前回のブログで、
正論はなぜ嫌われるのか?
を書いた。
今これを見て下さっている方で、前のブログを読んでいないよという方は、
前回のブログを読んでいただいてからこのブログを読むことをおすすめします。
正論とは色々な意味として捉えることができると考えており、
その前提次第で話すことが大きく変わってくるため、
ここでの前提を書いておく。
ここでは、正論は「論理的に導き出された答えのひとつ」として考える。
嫌われる理由として、前回のブログであげたのが、
「使うタイミング」と「言い方」である。
この2点を掘り下げていきながら、
どうやって正論を使うべきなのかを今回は考えていく。
前回のブログと一部内容が被っていると思うが、ご容赦頂きたい。
まず、使うタイミング。
例えば
友人が悩みを打ち明けた時に、友人を助けたいと思って解決策をたくさん提案したとしよう。
友人が解決策を求めているのなら良いが、聞いて欲しいだけであった場合は、相手は話についていけなくなるだろう。
正論は相手の感情を考慮せず、つまり相手が求めていることを考えることなく出された内容であるため、
内容よっては相手に
「いや、確かにその通りだけどさぁ…」
と思われる可能性がある。
タイミングの悪さは、良かれと思って言ったことが意図せぬ伝わり方をしてしまうというコミュニケーションエラーであるパターンが多いのではないか。
もうひとつは言い方である。
同じことを言う場合でも、言い方によっては相手の受け止め方が全く異なる、ということは誰もが経験によって分かっていることだろう。
また、言い方に問題がある人は、恐らく使うタイミングも悪いパターンが多い。
問題のある言い方というのは、相手を見下したり、自分の考えを押し付けるような言い方である。
相手を見下して優越感に浸る目的で、意図的に正論を使う人が世の中に一定数いる。
ただ、それは相手を傷つけたいという感情論が前提になっているため、正論に見えるだけの可能性もある。
そしてそういう人は、正論で言い返されるなど自分の都合が悪くなると急に感情論を持ち出すような危険人物である。
一時的に優越感に浸れるが周りからは嫌われる
→正しいのになぜだ?周りがおかしい!と考え、また同じ行為をする
→一時的に…
の無限ループ状態になる。
これは本人にとっても周りの人間にとっても不利益になるため、このような人間にならないようにすべきであるし、
このような人間とは関わらないのがベストと言える。
…
話が逸れてしまったが、この2点から言えることは、
正論は自分の都合で使うのではなく、相手の都合で使うべきものである、ということである。
相手の状況を見て、正論を使う、使わないの判断を行い、
使う場合はどのような言い方をすれば良いかを考えることが大切だと私は考える。
もちろん、人間は人生における何かしらの選択をする時に、意識せずとも正論を使っている。
感情のままに選んだ結果酷い目にあった、なんてことはよくある話だろう。
例えば、高い物を買おうとする際、
欲しいという感情論と、お財布事情を考慮すると買うべきではないという正論が喧嘩をしたうえで、買うかどうかの決断が下されている。
上記のように、自分の中で全てが完結するものや、自分の身を守るために使われる正論は非常に有効なものであり、
積極的に使うべきである。
また、ビジネスの場などでは正論が必要な場合も多いため、正論そのものは必要だと言える。
しかし、相手がいる時は使い方に気をつけるべきである。
まだまだ書きたい事はあるが、自分でも訳が分からなくなりそうなので、ここで終了する。
読んでくださっている皆さん、ありがとうございます。
以上