ヒモという存在 | 悠釣亭のつぶやき

ヒモという存在

NHKの朝ドラ「カムカムエヴリバディ」では最近、ジョーさんが
仕事もせずにのんびり暮らしていて、妻のルイさんが回転焼きで
生計を立てている。
見終わって、「ヒモの暮らしもなかなかエエもんやなぁ」って呟いたら、
「同じような暮らししてるよ」ってすかさず反応があった。

よくヒモって言うけど、今までは自分には縁の無い話として、あまり
深くは考えなかったな。
男は目一杯働いて妻子を養うっていう価値観をガッチリ植え込まれ
てたからなぁ。

世間的には、
「ヒモ」と呼ばれる人は、女性に貢がせるろくでもない男性のことです。
「ヒモ」とは、主に男性が女性を働かせ、金銭を貢がせたりすることを
意味します。
ってなことのようだ。
海女さんの腰ひもを持って船の上でのんびりしてる男ってな感じ。


自分がヒモになって女性に貢がせるってのは、自分の価値観として、
どうにも考えにくいんだけど、そういう事に長けてる人って居るよな
って思う。
何でこんな野郎に夢中になるんやろって思うが、女のサガとして、
真面目な男より、ちょっとヤサグレた男の方が魅力的に見えるって
事が多いようにも感じる。

そういう輩を見ると、ただノンビリとしてるわけじゃなく、彼らなりの
努力があるのかもって思う。
少なくとも、カネを貢がせるだけの何かを持ってる訳だ。
それは、女性が好きになる顔立ちとか、母性本能をくすぐる態度とか、
優しい言葉使いとか、女性の欲求を満足させる手段とか、様々なん
だろうね。
その多くを併せ持つのが長けたヒモなんやろね。

女性の方が、この人を保護したいとか、私が働いて養ってあげるとか、
いつも近くに居てチヤホヤして欲しいとか思わなきゃ成立せんし、
稼ぎもシッカリなきゃ出来ない訳だ(たまには横領してでも貢ぐ女も
いるけど)。

そう言えば、小林幸子の「雪椿」に
♪優しさと甲斐性の無さが裏と表についている そんな男に惚れたの
だから、私がその分頑張りますと♪
ってな一節があるが、これは典型的なヒモ女(貢ぐ側の女性)なんだな。
恐らく自覚は無いんだろうけど。


長良川の鵜飼を見てると、あの鵜匠ってのも立派なヒモなんかなって
思う時がある(宮内庁式部職鵜匠を捕まえてヒモとは失礼にもほどが
あろうと言うもんだが)。

沢山の鵜を紐で操り、魚を貢がせてるもんな。
そして、鵜が魚を捕らえやすいように飼いならし、火を焚いて魚を集め
飲み込めないように首を縛り、自由に泳がせて稼がせ貢がせる。
そこには高度な技術(鵜を捕らえる、鵜として躾る、魚を寄せる、
飲み込ませない、絡ませない、万一の時には紐を切る等々)がある。
恐らく、鵜達は鵜匠が好きだから貢いでるんじゃなかろうが。


またまた、脱線してしもたが、ヒモにはヒモたる技術や資格があり、
努力がある訳で、誰もが望めばなれるものでは無いって事のようだ。
そして、女性に母性本能や優しくされたい願望がある限り、この世から
ヒモが無くなる事も無いんだろう。
朝ドラはいろんなことを教えてくれる。