人を善悪でジャッジしてると生き辛さの原因になるんだよ~



どうしてジャッジすると生きづらくなるのか?






ナリ心理学のジャッジの理論を詳しく解説していくよーん\(^o^)/






ナリ心理学認定心アドバイザー ちえです

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ジャッジとは



「善悪で物事を決めること」
「片方を否定すること」




オバさんなのにミニスカ履いている
小さい子がいるのにネイルしている
学校に通えないなんてオカシイ
貧乏は恥ずかしい
非正規雇用は惨めだ
あんなブサ男と付き合うなんて可哀想







こうゆうやつね。




好き嫌いとは別物です\(^o^)/




イケメン好きなのと
ブサ男と付き合う女性は可哀想全然別ね。






自分を守りたくて人を下げるためにするジャッジもあれば、
人を持ち上げるジャッジもある。
人をみて「あぁはならないでおこう」とする自戒のジャッジもあるよん(*´∀`)







まぁ、なんにせよジャッジの根本は「不安」です。
不安があるからジャッジする。悪意はない。
ジャッジして自分を正当化しようとするのですね。








ジャッジによる冷たい世界の仕組み



んではではでは!!!




どうして自分がジャッジしていると生きづらくなるのか解説していくよー







ジャッジって

自分の「善」「悪」って価値観を誰かを通してみているの。



右の女の子が左の人を見てる。
この矢印がジャッジとしよう。





そもそも、他者がいないとジャッジって成り立たんのよ。



なにかを見て「何かを思うこと」
この矢印がジャッジな訳よ。






(マイナスのジャッジ)
太ってるなんて惨め。
髭なんてダサい。


(プラスのジャッジ)
社長さんらしい!素晴らしすぎる。あの人に比べて私は社会的地位ないなぁ...
お金持ちはやっぱりすごいなぁ。私には出来ないな。


(自戒のジャッジ)
あの人、声が大きくて品がない...あぁならないでおこう。
空気読めないなぁ...あぁはならないよう気を付けなきゃ。



などなどなど。






他者をみて何かを思うことは誰でもあるわけよ。





てことは。





青の部分は世界ね



極端な話自分以外の世界全てジャッジ出来るわけ。




ジャッジって主観だから。




だから、ジャッジを全てはやめられない。





んで。ジャッジ(色塗ってある矢印)しているってことは「世界を監視しているんだよね。」





あれはダメ
これはダサい
あれも惨め
これは許す






所詮主観。
されど主観。






主観が貴方の世界を作っているものですから。
主観から人は逃れられないので。






世界をずーーーーっと見続けているってことは。
世界からも監視されると思うわけ。







あなたの主観がずーーっと世界をジャッジしてるからね。
自分もされると思うわけだ。

あの人はこう思ってるに違いない、
こうしたらこう思われるに違いない...とか。
↑これも実は全部主観





主観から逃れられないから、
『ジャッジすると、ジャッジされると思う』わけね。




矢印(黒塗りの主観)を世界に向けた分だけ、色塗っていない矢印が自分に向けられると思うんだね。







んで、もう一回登場。








この右の子がさ、
『太ってるなんて惨め~』ってジャッジしていたとする。







左のヒゲちゃびんが痩せてスレンダーな人になったりしたら、(もしくは自分が太りだしたら)
『太いってこの人に思われて笑われるかな...』とか気にしだすのね。
図の青いところを勝手に思い浮かべてジャッジされてる気になんの。








なぜ?








自分が相手をジャッジしていたから。










そんで、ジャッジされないように頑張っちゃうんだよね。


ジャッジしている分、ジャッジされると思うから。


ジャッジが増えるほどに、世界は冷たいと思うよ。
だって、監視している分、監視されると思うから。








はいっ!!冷たい世界の住人の出来上がり!!!!

いっちょあがりぃ(  ̄▽ ̄)






デブは惨め
ブサイクな男を連れて歩くのは恥ずかしい
お金持ちでないと笑われる
仕事が遅いやつはどうしようもない





↑こうゆうのを自分が他者に対して持ってると







他者からそう思われないように
他者基準で頑張っちゃうわけ。










所詮、主観なのに。









ほいっ!「地獄のデスロード」の出来上がりだね(  ̄▽ ̄)
いっちょあがりぃ













ジャッジをやめるには



ってことは。


ジャッジ全てはやめられないけど。
(死ぬかお釈迦様くらいでないと難しいのではゲロー)




自分を苦しめていそうなジャッジやめるにはさ、その主観を手放せばいいわけよんグラサン






では、「なぜそんな主観が生まれたのか?」に立ち戻るんだけど。










「社会」で覚えてくるんよ。



家族像   左父   真ん中さっきの子    右母



家族って「最初に出会う最小単位の社会」って社会学か社会福祉学で習ったんだけど。




家族も1つの社会なので。


私たちはいままでたくさんの社会に属してきたわけやんねぇ。




家族
親族
スイミングスクール
部活
委員会
クラスメイト
アルバイト
会社
趣味グループ






そんな中で

「あれはやめなさい」「あぁなるのは恥ずかしい」って直接教わったこともあれば。

「こうなるとこう思われるんだな」って学習して自分に取り込むこともある。






クラスの太っている太郎君がいじめられていたから太ることを恐れた。

自分の意見を通すとハブられて悲しい思いをしたので意見を言わず穏便に済ませることをまなんだ。

お母さんが「いい年して恥ずかしい」ってミニスカ履いたオバサンにケチつけていた。

とかね。





さっきの例で言えば『太ってるなんて恥ずかしい』って価値観を親に教わって主観になったのかもしれないしね。






そうやって自分に取り入れるジャッジって増えていくもんなのよ。

んで、何度も言うけどジャッジは消えません。
えぇ。安心して。



なくすんじゃなくて、自分の首を締めているのがどうやらジャッジだとわかって。


自分を苦しめているジャッジに気づけたら。


どうしてそれを主観として自ら握りしめて来たのか(親に言われても真に受けずに育つ子もいるわけだからね。)考えたら。






自分のためだったんだよね






いじめられないため
親に見捨てられないため
とか。
(親からの価値観は親の愛だしね)





がんばって手に握りしめていたその主観は、いままで貴方を守ってくれていたのだから「ありがとう」で手放してしまっていいんだよ。



いままでありがとう。
守るために働いてくれていたんだね



ってやって、ジャッジが出てきたら、「ありがとう」「主観でしかないもんな」って思えたらOKよ。





あと、ジャッジは主観でしかないのと

この世に正解(真理)はない

が腑に落ちたら完璧ですよ\(^o^)/










ってなわけで、今日は小難しい話でした♪