2001年9月11日
アメリカ同時多発テロ 911


私はちょうど、ボストンへいる妹のところへ遅い夏休みをとり
9月の連休を使って遊びに行く予定を立てていた

9月11日。
今でも鮮明に覚えている。
仕事を終えて、我が家のワンと遊んでいた。
テレビを流し見しながら。。。

突然、画面が変わり、世界貿易センタービルへ飛行機が飛び込んでいく

「あれ?映画?チャンネル変えたかな?」

緊急速報で画面が変わっただけであった。

何が何だかよくわからず、ただ呆然としていた。
我に返り、実家へ無意識に電話をしていた。

「お母さん?テレビ見てる?NYだよね。。。あの子今、何処にいるんだろうか」

ボストンからNYへ遊びによく遊びに行っていた妹の安否が気になった。
普段から連絡がなかなかとれないぶっとんでいる妹であっただけに
余計、気になった。

電話をかけても出ない。。。
家族中が大騒ぎの中、NYにいる妹の友人へ連絡をとり
妹はNYにはいないということがわかった


間近に控えた夏休みの旅行は中止となったが
私は911から1ヵ月後の10月にNYへ向うこととなった。

 

 

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厳重な警戒態勢の中でのアメリカ入国。
マンハッタンで働く人たちは一見、普通の生活に戻っているようにも
見受けられたが、911のために失業してしまった人も沢山いた。

友人がホテルに勤める知人に依頼し、宿泊先を手配してくれた。
ただ、私達が宿泊する時にはその知人は職を失っていた。
911で観光客が減ったことが影響しているそうだ。

貿易センタービルの駅はきな臭い臭いとよどんだ空気。
1ヶ月経ってもまだ灰が舞っているような昼間でも空が見えない
モノクロの街だった。


言葉にならないショックと怒り、悲しみ全てが押し寄せてきた。

スピリチュアルなことは私はよくわからないが
駅に降り立った瞬間は強く、悲痛な叫びや悲しみが心に響いた。
あまりにもむごすぎる事件。


亡くなった方の数以上に、残された家族の数は多い。
両者の気持ちとマンハッタンで生きる人々の心に大きな傷を残した事件。

6年前に見た、あの光景はきっと一生忘れられない。

それから毎年、NYへは縁があって足を運んでいる。
年々、街の平穏は戻りつつある。

「グラウンド・ゼロ」となった跡地。大きな穴がぽっかりあいている。
今は観光地となっているが人々が忘れてはならないものとしての
価値を見出して欲しい。