鯉喰(こいくい)神社
所在地
岡山県倉敷市矢部109
御祭神
夜目山主命、夜目麿命 配祀 狹田安是彦、千田宇根彦
鯉喰神社は墳丘墓の上にあります
吉備の神社っぽい造り
この子は一度盗難にあい、帰ってきたのだそう。めでたし
舟型の石がお祀りされてます
鯉喰神社とは変わった名前ですが、吉備の人なら誰でも知っているであろう温羅伝説の舞台です。
以下は倉敷観光WEBからお借りしました。
「吉備の国平定のため吉備津彦の命が来られたとき、この地方の賊、温羅(うら)が村人達を苦しめていた。戦を行ったがなかなか勝負がつかない。その時天より声がし、命がそれに従うと、温羅はついに矢尽き、刀折れて、自分の血で染まった川へ鯉となって逃れた。すぐ命は鵜となり、鯉に姿を変えた温羅をこの場所で捕食した。それを祭るため村人達はここに鯉喰神社を建立した。
社殿は元禄14年(1701)4月、天保13年3月に造営し現在に至った。大正6年4月、庄村矢部字向山村社楯築神社を合祀した。大正6年10月4日神饌幣帛供進神社に指定された。(岡山県神社庁より抜粋)」
桃太郎の話は単なる作り話かと思っていましたが、ここには温羅伝説の残る場所が多くあり、本当に「うら」と呼ばれる人たちが住んでいたのだと思います。
全国各地に「鬼」の話はたくさんあり、鳥取にもいくつかあります。
やっぱり最後は退治されてしまい、悲しい話です。
子供の頃みた絵本では、桃太郎は正義の味方で、一番最後のページには、大八車に載せた宝物を意気揚々と村に持ち帰る場面で締めくくられていました。
確か、赤いサンゴとか、宝石っぽい何かとか、ざっくざくの大判小判なんかです。
そのときは何も思わなかったけど、その宝物は村人の物じゃないよね?
結局は、それも横取りした戦利品だよね?
今ならちょっともやもやします。
勧善懲悪の洗脳って、怖いです。
勝てば官軍、負ければ賊軍という言葉も思い浮かびます。
桃太郎だって、家来を引き連れて戦わなければ、自分の存続も危うかったのでしょう。
長い歴史の中には、悲喜こもごも色々なことが渦巻いていたのだと思います。
あんなことや、こんなことを近くで見守ってきた足守川は、穏やかに、ゆっくりと流れていました。