所在地
鳥取県倉吉市福庭(ふくば)654
祭神
八重事代主命、天稚彦神、下照姫神、少彦名神、建御名方神、味耜高彦根命、市寸島比売命、多紀理毘売命、多岐都比売命
ひと言
「伯耆」の由来が「波波伎」から来ているのは、よく知られている話です。
ではその「ははき」は何かというと。
『伯耆国風土記逸文』によると、ヤマタノオロチから逃れた稲田姫が母親と落ち合った場所であり、送れてきた母親を見て「母来ませ」と言ったことが「ははき」の由来になったとされています。
どうなのかなあと思いますが、ここが伯耆国造の重要な神社であったことは間違いありません。
因幡にも宝木(ほうき)という地名があり、そこの神社の名前も母木神社です。
ここの人たちとも関係があるのかも知れません。
しかし母木神社の方は、もとは八幡宮であり、祭神も応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、倉稲魂命と、波波伎神社とは祭神は異なっています。
境内には福庭古墳という、石組の精緻な古墳があります。福庭(ふくば)という地名も「墓場」から来ているのだとか。覗いてみました。
因幡の古墳とは違って、四角っぽいです。造った人たちが違うのでしょう。
石同士が、切欠きを入れてかっちりと組み合わさっています。少々の地震が来ても大丈夫なかんじです。
やっぱり思うのは、どういう方法でこれを造ったのかということです。
こんなかっこいい古墳を造った人たちは、自慢だったと思います。
昔の人はすごいです。
また、手水舎の側に、飛行機の形をした遊具がありました。今は誰も使う人もなく、荒れ果てた公園にひっそりと佇んでいました。
昭和の時代でしょうか。作られた当時は、子供たちに人気であったのかも知れません。
歓声を上げながら、この滑り台で遊んだことと思います。
その子供たちは、今どうしているのでしょう。
今は昔。
人と共に、時代も移り変わってゆきます。
「伯耆」の由来が「波波伎」から来ているのは、よく知られている話です。
ではその「ははき」は何かというと。
『伯耆国風土記逸文』によると、ヤマタノオロチから逃れた稲田姫が母親と落ち合った場所であり、送れてきた母親を見て「母来ませ」と言ったことが「ははき」の由来になったとされています。
どうなのかなあと思いますが、ここが伯耆国造の重要な神社であったことは間違いありません。
因幡にも宝木(ほうき)という地名があり、そこの神社の名前も母木神社です。
ここの人たちとも関係があるのかも知れません。
しかし母木神社の方は、もとは八幡宮であり、祭神も応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、倉稲魂命と、波波伎神社とは祭神は異なっています。
境内には福庭古墳という、石組の精緻な古墳があります。福庭(ふくば)という地名も「墓場」から来ているのだとか。覗いてみました。
因幡の古墳とは違って、四角っぽいです。造った人たちが違うのでしょう。
石同士が、切欠きを入れてかっちりと組み合わさっています。少々の地震が来ても大丈夫なかんじです。
やっぱり思うのは、どういう方法でこれを造ったのかということです。
こんなかっこいい古墳を造った人たちは、自慢だったと思います。
昔の人はすごいです。
また、手水舎の側に、飛行機の形をした遊具がありました。今は誰も使う人もなく、荒れ果てた公園にひっそりと佇んでいました。
昭和の時代でしょうか。作られた当時は、子供たちに人気であったのかも知れません。
歓声を上げながら、この滑り台で遊んだことと思います。
その子供たちは、今どうしているのでしょう。
今は昔。
人と共に、時代も移り変わってゆきます。