#6 日本にもあった 超巨大 土石流 | 悠釣亭のつぶやき

#6 日本にもあった 超巨大 土石流

8月26日、中国とネパールの国境付近で発生した
大規模土石流は河添いの建物などを飲み込みながら流下し、
インド北部まで70kmの範囲で大洪水となった。

これまでに、死者1400人以上、負傷者9000人以上、
行方不明者6000人以上を数える大惨事となっている。
多くの映像が残されており、橋や建物や車が押し流される
さまは自然災害の恐ろしさを見せつけた。

原因は、山岳地帯での氷河の崩落と、それに伴う自然ダム
の形成・崩壊による鉄砲水というか土砂を巻き込んだ
土石流の流下によるものと推定されている。

土石流は最大で河から80m高さにあるものまで押し流し
たという。
この辺り特有の急峻な地形が土石流の威力を高めたようだ。


実は、日本でも似たような災害があったことが記録されて
いるんだが、報道ではまったく扱われないし、ご存じの方も
ほとんどおられないんだろう。

ま、騒いでもどうなるものでもなし、今の監視技術なら、
事前警報が出されようし、土木技術が発達してるから、
発生する前に処置できるんだろうから、いたずらに騒いで
危機感を煽っても詮の無い話ではあるんだろうけどね。


今となってはもう数十年前になろうか、図書館で栃木県史
なる本を読んでいた時、数ページにわたってその記録が
記載されていて、大変なことが起こってたんだなって感じた
記憶があった。
で、今回、少しネットで掘り下げてみた。

この災害、江戸時代のこととて、映像や画像が残ってる
はずもなく、記録も曖昧なんだが、その規模は今回の
土石流を下回ることはないほどの規模だったようだ。


土石流の発生は1723年(享保八年)のこと。
鬼怒川水系の五十里湖(いかりこ、現日光市川治温泉、
江戸から50里の所にある)の決壊によって発生した。

事の起こりはそれを40年も遡る、1683年(天和三年)
に発生した日光天和地震。
五十里地区の鬼怒川右岸が崩落し、鬼怒川が堰き止め
られてしまった。
4ヶ月ほどで、水位は堰き止め堤まで上がり満水となった。
上流地域は自然ダムとなり、付近の住民は高台に移住。

管轄する会津藩(河添いに会津西街道があったため)、
年貢米輸送が不能になったので、開削を試みたわけだ。
会津藩では人力で岩石を除去しようとしたが、固い岩に
阻まれて、水道を作ることが出来ず、とうとう越水して
しまったが、堤が壊れることはなかった。
しかし、責任を感じた普請奉行はその場で切腹したという。


で、自然ダムはそのまま大量の水を湛えたまま、越水
だけが流下する状態となった。
そして、40年後の1723年9月、この地域は5日間
にわたる豪雨に見舞われた。

その結果、5日目の午後、自然ダムが決壊し、土石流と
なって、一気に下流に流れ下った。
流入するいくつかの河川も洪水状態にあり、土石流の
勢いを助長したという。

土石流は日光東部、籠岩、佐貫などを飲み込みながら
流下し、氏家(現さくら市)辺りで東に転じ、蒲須坂
岡本と流れ下り、田川水系、鬼怒川水系、五行川水系と
3手に分かれて宇都宮市の東部を大洪水にしながら更に
南下し、桑島、東汗方面にまで達したという。
72kmを流れ下ったことになる。


流域の水田は土石に埋まり、家屋も床上1m程の水に
浸かったという。
上流部の、水勢が強かった地域では轟音で気付いて逃げ、
助かった人も多かったが、家屋ともども飲み込まれた
人も多く、村が丸々無くなったという記録もある。
洪水地域の多くでは水に流されて亡くなったという。

被害者数は明確な記録は無いようだが、個々の記録を
総合すると、死者・行方不明者合わせて1万2千名に
及ぶという。
当時としてもとんでもない大災害だったはずだが、
首都江戸から遠く離れた地方故か、明確な記録がほとんど
残されていないので、現在では全容を知ることはできない。


現在の五十里湖はロックフィルダムで堅固に作られている。
水位は調整されており、湯西川ダム、川治ダムと連携して
揚水発電も行っている。
100年に1度程度の豪雨くらいではびくともしないん
だろう。
因みに当時の五十里湖のサイズは現五十里湖の1.2倍
ほどの大きさだったというが今の湖を見てもその規模に
仰天するばかりだな。