに入ることに。同級生は上場企業に行くなか、がっくりしながらも、いずれ独立するつもりだったので現場の努力は報われると思いがんばりました。広告セクションは社長室にあるので、ほとんど秘書として仕事にあたる毎日。ベンツで運転する毎日。ストレスで眠れず肌が剥けることも。でも経営者としてのリアルな広告の現場を見ることが出来、「商売は心理学」という原則を学ぶことができました。今でもいい教訓です。
その後3年で人間関係に耐え切れずスピンアウトし、小さなマーケティング会社にお世話になりました。ここでは調査分析が主で消費行動や公共の都市計画などの仕事をしました。どちらかというと数字の世界。そして、、
なぜか27で独立することが自分の目標であったのでそこで会社を興すことになります。最初は飛び込みで一日20件ほど営業しました。エアコンのきかないボロ車でスーツは厳しく、おべんとう箱に氷を入れて頭に載せながら走った記憶があります。会社もすべて自分で登記して経理もしました。かなりの事務仕事になりますがそれも勉強のうち。次第にお客さんもつき、スタッフも雇うようになりました。それから12年経っちゃいました。小さい会社だけど続いているのが唯一の自慢です。
石川県という精神的にフラットな地域で広告や企画ができることは運命的にも感じます。何が好きなのかといえば、エモーショナルで虚ろな関係が好きなのかもしれません。生きるか死ぬかの瀬戸際にあるといつも実感しているし、コミュニケーションというテーマは人間で最も大切な要素であるからかもしれません。だからYDPはグラフィックに限らず、ショップ、商品デザイン、CM、音楽、WEBと幅ひろく取り組めます。頼まれることは全てトライする。やってみたいことはやってみたいと言う、そんなラフな会社になってしまいました。この性格は直らないかもしれません。
しかしデザインの戦略は今は人の命に関わるという責任も感じます。広告の世界ではマーケットの奪い合いになるため、一方で人の暮らしを奪うことにつながります。見えない静かな戦争。けれど逆に、暮らしを豊かにしたり、精神的にブラスの生き方に誘導することもできます。そんなプラス文化を構築できる会社になりたいと考える今日このごろです。
まだまだありますが、えらく長くなってしまいましたので今日はここまでにします。
おつかれさまです。。