阪神・淡路大震災 | 気ままなtomoeのブログ

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月に2回くらいですがLaFontana・イタリア家庭料理教室を開催しております。
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 こんにちは。いつも私のブログに訪ねて来てくださり
 ありがとうございます。
 ちょっと重いかもしれませんが、15年と言う区切りの年でもあるので、
 引き続き書かせていただきます。

 地震のあった日の朝7時前。
 友人宅にお邪魔して、私一人だったので一緒に居ていただきました。
 友人ご夫婦はお互い実家に電話をしていましたが、西の方には繋がりにくく、
 私は、自宅の電話は繋がらなかったので、借りて両実家に電話をしました。
 両実家は東にあったので、比較的かかりやすく3回目くらいで繋がりました。

 「私は無事!何がどうなっているかわからないけど、
 大きな地震があったよう。
 電話繋がりにくいけど、私は大丈夫。
 夫の連絡先教えるから…」
 
 と、どうなったっているかわからない状況だったので、その事しか言えず、
 私は電話を切りました。
 もちろん夫にも電話をかけました。
 互いの両親は寝起きだから意味は分からず「ニュース見ておくわ!」で切って、
 この後翌日まで連絡とれず。
  
 実は夫くんは海外に居たので、時差があったので寝る前で、
 「CNNでも見ておくね!○○さん宅ね?ご主人と代わって!…(会話)…宜しく!」
 で電話を切りました。
 
 夫も切った後、目に飛び込んできた映像が「阪神高速の倒壊」「見た景色の火事」
 居ても立っても居られなかったけど、関空は閉鎖だから帰る事も出来ず。
 tomoeさんは、帰ってきた方が足手まといだったと思うので、気持ちだけ受け取りました。
 
 夫は寝不足のまま会社に行き、会議は上の空だったそうな。
 ここで、お国の違いが…日本人スタッフ(上司ばかり)は「奥さんは無事だって?良かったね。
 心配だね」で、外国人スタッフは「奥さん一人で大変ではないか!チケット取ってあげる
 から、すぐ日本に帰れ!会議なんかはいいから!」
 この違いどう思われます?

 私たち3人は、情報も無いままお互いの家を片づけあって、もちろんすぐ
 片付いたわけではありません。
 私の家の片づけをしに来た時、寝室を見て唖然!!
 
 「この部屋からどうやって出たの?入れないよ!」とご主人が。
 そうなんです。箪笥が飛んで、テレビが飛んで、三段ボックスが飛んで、
 お互いが重なり合い、人間が入る隙間も無く、でも、確かに私は部屋から脱出
 しています。
 ご主人は、写真を撮って私の夫に見せないと…と、部屋中の写真を撮りました。

 4階だから2階より被害は大きく、ただ、箪笥などの向きが良かったので、
 寝ていたベッドの上にはぬいぐるみが飛んできただけで、私は命拾いをしました。

 台所も悲惨でした。冷凍物があり得ないほどの距離を飛んで、ソファーの後ろから
 出てくるし、流し台は壁から半分はがれていて、食器棚は半間くらい横ずれ。
 大人3人でないと押しても動かないのに…。
 
 家具の置く位置はすごく重要だったと今思います。
  ◎寝ている方に、箪笥や本棚の正面を向けてはいけません。
  ◎なるべく寝ている部屋には家具を置かない。
  ◎観音開きの棚には開かないように留め具を付ける。
  ◎突っ張り棒を付ける。
  
 我が家の飾り棚にあった高級食器はほぼ全滅。
 これは、観音開きのせいで、扉が開いて落下。
 食器棚は辛うじて引き戸式だったので殆ど割れず。
 でも、ドンの振動で重ねてあった食器の間のお皿は数枚割れました。

 こんな事は書いてもしようがない事ですが、やはり、水がネックです。
 まず、自然現象のトイレですが、小さい方は良いのですが大きい方が…。
 お風呂にたまたまあった水が役に立ちました。←友人宅の。
 貴重なのであまり使えませんが、洗面器で流して少しづつ使いました。
 我が家の水は、風呂桶が割れたので水は無かった。

 次に、何も知らない3人で、買い出しに行こう!と
 外に出て(敷地から)びっくり!!!!
 
 一歩でたら何だこりゃ!です。
 ブロック塀が道路側に、内側にパタリと倒れていて、あるマンションの駐車場は
 そのブロックが車の上に。
 我が家と、友人の車は助かったので、果物とかでも買いに行く?
 と車を出す時に、初めて自分たちの現状の一部分を知りました。
 車のラジオで、現在の状況を知ったのです。
 少し車を走らせましたが、大きな道路は渋滞。
 狭い道は、あちこち物の落下で通れず、車を乗り捨てて徒歩で商店街へ。
 
 もちろん開いているわけは無く、シャッターは閉まったままか歪んでいるか。
 私たちは仕方なく自宅に戻り、これからの事を考えました。
 電気・水道・ガスが無いので、まず、着れるだけ着て暖かくする。だって、今と同じ
 時期です。寒すぎ…。
 
 水は、タライとバケツを持って、近くの川に汲みに行きました。
 水を運んでいると、周りから「水はどこで手に入れたの?」とあちこちから声がかかり、
 川で汲んだと伝えました。水道管が破裂してアスファルトは水浸しの所もあり。

 食事。そう、人間食べなければ体力は無くなるし、気持ちもネガティブになりがち。
 私たちはたくましかった…後から聞くと、皆さん食欲がなく食べられなかったそう…。
 お互いの食べ物を持ち寄って、茹で卵を風呂の水で作り(カセットコンロ大活躍)、
 うどんや野菜やご飯(冷凍)をごった煮。美味しかった(笑)
 
 で、少しずつ部屋を片付けながら、陽が落ちる前に布団をひいて、寝る準備です。
 だって、前回のブログに書いた通り真っ暗闇です。一筋の明かりも無いので寝るしか
 ありません。時々余震があり、何回も目が覚め、その度に箪笥を友人と押さえ(私を泊めて
 下さいました)ながら夜明けを迎えました。

 私たちの地域は、山の手だったので電気だけは通りました。
 でも、電気だけ通ってもお風呂は入れないし、歯も磨けないし、ただ明かりがあるだけ。
 それで、私たちは決心しました。
 ここから脱出しよう。何時間かかってもいいから歩いて大阪へ出て、ホテルに泊まろう。
 と、貴重品だけ持って私たちは住まいを後にしました。
 
 タラタラと書き綴りましたが、読みにくかったり、意味がわからなかったら
 ごめんなさい。書きたい事は山のようにあるのですが、なかなか文章は難しい。
作家の方尊敬します。

    tomoe 

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