こんばんは。2026年に入りまして、寒さも本格的になってきました。いま外を少し散歩していたところですが、遠くで稲光が見えました。雨雲レーダーを見たら房総のほうに赤い雨雲がかかっており、房総の光がここまで届いていることに驚きを隠せません。
さて、今回のお話は「あなたにとって『音楽』とは」という命題についてです。こちらの命題は僕の友人が色々な人物に聞いて回っている命題だそうで、彼はメインで2つの団体のサポートをしており、それぞれのボーカルの方に聞いてみたそうです。一人(Iさんとします)は「音楽とは『生』である」と、一人(Tさんとします)は「音楽とは『死』である」と答えたそうです。なかなか面白いですね。
Iさん曰く「我々は音楽をすることで、やっと『生』の状態になる。」と。
Tさん曰く「我々は普段『生』である。音楽をした瞬間に『死』となる。」と。
つまるところIさんは、自らの表現という行為に「生」と意味付けをし、Tさんは表現すると「死ぬ。」わけですね。
その命題を問うた本人はというと、「『武器』である。」と答えたそうです。音楽という手段を持ってして、なにか行動を起こすと、そういった具合でしょうか。
かくいう僕は「音楽とは『成長』である。」と思っております。というのも、自分のなにかやらなければいけないことについては、ある程度制約があります。自分のしたいことを我慢しなければならないことも多々あります。その上で、あるものについて一定の成果をあげなければいけません。それとは別に、「音楽」では、のびのびと、時間や制度等に囚われることなく、自分のなかで欠落している能力や、未だ改善可能な部分を伸ばしていくことができます。いつまでたっても、未熟なままなのです。100%の壁が、どんどん先に逃げてゆきます。その伸び代は多かれ少なかれ際限はないと思っています。加えて、音楽を通じて、誰かと交流があったり、新たな概念、考え方に触れられることも多く、それを通じて、人間的に成長することができる、という2つの点で、僕は「音楽とは『成長』である。」と主張した訳です。
たまたま、そのツールが音楽なだけで、僕は「自分は音楽が全てである。」とは考えることはできません。音楽を取ってしまったら空虚になってしまうのは、あまりにも悲しいですからね。その点で言えば「『武器』である」とも言えるし、音楽を取っても死なないから、「音楽とは『死』である。」とも言えるかもしれません。あるいは、「成長」が「生」の定義に包含されるのであれば、「音楽とは『生』である。」の主張の一部であるとも捉えられますね。
なかなかどうして、同じことをしているように思えて、「音楽」の捉え方は一意に定まらないようです。機会があれば、この部の方々にアンケートでも取ってみたいところですが、僕は既にこの部での権限は失っていますので、他力本願寺といったところです。答えもない命題ですが、割合面白いのではないかと思います。
ところで、なぜこの命題について書こうとしたのかというと、本年はその「成長」について、真面目に取り合おうと思っているからです。昨年度は幹部の運営もありまして、音楽にはそこまで向き合えていなかったのではと、振り返ると感じます。伸び代についても、一つの場所にとどまっていても、伸び続けることは難しいと思っており、新たな取り組みをしようといくつか考えております。来週末は下北沢のRPMというところにセッションに、2月には他大学の軽音楽部にお邪魔します。加えて、僕主導のプロジェクトもなにかしらできればと、準備を進めています。本業のほうはどうなんだと、仰られるとだいぶ参ります。テスト前ですが、なんとかするつもりではいます。皆さんも、学業をおろそかにしないようにしましょうね。音楽がすべてではないと思っているならなおさらです。
そのようなところで、締めたいと思います。丸岡くんが「だらだら書いてても誰も読まない」と書いていたのを思い出して、耳が痛いです。次からはもっと手短にいこうかと考えましたが、「そもそも誰も読んでいない」気もするので、一旦このままで行こうと思います。徒然草ですからね。
それでは、皆さん体調と単位に気をつけて、次お会いするときはどうぞよろしくお願いします。またこんど。
3年 宮坂弦