能登はいらんかいね | 悠釣亭のつぶやき

能登はいらんかいね

♪能登はいらんかいね♪
能登という地域が必要か否かってな響きに聞こえるけど、
その答えなら、「要るに決まってるやろが」ですな。
実はこの言葉は違う意味なんで、誤解無きように。


「能登はいらんかいね」と聞けば柔らかい表現に聞こえるけど、
もともとは「能登いらんけ~」という表現だったようです。
いずれにせよ、「能登出身の私をいりませんか?」という意味
だそうです。

能登は田畑が少なく、段々畑が連なる千枚田が作られる土地柄で
生活が非常に貧しい地域だったから、能登の人々は近隣の加賀
(金沢)や越中(富山や高岡)などへ出稼ぎに行っていた。
「能登いらんけ~」と町や村を回って、農作業や家の手伝など
労働力を提供するので、雇って使って下さいという掛け声をかけて
いたと。

能登地域の人達のたくましさを表現しているとともに、どこか能登を
蔑ろにしているような響きを感じるのは、昨今の能登半島地震に
対する政府の対応の遅さや規模の小ささを見ているせいか?


能登半島地震の後、さる議員が「インフラ復興しても25年後に
人はいなくなる」とか、「復興よりも移住を促進したら」とかの
世迷言を吐いた。
復興にカネを使うのがもったいないという発想なんだろうか。

そもそもこの発想は本末転倒の極致なんだ。
人が少ないから手当てが不要なのではなく、今まで手当てして
来なかったから人が減ったということ。


ワシは過疎地に住んだことがあるから非常によく分かるんだが、
公共交通機関が少ない、商店も少ない、大型店舗なんぞは無い、
インフラが貧弱だから若者は出て行く、高齢者が増えるから
人口は減る一方。

人口が減れば交通インフラは更に縮小される、僅かに残っていた
商店も立ち行かない、新しいインフラは不要になる、結果として
更に不便になって人が減るという悪循環だ。


その昔、日本海沿岸地域は大きく発展した時代があった。
北前船が北海道から海産物を運び、加賀や越前の着物や食器を
運び、西国や近畿地方との交易の拠点となっていたから。
北前船という大きな交通インフラが発展の基礎にあった。

輪島塗も元々は地域住民のためのものであったのが、15世紀頃
以降は芸術品としての名声を得て、特産品となった訳だ。
そして交易によって、日本の工芸の名品としての地位を得た。

インフラ整備こそが発展の基礎であるのは、現在の太平洋ベルト
地帯の発展を見れば明らかだ。
今は船じゃなく道路や新幹線に負うところが大きいんだが。


大都市への集中は効率は良いのだろうが、日本文化や国家の
発展という面では大きな逆効果を与えた。
地方の産業が無くなり、地方文化が廃れ、地域コミュニティーが
破壊され、過疎地域があちこちに出現した。

それらの弊害が今、噴出してきていると言える。
格差が拡大し、個人主義と非共同社会が膨張し、総人口が激減し、
日本固有の文化も廃れ始めてる。

日々の暮らしは便利なんだろうけど、災害には非常に脆弱になって
いて、一旦ちょっとした事が起これば、難民が溢れる。
これが大災害ともなれば、日本国の命運が尽きかねない。

脆弱さに気付いた人達が地方への分散を提唱しても、便利さに
慣れた身は動こうとはしないし、いまさら地方のインフラにカネを
使う気もない。

今こそ、地方発イノベーションが求められているんだと思う。
過去の大きな産業が、堺市、門真市、豊田市、浜松市、三条市、
野田市等から起こったのはまったく偶然じゃないのだ。


日本には古来、「因果応報」という言葉があって、能登を見捨て
ようとする人たちは今度は自分が見捨てられる番になるものだ。
今やるべき事は、地方へのインフラ投資で地方を活性化させ、
地方経済を盛り上げて経済を拡大し、人口を増やして行く事だ。
その手始めが能登半島の復興だろうが。

能登は要らんという人間には必ずお前は要らんという事態が来る。
首都直下型地震や南海トラフ地震が来れば、日本国が壊滅して
しまうかもしれないという危機の元に、今、在る。