常に相手があり、どうでるか、相手がどうくるかを読む。
人間は経験する。
経験することで恐怖心が芽生える。
勘違いしてはいけない。
相手を恐れること勿れ。
真に恐れるべきは己自身である。
葉隠においては武を嗜むものには段階があるとされている。
自分が未熟と理解するのは、達人の境地へ達してからである。
ここに深さはない。
ほとんどの人間は極めることなく、有る程度の段階で満足し離脱する。
どこまでも果てのない努力を惜しまず生きてゆけるか。
相手を思った時、自分自身と見つめ合うことになる。
自分自身の本意をみたくないが故に、相手に嫌気が差す。
若きウェルテルの悩みの中でゲーテはロッテに対してどこまでも純粋な愛を持って接した。
彼はロッテを愛した自分の気持ちと真摯に向き合った為に葛藤の海に溺れて死んだ。
真実の愛とはなにか。
それを考えると日々の泡に出てくる、黒い黒がついてきて離れないような描写を思い出す。
私は木を植える 人の未来にbyさだまさし
ボノDは今日も精神を統一し乱れた心を研ぎ澄まして、穏やかになり眠る。
立ち振る舞いから、意識すること。
日々の姿こそその人の生活を現すものであるから、いつなん時も平静でいられるよう修行する。
どこまでも純粋で、澄み切った心で一打を放つ。俺はサヨナラホームランを打ってみたい。
だから今日もイメトレをする。
9回裏二死満塁、1-4、誰もが息を呑み甲子園の風にすがるフルカウントからの一投……。
以上、小学生の時、文集の将来の夢に
サムライ
とかいたボノDがお送りいたしました。
ラーメン食べたい。
この時間の家系ラーメンの食べたさな。


