反戦歌 | 悠釣亭のつぶやき

反戦歌

戦争は理不尽なものだし、駆り出されるのは必ず庶民であって、
戦争を決定する人間はいつも後方で死ぬ危険には無縁。
ならば、庶民が戦争に反対するのは至極当然の事なり。


という事で、いつの時代にも反戦活動はあった。
ただ、全体主義国家では反戦=非国民というレッテルが貼られ、
プロパガンダがうまく働いてる国に於いては、国民同士が2分
され、反戦の声はかき消されてしまう。

もちろん、ウクライナのような祖国防衛戦争(自衛戦争)の場合は
多くの国民自らが自分の意志で戦争に参加する場合もあろうが、
多くは国民が望んでする戦争ではないのだ。


反戦を意思表示するのに、過去に多くの反戦歌が謳われた。
ベトナム戦争時の Blowin' in the wind もそうだし、「戦争を
知らない子供たち」や「さとうきび畑」もそうかな。

そんな歌が歌える時代はまだ救いがあるという事なんだろう。
「ぜいたくは敵だ」のスローガンに「素」を付した人を躍起になって
犯人捜しをした時代があった。
 こんな時代だと反戦歌なんぞが謳える筈も無い。

日本でも日露戦争の時代には、反戦を唱えるのがタブーでは
なかったな。
まだまだ、良い時代だったと言えるのかも知れない。
下記に、全文を掲載しておく。


与謝野晶子
「君死にたまふことなかれ」 
――旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて

あゝをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ、
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。

堺の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ、
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり。

君死にたまふことなかれ、
すめらみことは、戦ひに
おほみづからは出でまさね、
かたみに人の血を流し、
獣の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思されむ。

あゝをとうとよ、戦ひに
君死にたまふことなかれ、
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは、
なげきの中に、いたましく
わが子を召され、家を守り、
安しと聞ける大御代も
母のしら髪はまさりぬる。

暖簾のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻を、
君わするるや、思へるや、
十月も添はでわかれたる
少女ごころを思ひみよ、
この世ひとりの君ならで
あゝまた誰をたのむべき、
君死にたまふことなかれ。


中国や北朝鮮で歌えばまず死が待ってるだろう。
ロシアでも、恐らく、いつの間にか世の中から消えるんだろう。
反戦歌が謳えることは、民主国家の証と言えなくも無さそうだ。