まじめな話 | 罪なやつら

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重度睡眠障害のAD/HD。記憶が保てないため、エンタメの感想と、少しでも楽に生きる日々を記録。
推しを嬉しくを楽しむ日々が続きますように。

あのツチヤタカユキが本を出す。

私は彼に一定の理解が示せる。自分にも似た所があると思う。
しかし彼の心理状態には理解を示せても、彼に同調や擁護や好意は持てない。

1つには彼の恩人と言われてる人の、その気持ちを彼が裏切った事実は確かであるから。しかしそれは好意を持てない理由の1つでしかない。
私のポリシーとして「どうしても無理なら逃げていい。」という信念があり、まさしくツチヤタカユキはそうしたのだと思うし、彼は断腸の思いでその恩人を振り切って逃げたのだと分かる。

誰の迷惑になろうが、自分が死を回避するためには逃げるべきだと思う。
自分を守る、これは他人に多大な迷惑を掛けようとも一番大事なことである。
しかし…

ツチヤタカユキの逃げ方は、そういった理由での逃げ方だとは思えない。
もう少しだけ努力をしてみてはと言われ、やりたい事しかやりたくないと言って逃げたのだから。
彼は才能と情熱と、尋常じゃない努力で認められ、チャンスを与えられた。
20歳そこそこで人生を終わるつもりだった彼には手厚すぎる程のバックアップだった。
それを全部投げ出して逃げた後も、そのある人は彼を気遣った。「ツチヤは友達だから」と言って彼の才能や人格を見守った。

その経験をネットで連載始めた時、私はある程度に共感を感じて読んでいた。「才能」は別として、ツチヤ氏の考え方に少し自分を重ね合わせることが出来ていた。
彼の言うカイブツは私の側にも出現していたから。
私も人生に絶望していたし、20歳とは言わないけど、「ここまで生きたら後はもう」という区切りを持っているから。

しかし読み進めると、彼は自分に絶望してるくせに自分以外に何一つ気遣いをする気が無い、自分意外に興味が無い、良くしてくれた人に対してすらその手助けの理由を理解しようという気も無いことが分かってきた。
自己完結だけが彼の世界で、それ以外の登場人物は彼にとって空気、あるいは道具であることが見えてきてしまった。

才能だけで生きていくことが出来ないことは経験で分かっているくせに、才能以外を求められるのを拒絶する、そんなツチヤタカユキに対して、私は殺意さえ覚える。
岡本太郎が天才だから許されたのは過去の時代背景が許したのであり、現代社会では一芸だけでは生きていけない、それを知った上で、それでも自分だけはそれを許されようとしてるように思えた。

だから読むのをやめた。
この人は決して悪い人ではなく、才能も努力も並の人間ではない。 分かっている。
だけど、そんなこの人が周囲の助けを振り切って内に閉じこもることを許されるなら、私はこの人が嫌いだと思った。
彼が恩人の元を去った時、「まだ若いから」と思っていた。事の重大さも何もまだ理解出来るほどには心が成長出来てないのだと。

しかし今は分別も付いてる年齢。
確かに数奇な人生だとは思うが
自分の才能と苦悩をぶちまけ、大きな成功体験を書き記し、この先も自分のやりたいことだけやらせてもらいたいと宣言する…ネット連載…は仕方がないが、それを出版すると聞いた時点で

こいつどんだけ自分勝手なんだ…と思ってしまった。

やりたい仕事を得るために、やりたくもない仕事を受けて実績を積んで、あぁ頑張ってきて良かったこんな幸せな仕事を任される時が訪れて!
というような成功を、地道で必死で憂鬱な部分は抜きで幸せな部分だけを得たいのか?
私はそんなふうに感じました。

生きにくい世の中です。頑張ったからと言って結果が出る時代ではありません。それを理不尽にも感じてます。
その理不尽を心で消化して苦手なことも無駄なこともやって、現代の人々は足掻いて絶望してギリギリの生命を保っています。

ツチヤタカユキに対して「甘えだ」と言いたくはない。しかし「何故自分のことしか考えられないのか」と責めてしまいたい自分がいます。
私は、その出版物を買うつもりは無いし、
もしその中に恩人の名前を出していたら許しはしない。

絶対に許さない。
私が許さなくても彼は困りはしないでしょう?ただ、許さないです。